#291 読書日記42 無念無想の境地 人は人、自分は自分
高校生の時に読んだ司馬遼太郎の『竜馬がゆく』第1巻の「淫蕩」の章に出てくる一節をふと思い出し、細かい表現を思い出そうと古い文庫本を引っ張り出した。
■悟り深山で、ある木こりが斧をふるって大木を伐っていたとき、いつのまに来たのか、サトリという異獣が背後でそれを見ている。
「何者ぞ」ときくと
「サトリというけものに候」という。
あまりの珍しさにキコリはふと生捕ってやろうと思ったとき、サトリは赤い口をあけて笑い、
「そのほう、いまわしを生捕ろうと思ったであろう」と言いあてた。