「演舞が終わって舞台を降りてから、観に来てくれた人のまえで、どこが失敗やったとか、あそこがうまくいかなかったとか、そういうことは言うもんやないよ」 春、踊りの発表会の折、お稽古場で舞台のお話をしていた中で、先生が言った。 その一言に「芸」とか「舞台」とか、ともかく、そういうものを貫く一つの核心、その美徳に触れたような気がして、私は思わず「ハッ」とした。それ以来、ことあるごとにこの言葉を思い出している。 今度、ダフネからリレーエッセイのお誘いをいただき、テーマの夏目漱石
この記事は「サマーウォーズ考① 朝顔の譲渡 モロサカタカミ」の続きです。未読の方は併せて読んでいただければ幸いです。 3.周縁の存在である健二かりそめのアイデンティティ 最後に健二について考えていきたい。ヒロインである夏希は、栄に「私の彼氏連れてくるまで死んじゃダメよ」という約束をして健二を陣内家に紹介する。夏希は、侘助の特徴である「東大・旧家・アメリカ帰り」という設定で健二に彼氏役をお願いするが、ここでいう彼氏役とは、ほぼ侘助役だと考えられる。この行動は、侘助への恋心と
はじめに 『サマーウォーズ』は今年15周年という節目を迎える。 各地でリバイバル上映が行われ、私も初めて劇場で鑑賞したが、改めてこの作品の魅力を確認できた。この作品の魅力は、デジタル空間の新しさと、田舎の大家族というノスタルジアの絶妙な融合にあると思う。特に後者に関していえば、私は健二と同様、東京の核家族で生まれ育ったが、陣内(じんのうち)家の宴会を見ると、なぜか懐かしいと思ってしまう。こうした風景を見ると、憧れを抱くと同時に、もうこの頃には戻れないのだろうな、という気分に
こちらは前文です🖊 以下、本文となります↓↓ 我々は同人誌という場で小説や詩、俳句を書いたりしている。創作を通して何かを語ることを試みているという点では、出来においては遠く及ばずとも漱石と同じである。ただ、そもそも、私たちはなんのために創作をするのか。世界をより良くしたいという誇大妄想があるからだろうか。それとも美しいものをこの世に顕現させたいという芸術的信念があるからだろうか。私なりの結論を先に述べると、人を創作に導くものは大きく二つ。手を動かしたいという衝動からくる
こちらは前文(二ツ池七葉)です🖊 以下、本文(今村樹二亜)です🖊 エッセイリレー企画ではありますが、今回はエッセイではなく一つの詩を載せたいと思います。 漱石の文章に負けず劣らずのものを書いたダフネのメンバーに大きな謝意と敬意を表します。 エッセイを書いている際、休憩がてら読んだ本に、ちらりと菫(すみれ)の花が載っていました。ふっと今年の初夏を思い出しました。灰色の住宅街に咲く、一輪の菫。その小さな紫は、白黒めいた自分の心を吹き飛ばしました。 好きな言葉です。角が立
こちらはリレーエッセイの前文となります。 【告知】リレーエッセイ企画第二弾! 夏目漱石の講演「文芸と道徳」を読む|ダフネ (note.com) 以下、本文です🖊 漱石が死んでから百余年が経った。その間に、社会の道徳も、個人の欲する道徳も、ずいぶん変わったことだろう。それでもなお漱石の文学が、生き生きと命脈を保ち続け、僕たちを魅了してやまないのは、きっと道徳の変化とは関係なしに、漱石の描いた、社会と個人の自然の間で引き裂かれる人間の苦悩する姿が、ある普遍性を持って僕たちの
こちらは企画者による前書きのリンクです。 以下、本文です🖊 一.漱石とマン 漱石を知らない日本人はまずいない。高二の国語教科書で後期三部作の一つ『こころ』を習うが、そんなこととは関係なしに皆、いつの間にか漱石の名を知っている。近代の二大巨匠と並び称される鴎外の作品を知らない人間がいても私はさして驚きを覚えないが、例えば漱石の『吾輩は猫である』をまるで見たことも聞いたこともないと言われた日には、その人が本当に日本人かと疑ってしまう。漱石の存在抜きにして明治の文学を、否、日
