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焼き鳥と鉄の町を訪ねて(室蘭紀行)

目次
1.工業都市 室蘭
2. 室蘭やきとりと「鉄の町」の再生

1. 工業都市 室蘭(むろらん)

 北海道・胆振(いぶり)地方の工業都市室蘭はアイヌ語で「モ・ルエラニ」(緩やかな坂)と呼ばれ、絵鞆(えとも)半島に抱かれた天然の良港として知られている。

室蘭市(おっと室蘭から引用)

 この地は松前藩の支配下にあったが、安政2年(1855)江戸幕府により東北諸藩に蝦夷地警護が命じられる。南部藩は箱館からホロベツまでを警護地とされ、新渡戸(にとべ)稲造の父、十次郎らが陣屋築造のために視察に訪れたのだった。翌年、陣屋が完成すると藩士が常駐して警護にあたった。

 慶応4年(1868)、南部藩士が撤兵したのち、明治5年(1872)7月木造のトキカラモイ桟橋が完成すると室蘭港としての歴史が始まる。翌年、箱館・札幌を結ぶ札幌本道が完成するが、当時のルートは函館寄りの森から長万部(おしゃまんべ)へと向かう現在の国道5号線とは異なり、噴火湾を海路で室蘭へと至るもので森蘭航路と呼ばれていた。

イザベラ・バード(ウイキペディアから)

 
 明治11年(1878)日本を訪れた英国の旅行家イザベラ・バードは正にこのルートで室蘭を訪ねたのである。室蘭の美しさを彼女は次のように語っている。「山の上から眺めた室蘭湾は本当に美しいものでした。概して日本の海岸の風景は、ハワイ諸島のウインドワード地域は別として、私の目にした中では一番きれいです。ここの美しさはどこにもひけをとりません」と。

 一方で、数多くの女郎屋と、同じく数多くあっていかがわしい者の溜まり場である宿屋にも“感銘”を受けたと述べている。北海道開拓を進めるためには、多くの労働力を集めて投入することが、何よりも求められたのだろう。彼女はその後、白老のポロトコタン(アイヌ部落)を経て日高地方の平取(びらとり)へと向かったのである。

旧室蘭駅(室蘭観光協会から引用)


 明治25年(1892)、岩見沢~輪西(わにし)間に北海道炭鉱鉄道が営業を開始すると、石炭の積出港としての飛躍的に発展することになった。明治30年(1897)、現在の中央町4丁目付近に「室蘭停車場」(室蘭駅)が設置され、現在の駅舎は4代目であり、平成9年から使用されている。旧駅舎は明治45年から平成9年まで使われたもので、幾度かの改修は経ているものの、明治期の洋風建築を今に伝えるものとして平成11年、国の有形文化財に登録されたのである。

 港に集まる石炭を利用して明治40年代から製鉄・製鋼の製造がはじまり、その後は「鉄の町」として室蘭は発展していった。2大製鉄所を中心に展開し、戦前は軍需産業もあって人口構成は若年層の男性の比率が高かった。製鉄業には若い屈強な労働力が求められたのであろう。戦後の産業構造の転換やオイルショックなどもあり、製鉄業は次第に縮小を余儀なくされていった。事業所の撤退や百貨店の閉店なども相次ぎ人口も減少に転じてゆく。昭和44年(1969)には18万人を数えた人口も、令和3年(2021)には半分以下の7万9千人にまでに減少したのであった。
 
2.室蘭やきとりと「鉄の町」の再生
 私が室蘭を訪れたのは12月の半ば、雪がちらつく寒い晩だった。9時過ぎで明かりもほとんど無く、鳥辰(とりたつ)本店の暖簾だけが目に飛び込んできたのである。

室蘭やきとり(おっと室蘭から引用)

 ここは室蘭やきとりの老舗として地元に愛されてきた。素材は鳥肉ではなく、豚肉だがそれでも「やきとり」と呼んでいる。これは1930年代に登場したもので、当時は鳥肉よりも手に入りやすかった豚肉と、長ねぎの代わりに北海道産の玉ねぎを使って、鉄の町で働く労働者たちの食欲を支えてきた。お好みで洋がらしをつけるのも忘れてはならない。これには豚肉の脂っこさを打ち消すような働きがあったようにも見える。汗水たらして鉄工所で働いた工員さん達の至福のひと時だったのではあるまいか。

 先日、NHKの「世界ふれあい街歩き」という番組をみていたが、イギリス北部の都市ニューカッスルを取り上げていた。人口は30万人、タイン川の河口に近い工業都市である。蒸気機関車を発明したジョージ・スティーブンソンはこの町の出身で、彼の活躍もあって産業革命のころ、この町は大いに発展した。

ニューカッスル駅(ウイキペディアから)

 近郊には炭鉱もあり、造船業も始まったのである。しかし、時代の変遷のなかでエネルギー革命が起こって、石炭は石油に取って代わられて、1970年代になると炭鉱は次々と閉山に追い込まれていった。造船業も振るわず町は斜陽化、失業者は増大し、治安の悪化、人口の減少を招くことになった。

 それでも、地元の懸命の努力で街に残るビクトリア朝時代の建築物を利用した観光など、街の再生に全力を尽くして少しずつでもかつての賑わいを取り戻してきたと言う。街の人はお酒と音楽とサッカーが大好きで、産業革命以来、ものづくりでイギリスを支えてきた故郷への誇りと愛情に溢れていた。

地球岬の絶景(おっと室蘭から引用)

 ニューカッスルと同じく、ものづくりで国を支えてきた工業都市室蘭。街を抱くように取り囲む絵鞆(えとも)半島の外側にはダイナミックな大自然を体験できる。火山と海が作り上げた100メートルを超える断崖が連なり、地球岬や金屏風、銀屏風などの絶景ポイントに出会える。

室蘭港の夜景(おっと室蘭から引用)

 一方、湾内には港を囲む工場群に光がときめく「工場夜景」は、これを見るために観光客が訪れるほどの人気を集めているのである。多くの人たちが故郷の再生のために立ち上がっている。シャッターが降りたきりの街並みに再び賑わいが戻るのはいつになるだろう。若者が故郷に誇りと愛情をもって、室蘭やきとりを頬張る日が来ることを願うものである。(以上)

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