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#237 面白半分日記48 芥川賞、オモロイ純文運動家・松永K三蔵『バリ山行』を読み、初めての登山のことを思い出した

芥川賞2名と直木賞1名が決まり、すでにnoteにはさまざまな感想と祝福の言葉が溢れている。

松永K三蔵『バリ山行』が群像新人文学賞(優秀作)を受賞し、その後、芥川賞“候補作”ということを知った時点で、図書館にあった群像3月号で読んでみた。

当然、ネタばらしなどしないし、いつもの「読書日記」としても書かない。

“ 山岳小説 ” と “ 登山つながり ” で思い出を書いてみようと思う。

初めての山岳小説は新田次郎の『聖職のいしぶみ』だった。
その後に読んだ『八甲田山死の彷徨』は、高倉健主演の映画の原作として有名だ。

『聖職の碑』は読んでみるまで、教師と生徒達の遭難事故などとは想像もしていなかった。
読後感は何ともいたたまれない気持ちになった。

当時としては、教師は正に聖職だと思ったものだが、今どきの教師にそこまでのことを要求してよいのかどうか悩まし現実がある。

人は事故・災害などに遭うと、冷静さを欠き、通常ならあり得ない判断や行動を取ってしまう。

日常的にも、危機に直面すると正常性バイアスが働き、「これくらいなら大丈夫だろう」という心理に至ることがある。
逆に不安が高じてパニックになることもある。

集団で行動していると、リーダや仲間の意見や指示を無視して勝手な行動を取る者が出てくることもある。

事故は起こるべくして起き、小さな偶然が重なって必然になる。

私は危険な登山はしたことがない。
いや、どんな時でも危険は見えない形で潜んでいるものだ。

『バリ山行』に出てくる会話は印象的だ。

山は遊びで、遊びで死んだら意味がない。
本物の危機は山じゃなくて、「街」にあり「生活」にある。

そんなニュアンスだった。

自分の足下にはもっと危険なことがいっぱいあるということか。
そこに目を向けなきゃいけないんだろうな。

その延長線上に、遊び、余暇、レジャー、旅行、自動車運転等々の危険が潜んでいる。


学生時代(40年前)、大学の授業で出会ったK君が登山を趣味にしていて、私が興味を示したら「じゃあ行こう!」と決まった。

私は柔道部だったので日ごろからヘドが出るほど筋トレはやっている。
体力には100%自信があった。

めざす山は大菩薩嶺(標高2,057m)。
途中の大菩薩峠(標高1897m)をしっかり見て欲しいとKは言った。

初心者でも登れると言う言葉に、楽勝じゃん!と思った。

早朝に八王子で落ち合い、JR中央線に乗って山梨県の塩山えんざん駅で降り、バスで登山口まで行くというルートだ。

行きの電車の中は登山客ばかりで、イスに座れない客はみんな床に腰を下ろし、ワイワイガヤガヤとそれぞれに談笑したり、トランプをしたり、ビールを飲んだり・・・・
私とKは床に寝転がって塩山まで眠っていた。

行きも帰りも「あなた任せ」の私だったので、電車やバスのことも登山ルートもまったく把握していなかった。
特に印象的だったのは、初秋の早朝はひどく寒かったこと。

相棒のKは、小学生時代から山登りをしている百戦錬磨の登山家だ。
大菩薩嶺の登山ルートは熟知していた。

登山口から昇り始め、Kは途中から一般的な登山道を外れるルートを選んだ。

地面に陽が届かないほど背の高い大木が生い茂る中を歩いたり、木の幹やツルに手を掛けながら急勾配を登ったりした。
ジャングル探検か!
大丈夫か?

他にも数グルーいたので知られたルートなのだろう。

30分もしないうちに、息も切れ切れで足腰に大きな負担を感じた。

涼しい顔をしてスタスタと歩を進めるKは言った。
「スポーツ選手が体力に自信があると言っても、登山には登山の筋肉が必要なんだよね。そのうち慣れるよ」と笑っていた。

初心者でも簡単に登れると言っておきながらサイバル感満載だ。

いや、このまま続けても慣れる前に、体力がどんどん削られていくだけだろうとブツクサと文句を言ったような気がする。

「あと500mほど進むと素晴らしい景色を見られるから頑張ろう!」

嘘だと思った。
さっきから、あと100mとか、あと300mとか言ってるけど、彼の言う100mは1kmじゃないのかと思った。
勝手に自分基準の距離に換算しているんじゃないかと思った。

身に付けていた下着は綿。
替えのシャツも綿。

今ならスポーツや登山用のウェアは、吸湿速乾とかヒートテック、ゴアテックスなど、高機能製品は当たり前だが、当時はそんなものはない。
靴はタウンシューズにしていた革のワークブーツで、これは大活躍だった。

とにかく下着は汗ビショビショで気持ち悪かった。
途中で汗取り用として背中にタオルを貼り付けた。

「ほら、着いた!」
・・・・と言っても山頂じゃない。

持参するように言われていた500円札を取り出した。
お札の裏面に描かれている富士山と周囲の山々がまったく同じ構図で見える。
500円札と本物の富士山とを見比べると、まるで絵に描いたような・・・・いや、絵なんだけど、適当に想像しながら描いたわけじゃないことがわかったのである。

感動したことは間違いない。

大菩薩峠は美しかったが、大菩薩嶺山頂にたどり着いて感激した記憶がないのである。
とにかく疲れていたのだ。

そして下山時も「道なき道」を選ぶKだった。
そこは私たちだけじゃなく、自然を思い切り堪能したい登山者が何人も歩いていた。

途中、膝関節が痛くなり、サポーター代わりにタオルをきつく巻いた。
沢に流れる水で痛めた膝を冷やしたりもした。

タオルは汗ふきだけじゃなく、サポーターや非常時の止血帯にもなる。
登山時は数本持参するほうがいい。

今も車にはタオルをたくさん積んでいる。
道すがら温泉を見かけたときに使うためだけど。

紅葉が始まる季節だったので、陽が差さない森林の沢は寒かった。
夕暮れが迫っていたので余計に寒かった。

母に編んでもらったスキー用のセーターを持ってきてよかった。

ヘトヘトになりながら無事、登山口に戻ったときには、かなり日が暮れていた。

私は思った。
「もう登山は懲り懲りだ!」


しかし、それ以降もたくさんの山に登っている。
時の経過が苦しみを忘れさせ、心の内に「よい思い出」だけが残るのだろうか。

いつも、登りながらときどき後ろを振り返っては、徐々に変わる景色の壮大さに魅了される。

人生と同じように、一歩一歩の積み重ねが大事なんだと思うのである。

北海道の中央部には標高2,000 m級の峰々を中心に構成される大雪山系がある。

友人や同僚、息子達と何度も登った。
決して無理をせず、冬山登山もしない。

以前書いたように、別なことで何度も「死ぬかと思った!」という経験をしている私である。

油断や過信、装備不足で命を落とす登山者が後を絶たない。
北海道はヒグマの出没と被害も増えている。

山や野生動物そのものが危険なわけじゃなく、私たち人間が日常で無自覚に振る舞っていることが、そのまま大自然の中でひょっこり顔を出して危険な目に遭っているのかもしれない。

『バリ山行』で展開する物語に引きこまれつつ、遠い昔に思いを馳せるチンパンジー先生である。

今回は長文すぎてゴメンナサイ。