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はじめまして。歴史探訪、食べ歩き、居酒屋めぐりをやっています。これから歴史や旅などの投…

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はじめまして。歴史探訪、食べ歩き、居酒屋めぐりをやっています。これから歴史や旅などの投稿を始めますので、よろしくお願いいたします。

最近の記事

当然のことをしただけです(外交官杉原千畝を想う)

【目次】 1.「今、このnoterが面白い!」に選ばれました 2.日本海の港町 敦賀 3.杉原千畝(すぎはらちうね)の生い立ち 4.命のビザ 5.当然のことをしただけです 1.「今、このnoterが面白い!」に選ばれました  前回の筆者の記事「焼き鳥と鉄の町を訪ねて(室蘭紀行)」が、山門文治さんの「今、このnoterが面白い!」に追加された、との連絡をいただきました。  あなたの「焼き鳥と鉄の町を訪ねて(室蘭紀行)」が 「今、このnoterが面白い」選考担当に追加されまし

    • 焼き鳥と鉄の町を訪ねて(室蘭紀行)

      目次 1.工業都市 室蘭 2. 室蘭やきとりと「鉄の町」の再生 1. 工業都市 室蘭(むろらん)  北海道・胆振(いぶり)地方の工業都市室蘭はアイヌ語で「モ・ルエラニ」(緩やかな坂)と呼ばれ、絵鞆(えとも)半島に抱かれた天然の良港として知られている。  この地は松前藩の支配下にあったが、安政2年(1855)江戸幕府により東北諸藩に蝦夷地警護が命じられる。南部藩は箱館からホロベツまでを警護地とされ、新渡戸(にとべ)稲造の父、十次郎らが陣屋築造のために視察に訪れたのだった。翌

      • 王将 坂田三吉は清々しい人だった‼

        • 三吉の生まれた町 堺  大阪府堺市は古代より、海の玄関口として繁栄してきた。2019年に世界遺産に登録された「堺・百舌鳥古墳群」には日本最大の仁徳天皇陵古墳をはじめ巨大古墳が点在する。仁徳天皇陵は墳丘長486m、周囲2.85㎞、クフ王ピラビッド、秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大古墳のひとつで、築造には20年の歳月を要したと推測される。船で渡来する外国の使者からもよく見えるところに巨大古墳をつくることで、大和朝廷の力を誇示したものであったのだろう。  古墳の掘削には鋤や鍬が必

        • 私は幸いにして・・・(望郷詩人佐藤春夫を想う)

          1.世界遺産・熊野古道の玄関口 新宮  新宮市は和歌山県南東部、熊野川の河口に位置する人口25,000ほどの中核都市である。熊野三山のひとつ、熊野速玉大社の門前町であり、豊富な木材の集積地としても発展してきた。街の中心に位置するJR新宮駅は、亀山駅(三重県)から和歌山市駅(和歌山県)まで紀伊半島をぐるりと一週する長大路線である紀勢本線のほぼ真ん中にある。現在ではここが、JR西日本とJR東海の境界駅となっている。今ではここを境に運転系統は東西で分離されているが、かつては全線を

        当然のことをしただけです(外交官杉原千畝を想う)

          100gのレモンから110gのジュースを  (日露領土交渉の舞台裏)

          • 国境の町 根室  北海道・最東端に位置する根室は、日本で一番最初に日の出を見ることができる街である。根室市街から車で30分、納沙布(のさっぷ)岬は日本の最東端の岬であり、北方領土の島影を眺められる。札幌を出たJR根室本線の終点は根室駅だが、最東端の駅は一つ手前の「東根室駅」である。ここはプラットフォームだけの無人駅だが、記念撮影のために訪れる観光客も多い。東根室を出た列車は大きく西向きに方向転換して、終着の根室駅に滑り込む。ここが、文字通りの終点で、最果ての旅情たっ

          100gのレモンから110gのジュースを  (日露領土交渉の舞台裏)

          茗荷谷の歴史小話(新井白石とシドッチ)

           東京都文京区は小日向(こひなた)台(だい)、小石川台、白山台、本郷台、関口台といった5つの台地とその間の小さな谷から成り立っている。このうち、小石川台地と小日向台地の間の浅い谷は 「茗荷(みょうが)谷(だに)」と呼ばれていた。江戸時代の初期にはすでにミョウガが多く作られていたらしい。  ミョウガ(茗荷、蘘荷、学名:Zingiber mioga)はショウガ科ショウガ目の宿根性の多年草。東アジアが原産に中国や韓国にもみられるが、ミョウガの英名はJapanese Ginger

          茗荷谷の歴史小話(新井白石とシドッチ)

          筒井順慶は洞ヶ峠には行かなかった!

          1. はじめに  大阪と京都の県境、八幡市の丘陵地に「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」がある。峠といっても標高はわずかに59mにすぎないが、京を遠望し河内平野を望む交通の要衝である。その昔、京都から高野山に向かう東高野街道が通り、現在は国道1号線が近くをかすめている。今から400年前、本能寺で信長を討った明智光秀と、毛利攻めから急ぎ戻った羽柴秀吉が天下を賭けて戦った山崎から淀川を挟んだ対岸に位置する。双方からの誘いを受けた大和の戦国大名、筒井順慶(つついじゅんけい)はここで日和

          筒井順慶は洞ヶ峠には行かなかった!

          「箕面萱野」駅に三平を想う

          1. はじめに  西国街道は江戸時代の主要街道のひとつであり、京都から下関までの経路であり、山陽道とも言う。このうち、京都―西宮間は山崎街道とも呼ばれ、宿場や問屋場、本陣・脇本陣などが整備された。大坂を迂回するこのルートは参勤交代の西国大名などが利用し賑わった。京都―西宮間には6つの宿駅、山崎(大山崎町)、芥川(あくたがわ)(高槻市)、郡山(茨木市)、瀬川(箕面(みのお)市)、昆陽(こや)(伊丹市)、西宮(西宮市)が設けられ繁栄した。大阪府北部に位置する箕面市の南部をほぼ東西

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