福元早夫(作家)

1944年、鹿児島県生まれ。1978年小説「足並みをそろえて」 新日本文学賞受賞。19…

福元早夫(作家)

1944年、鹿児島県生まれ。1978年小説「足並みをそろえて」 新日本文学賞受賞。1975年4月、小説「工場」でブルーメール文学賞を受賞する。小説を書きながら、四人の子供達の育児、製鉄工場での勤務の傍ら、大阪文学学校で20年間講師を務める。

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  • 人間の生き方 ー偉人達が残した言葉ー

    人間の生き方とは何か、それには正解がない。百色百通りの生き方がある。生きている間に人生に迷うことがある。人生の岐路に立つこともある。 生きることとは何か、迷った時は偉人達の言葉を参考にしながら前に進んでいきたい。

  • ー自然と食に向き合うー 手のひらのうた

    自然と共存しながら生きていく、季節は変わりゆく、変わりゆく季節の中で自然は、様々な表情を変えていく、自然と向き合う中で通じる食と向き合うことで、人間のエネルギーに変えていく。

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命たち

同人誌Amazon 1982年7月号(227号)より 1982年3月25日木曜日誕生 ちょうど正午ごろだった。 入院している妻の病院から電話があって、11時5分に、元気な女の赤ちゃんがお生まれになりました、と告げてきた。 私たちにとって四人目の新しい命の誕生である。 私は昨日からの、張り詰めていた精神の緊張が、心地よく和んでいく快感を味わいながら、電話の女の声に礼を言い、 面会時間の三時過ぎにそちらへ伺わせていただきます、と言って再び礼を言った。 昨日、妻は病

    • 人間の生き方

       スティーヴン・スピルバーグ(1946年―)は、アメリカの映画製作者。2018年には、総興行収入が100億ドル(約1兆728億円)を超えた、初めての映画監督となった。  本名は、Steven Allan Spielberg。12歳で8ミリの短編を撮り始めて、14歳で、後の「プライベート・ライアン」を彷彿とさせる40分の戦争映画を製作する。  彼のプロダクションである“アンブリン”の名前の由来ともなった初の35ミリ映画“Amblin”を68年に完成する。  その後に、ユニ

      • 人間の生き方

         ブルース・リー(1940―1973年)は、「アチョー!」の怪鳥音で知られるアメリカ・サンフランシスコ生まれの香港人(本籍は広東省)の映画俳優であって、武術家である。  1966年に、アメリカのTVシリーズ「グリーン・ホーネット」の、Kato役でアクション俳優として注目されて、71年に香港映画『ドラゴン危機一髪』に主演する。  73年のハリウッド初主演作『燃えよドラゴン』で世界的な名声を得た。  32歳のときの、キャリア絶頂期に、脳浮腫で急死した。正式な主演作は1971『

        • 人間の生き方

           ジェームズ・ディーン(1931―1955)は、アメリカの俳優である。インディアナ州マリオン出身で、9歳で母を亡くして、親戚の農場で育った。  小学校卒業後に、俳優の夢を叶えるためにニューヨークに移って、アンドレ・ジッドの小説を原作にした舞台、「インモラリスト」のアラブ人少年役で高い評価を獲得した。  ブレイク以前には、「折れた銃剣」「僕の彼女はどこ?」(ともに51)や「底抜け艦隊」(52)などの映画に、端役で出演していた。  ブロードウェイの舞台出演中に、エリア・カザ

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        • 人間の生き方 ー偉人達が残した言葉ー
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          10本

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          人間の生き方

           ウディ・アレン(1935―)は、アメリカを代表する映画監督、俳優、脚本家である。ニューヨークのブルックリン出身である。  1960年代の初頭に、スタンダップコメディアンとして活躍する。初めて映画の脚本を手がけた「何かいいことないか子猫チャン」(65)で、俳優としてもデビューして、「泥棒野郎」(69)が単独での初監督作となる。  当時の恋人であるダイアン・キートンをヒロインに迎えた「アニー・ホール」(77)で、アカデミー監督賞と脚本賞を受賞するが授賞式は欠席した。  そ

          人間の生き方

           チャップリン(1889―1977)は、20世紀に数多くの喜劇映画を残した喜劇の王様である。  俳優、監督、プロデューサーのすべてを自らこなして、常に次の作品が最高傑作になるようにと、生涯で81本の映画を制作した。  また、言葉の壁を越えて、世界中の人々に感動してもらいたいと、演者が言葉を話さないサイレント映画を撮り続けた。  チャップリンは非常に貧しい環境で育ち、成功してからも、赤狩りによって20年間もアメリカから追放されるなど、たびたび困難な状況下に置かれた。  だ

          人間の生き方

           マリリン・モンロー(1926―1962)は、アメリカの女優である。ノーマ・ジーン・モーテンソンとして、ロサンゼルスに生まれる。  モンローは、母親の旧姓である。父親は生まれる前に失踪して、RKOで働いていた母親は、精神障害を抱えていたために、里親の元や養護施設で育てられて、不遇の子供時代を過ごす。  16歳で働き始めた工場の作業員と、1942年に結婚するが、4年で離婚する。この頃からモデルの仕事を始めて、1947年に「The Shocking Miss Pilgrim」

