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漱石と大江健三郎 (英語対訳)4 Soseki and OE Kenzaburo (English translation)4
4 漱石と大江健三郎 (1) 安部公房は 日本人作家については、大江健三郎と安岡章太郎のみを評価していました。井上靖を「物語作家」、井伏鱒二を「随筆作家」と罵倒していたそうです。三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。友人の大江健三郎によれば「全集」を全部読んで面白いのは漱石と公房だという。三島由紀夫を「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」とノーベル賞関係者が後に語っています。 漱石が生きた「明治の精神」(大江健三郎さんに聞
¥100〜漱石と大江健三郎 (英語対訳)3 Soseki and OE Kenzaburo (English translation)3
3 漱石と大江健三郎の共通性 (2) 漱石と大江健三郎は、ともに英文学や仏文学に学んだことで、西洋の思想や文化に触れた経験があります。しかし、彼らは単に西洋を模倣するのではなく、日本の伝統や歴史にも敬意を持ち、自分たちの言葉で表現しようとしました。 漱石と大江健三郎は、ともに日本の近代化や戦争に対して、批判的な視点を持ちました。漱石は明治時代の社会や政治における矛盾や不条理を風刺し、個人の自由や人間性を求めました。大江健三郎は戦後の日本における原爆や核兵器の問題や、アジ
¥100〜漱石と大江健三郎 (英語対訳)2 Soseki and OE Kenzaburo (English translation)2
2 漱石と大江健三郎の共通性(1)、日本古典への回帰 漱石は、英文学者としての視点から、『古事記』を日本の民族文学の源泉として評価し、その研究に力を注いだ。漱石は青年期に、日本古典に深い興味と敬愛の念を持っていた。特に『古事記』だけでなく、『源氏物語』『伊勢物語』『方丈記』『徒然草』『万葉集』などの古典文学に影響を受けている。 漱石は、日本古典の言語や文体、神話や精神を分析し、その美しさや意義を評価した。また、自らの小説にも古典の要素を取り入れている。『草枕』における
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漱石と大江健三郎 (英語対訳)1 Soseki and OE Kenzaburo (English translation)1
1 作家・大江健三郎(1935~2023) 1935(昭和10)年愛媛県生れ。東京大学文学部仏文科卒。学生作家としてデビューして、大学在学中の1958年、短編小説『飼育』により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。新進作家として脚光を浴び、新しい文学の旗手として、豊かな想像力と独特の文体で、現代に深く根ざした作品を次々と発表しました。1967年、代表作とされる『万延元年のフットボール』により歴代最年少で谷崎潤一郎賞を受賞しました。 1973年に『洪水はわが魂に及び』により野間
¥100〜藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)10 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 10
10 おわりに 5篇はいずれも完結形式で展開しますが、作品の主要登場人物は変わりません。基本的な筋は最後まで縦横に張りめぐらされています。 精神的ショックから、立つこともできない娘を歩けるようにする「験試し」、亭主の出稼ぎ中に間男した妻を救う「狐の足あと」、家に火を放たれて村を追われた若者が復讐のため帰郷するが、山火事の中から村の娘を助ける「火の家」、狐憑(きつねつ)きの娘を最後には嫁にする、怪力の若者を描いた「安蔵の嫁」、そして「人攫い」。それぞれの篇の主人公は村人で
藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)9 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 9
9 冒頭とクライマックス 「櫛引通野平村」は架空の村だが、その描写から推察すると、黒川能の里である、現在の櫛引町黒川の南部あたりか、赤川べりの集落である。工事中の東北横断自動車道酒田線が赤川をまたぎ、山すそを往時の「櫛引通り」に沿って西に伸びる。内陸と庄内を結ぶ国道112号月山道が、ゆっくりと庄内平野に入るところだ。 作品の中で「赤川」は重要な位置づけにある。大鷲坊と、夫が死んで嫁ぎ先を出された「おとし」母子との出会いは、赤川に転落しそうになっているこの母子を、助けると
藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)8 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 8
