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100gのレモンから110gのジュースを  (日露領土交渉の舞台裏)

•    国境の町 根室
 北海道・最東端に位置する根室は、日本で一番最初に日の出を見ることができる街である。根室市街から車で30分、納沙布(のさっぷ)岬は日本の最東端の岬であり、北方領土の島影を眺められる。札幌を出たJR根室本線の終点は根室駅だが、最東端の駅は一つ手前の「東根室駅」である。ここはプラットフォームだけの無人駅だが、記念撮影のために訪れる観光客も多い。東根室を出た列車は大きく西向きに方向転換して、終着の根室駅に滑り込む。ここが、文字通りの終点で、最果ての旅情たっぷりである。この駅のすぐ隣に蕎麦屋がある。昼間は蕎麦を提供するが、夜にもなると居酒屋へと変身する。この店が列車の発車時刻が近くなると、駅構内に駅弁コーナーを開設する。「さんま丼」「さんまそば」の2種類あるが、いずれも900円である。面白いのは、熱燗の日本酒やスルメイカなどのつまみも売っていること。筆者はさんま丼を所望したが、なんと美味かったことか。

納沙布岬


 人口2万の小さな港町・根室は花咲ガニやサンマ・昆布などが有名なのだが、異色の名物を2つ紹介するとしよう。まずは「エスカロップ」である。バターライスの上にデミグラスソースをかけたとんかつを載せたもので、いわば洋風のかつ丼である。それぞれ、デミグラスソースに工夫をこらし、とんかつだけでなく、エビフライなどの変わり種も存在する。もう一つの名物は「オランダせんべい」である。直径は16㎝ほどで、砂糖と小麦粉だけで作る素朴なもの。名前のせんべい(煎餅)とは似ても似つかない不思議な食感で、引きちぎりながら食べるといった感じである。4枚で260円、庶民的な名物菓子で、初めてでも懐かしいような感覚になってしまう。

エスカロップ
 
オランダ煎餅

•       100gのレモンから110gのジュースを
 私が根室を訪れたのは12月の半ば、中標津(なかしべつ)空港からの連絡バスで1時間40分ほどかかる。まだ3時半なのに日はとっぷり暮れてすでにあたりは暗くなっていた。6Fの部屋から見ても灯かりは疎らで、眼下には冬の寂しい光景が展開していた。翌朝、根室半島の最東端、納沙布岬へと向かう。タクシーで30分程度の行程で、途中起伏はほとんど見られず、なだらかな牧草地の中をゆく。岬の先端に立つ灯台は1872年(明治5年)7月に設置された道内初の洋式灯台である。岬の突端からは北方領土のうち、歯舞(はぼまい)群島が良く見える。一番近い貝殻(かいがら)島までは、およそ3.7km、水晶島までは7kmほどの距離である。北方領土問題の資料や歴史的経緯を資料展示している北方館の2Fの展望室の望遠鏡を覗いてみると、島の様子がよくわかる。
 
 水晶島には国境警備隊の兵舎にような建物が見える。また、目を凝らすと、ロシア正教の赤い教会堂の建物がぽつんと立っているのも確認できる。館の職員の方に聞いてみると、水晶島には国境警備隊を除いて住民はおらず、教会堂は礼拝のためにあるのではなく、日本に対しての(ここはロシア領だと言う)デモンストレーションの一端ではないか、とのことだった。ここに来ると、国境の緊張感を感ぜずにはいられない。

 2022年(令和4年)12月21日、外務省は外交文書ファイル19冊を公開した。30年を経た外交記録は原則、公開するものとしている。この中には1991年4月の日ソ首脳会談の議事録が含まれている。当時の海部俊樹(かいふとしき)首相は日本への歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)2島の引き渡しを明記した56年の日ソ共同宣言の確認を何度も求めていた。これに対して、当時のゴルバチョフ大統領は一貫してこれを拒否していたのだった。ソ連の歴代最高首脳では初めての来日で、会談は6回12時間にも及んだ。56年宣言の明記を執拗に求める海部首相に対して、大統領は「総理は100gのレモンから110gのジュースを搾ろうとしている」と皮肉って、ついにこれを拒絶したのだった。

ゴルバチョフ大統領と海部首相(1991年4月)

 この会談の4か月後、「8月クーデター」が勃発し、ゴルバチョフ大統領は軟禁された。このクーデターは間もなく失敗に終わったものの、これを画策したのが大統領の側近であったため、結果的に政権への信頼を失墜することになってしまった。結局、ゴルバチョフに代わって、ロシア至上主義を掲げるエリツイン氏が台頭してソ連邦は解体することになった。当時のソ連で一番開明的なゴルバチョフ氏でさえも、2島返還ですら明記できなかったのである。北方領土問題の前進が期待できるとすれば、ソ連がガタガタした1991年をおいてはほかにはなかったであろう。その後、安倍晋三首相も4島一括から、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)を外して歯舞、色丹の2島に絞った交渉に転換したが、プーチン氏との交渉は難航し、ついには病によって退陣を余儀なくされたのである。

 2022年、ロシアはウクライナに侵攻し、平和条約交渉は完全に行き詰った。同年、海部氏、ゴルバチョフ氏とも91歳でこの世を去った。ほぼ時を同じくして安倍氏もまた凶弾に倒れたのである。領土問題の交渉のかつての主役たちが奇しくも同時期にこの世を去り、この種の問題の難しさを改めて痛感した根室の旅であった。(以上)

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