          人間の生き方

           オードリー・ヘプバーン(1929年―1993年)は、イギリス人の女優である。ヘップバーンとも表記される。  ハリウッドの黄金時代に活躍した女優で、映画界ならびにファッション界のアイコンとして知られる。アイコン とは、物事を簡単な絵柄で記号化して表現するものである。  アメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI) の、「最も偉大な女優50選」では第3位にランクインして、インターナショナル・ベスト・ドレッサーに殿堂入りしている。  ヘプバーンは、ブリュッセルのイク

          人間の生き方

           ロダン(1840―1917)は、パリに生まれる。19世紀のフランスを代表する彫刻家で、素描にもすぐれた。  パリのプティト・エコール(後の装飾美術学校)に学んだ後で、エコール・デ・ボザールを受験するものの失敗して、建築装飾の仕事にたずさわり生計をたてる。  1875年にイタリアを旅行して、ルネサンス彫刻に大きな影響をうける。その成果は、《青銅時代》(1876年)に結実する。  1880年には、フランス政府より、新設されたパリ装飾美術館のために、扉の制作を依頼されて、以

          人間の生き方

           ミケランジェロ(1475年―1564年)は、イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人である。  彼は、西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家である。  ミケランジェロ自身が本業と考えていた彫刻分野以外の作品は、決して多くはないにもかかわらず、様々な分野で優れた芸術作品を残したその多才さから、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じく、ルネサンス期の典型的な「万能(の)人」と呼ばれる。  ミケランジェロは存命中から、非常に優れた芸術家として高い評価を得て

          人間の生き方

           アンディ・ウォーホル(1928―1987)は、アメリカのペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれで、両親は旧チェコスロヴァキア移民である。本名はアンドリュ−・ウォーホラで、カーネギー工科大学に学ぶ。  1949年に,ニューヨークへ移り,50年代は商業デザイナーとして活躍した。1962年に「ニュー・リアリスツ」展(ニューヨーク,シドニー・ジャニス画廊)に出品する。  1963年に、アトリエを東47丁目に移す。多くの助手の出入りするアトリエは、「ファクトリー」と呼ばれて、作品は

          人間の生き方

           レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452―1519年)は、フィレンツェ共和国(現在のイタリア)のルネサンス期を代表する芸術家で、史上最高の画家である。そして、人類史上で最も多才な人物と称されている。  レオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェ共和国から、約20kmほど離れたフィレンツ郊外のヴィンチ村において、有能な公証人であったセル・ピエーロ・ダ・ヴィンチと、農夫の娘であったカテリーナとの間に、非嫡出子として誕生した。  非嫡出子(ひちゃくしゅつし)とは、法律上の婚姻関係にな

          人間の生き方

           フィンセント・ファン・ゴッホ(1853―1890)は、ポスト印象派の画家である。オランダ南部のフロート・ズンデルトに、牧師の息子として生まれる。  1869年に、グーピル画廊ハーグ支店に就職する。76年に解雇されて、教師、書店員と職を転々とする。  1877年に牧師を志すも、神学部の受験に挫折する。1878年に、ベルギー・ブリュッセルの伝道師養成学校に入学して、ボリナージュの炭坑町で伝道活動を始める。  1880年に画家となることを決意して、オランダに帰郷する。188

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           パブロ・ピカソ(1881―1973)は、スペインのマラガ生まれで、幼少期から絵の才能を発揮していた。11歳で、ラ・コルーニャの美術学校へ特別に入学した。  バルセロナ美術工芸展に、《初聖体拝領》(1896)を出展して、14歳で画家としての活動を開始する。  1904年に、フランス・パリに移住する。ポール・セザンヌ、トゥールーズ=ロートレックなど多くの画家から、芸術様式を吸収して、作風を次々と変化させる。  活動の初期の画業は、友人の自殺をきっかけに、貧困や生と死を主題

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           ココ・シャネル(1883年―1971年)は、フランスのファッションデザイナーで、企業家である。  彼女が創設したシャネルブランドは、世界有数のファッションブランドとして、現在も営業をしている。  20世紀初頭から、ファッションデザイナーとして活躍して、一時的な活動停止を経て、その死に至るまで、世界の代表的なファッションデザイナーであり続けた。  戦争の期間における彼女のデザインは、女性の社会進出が進んでいた当時の世相と適合して、世界のファッションスタイルに大きな影響を与

          人間の生き方

           岡本太郎(1911―1996)は、芸術家である。東京生れで、岡本一平とかの子の長男である。東京美術学校に入学するが、父母の渡欧に同行して、1930(昭和5)年から、フランスのパリに住む。  数々の芸術運動に参加しつつ、パリ大学で哲学・社会学・民族学を専攻、バタイユらと親交を深める。  帰国して、兵役・復員後に、創作活動を再開する、現代芸術の旗手として次々と話題作を発表した。  1970年の大阪万博テーマ館もプロデュース。一方で、旺盛な文筆活動も続けた。  岡本太郎(お