8 庄内弁 村人たちが遣う日常の言葉は物語にリアリティを与えている。土地の言葉は歴史(時空の集積)そのものだからだ。同書の解説によると、「庄内弁とは恐らく、京都の言葉が海岸沿いに北進してこの地方に定着し、東北訛(なま)りと融合したものであろう」とのこと。その一端を同書から抜書きしてみよう。物語の最初に、村人「おとし」が、山伏・大鷲坊となって帰ってきた「鷲蔵」と出会うときの会話。 「お前(め)、鷲蔵さんでねえろが?」 「ンだ」 と大男の山伏は言った。 「あいや、肝消(き
藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)7 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 7
7「あとがき」から 藤沢周平は、作品のあとがきで、「この小説は、鶴岡の戸川安章氏のご指導がなければ、書けなかった小説である」と記している。戸川さんは羽黒修験道の研究者である。一部引用しよう。 「庄内平野に霰が降りしきるころ、山伏装束をつけ、高足駄を履いた山伏が、村の家々を一軒ずつ回ってきたことをおぼえている。(中略) こういう子供のころの記憶と、病気をなおし、卦を立て、寺子屋を開き、つまり村のインテリとして定住した里山伏に対する興味が、この小説の母体になっている。
藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)6 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 6
6 『人攫(ひとさら)い』 祭りの集まりに顔を出したおとしの帰りが少し遅くなった。そして、帰ってみると娘のたみえがおとしを迎えに出ていなかった。しかし、あまりにも遅い。あわてておとしは方々を探してまわったがいなかった。 翌日、村の者たちが集まって相談をした。たみえはどうやら人攫いにあったらしい。そして、箕つくりの夫婦がいたのが判明した。この夫婦がどうやらたみえを攫ったらしい。 大鷲坊は別の村に連絡をとり、箕つくりの夫婦の情報を求めた。すると、子供を背負った一組の男女を見
藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)5 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 5
5 『安蔵の嫁』 大鷲坊は太九郎の家の前まできた時に太九郎のばあさんに呼ばれた。息子・安蔵の嫁の世話をしてくれないかというのだ。それを引き受けると、ばあさんは喜んだ。そして話し始めたのは、友助の娘・おてつが狐憑きになっているというものだった。 早速、大鷲坊はおてつに会いに行ってみると、果たして狐が憑いているようだ。しかも、この狐は一筋縄ではいかないようで… 大鷲坊はこの日、厄介なことを二つも抱え込んでしまった。一つは安蔵の嫁の話。もう一つはおてつの狐憑きである。
藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)4 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 4
4 『火の家』 「この村には、山は三方から迫っていた。うしろは月山の深い山懐だった。左手には赤川の上流をさかのぼった奥に、広大な山域がひろがっていた。そして川向うには、平地をはさんで母狩山、湯ノ沢岳、三方倉山、摩耶山とつづく山系があった。」 村はずれの水車小屋に若者が住み着いたらしい。この若者は源吉といって、もともとは村の人間だった。しかし、以前に村の人間からひどい仕打ちを受け、家を火に焼かれてしまったのである。 大鷲坊はおすえの腹痛を治す祈祷をしているところを呼ばれ
藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)3 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 3
3 『狐の足あと』 村に住む広太は大半を村の外で働いていた。だから、家を守るのは、さきえという女房だった。村の若者でこの女房のところに夜這いをかける者はいなかった。というのも、広太が恐ろしかったからである。この日、藤助は広太の家から人が出てくるのを見てしまった。 下手に話すと噂はすぐに広まり、やがては広太の耳に届いてしまう。これが恐ろしくて、藤助は黙っていたが、とうとう我慢できずに話してしまう。 権蔵はこれを端で何気なく聞いていた。権蔵の家は困窮に喘いでいた。どうにかし
藤沢周平『春秋山伏記』ダイジェスト(英語対訳)2 Fujisawa Shuhei's "Shunju Yamabushi-ki" A Digest (Japanese-English Translation) 2
2 『験試(げんだめ)し』 娘のたみえが崖から落ちそうになるのを、おとしがたみをの腕を掴んでいた。近道をしようとしたばかりに、落ちてしまったのだ。もう駄目だと思ったところを救ってくれたのは山伏だった。この山伏は、昔は鷲蔵といったおとしも知っている人間だった。今は大鷲坊と名乗っている。 この大鷲坊は、村の正式な別当になるため書付けを持ってやって来たのだが、村には既に月心坊という山伏がいた。村のものたちには、大鷲坊が正式な別当かどうかはともかくとして、法力のある山伏が必要だっ