前文(二ツ池七葉)↓↓ 以下、本文です(モロサカタカミ) 寝苦しい夜が続いておりますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。 同人誌ダフネのモロサカタカミです。 今回は夏目漱石の「文芸と道徳」についてリレーエッセイをすることとなりまして、私が一番手、というか前座を務めることとなりました。「文芸と道徳」は、青空文庫に収録されており、それほど分量もないので、お時間のある方はエッセイを読む前にぜひそちらをご覧ください。以下にリンクを貼っておきます。 「上滑り」の開化 タイトル
来週から、前回の小林秀雄「栗の樹」をテーマにしたリレーエッセイ企画に続く第二弾、『漱石の「文芸と道徳」を読む』を開始します! 以下、雑誌メンバーに企画者(二ツ池七葉)から共有した前書きになります。 前書き 明治維新による社会の変化を生身で体験し「一身にして二生を経るが如し」と言ったのは、今年で万札の顔としての大役を終える巨大思想家・福沢諭吉であったと記憶している。二五〇年余に渡って続いた幕藩体制が終焉を迎えると、平民に対する苗字使用の認可にはじまり、果ては議会制の確立に
みなさんこんにちは。 同人誌ダフネのモロサカタカミです。 いつもは二ツ池さんがこのnoteやXの運営をしてくれているのですが、何か書き溜めて発信したいことがあれば載せてもらえるとのことだったので、この春伊香保に旅行をした時のことでも書こうかなと思い、投稿する運びとなりました。フィルムカメラで撮った伊香保の写真も載せていきますので、そちらも併せて楽しんでいただけたらと思います。 あまり引きがなくて不安なのですが、まあぽつぽつと書いていきます。 群馬県のほぼ中央に位置する渋川市
昨日、通っている大学で令和五年度卒業式が行われた。大学四年生の私は、参加しなかった。実際、できなかったという方が正しい。自分の現在の単位数は、四年で卒業する気のあった者のそれではない。私服姿に寝癖も備えたまま、私は大学図書館で借りた本を片手に、振袖やスーツに身を包んだ卒業生の顔を一つ一つ眺めた。コロナ禍で共に入学した同級生の顔を大学で拝むのは最後になるだろうことを思って一人、感傷に浸る気分も別に悪くはなかった。 一昨日はもう三月も終盤に差し掛かったというのに雪が舞っていた。し
こちらは前編の続きです。前編はこちらのリンクからご覧ください(自分の足で立つこと 〜河合隼雄著『無意識の構造』 再読(前編)|ダフネ )。 人間は偶然の一致に驚かされ、そこに必然を見出すことがあります。私は先日、バスで帰省する際に内山初穂のノンフィクション小説『極限の特攻機 桜花』を読んでいたのですが、本から顔を上げた丁度そのタイミングで、桜花運輸のトラックが横を過ぎて行くのが目に入り、言いようのない必然の感を覚えました。加えて同じく先日、親父が庭にブドウの苗を植えるのを見
今年に入りnoteの投稿ができていなかったことを反省しつつ、四月から夏にかけて就活関係で忙しくなるため再び投稿頻度が激下がりすることを見越し、それを補うべく三月中に投稿しまくれば仲間たちも許してくれるだろうという浅はかな考えの持ち主・雑誌『ダフネ』広報担当の二ツ池(ふたついけ)です。日本を代表する心理学者・河合隼雄の著作『無意識の構造』を再読し、色々と考え浮かんだことがありますので今回から前編と後編に分けて記述させていただきたいと思います🖊 河合は自身について無意識の心理学
こんにちは。最近は目指している職種の試験の一部で自動車免許が必要ということがわかり、大急ぎでその取得のために奔走している広報担当の二ツ池(ふたついけ)です。明日はいよいよ第一段落の効果測定。特に緊張はしませんが、万全の体制で臨む予定です。 さて、先日YouTubeでここ数年にヒットしたj-popメドレーを聞いていて、とっても素敵な音楽と出会いました。マカロニエンピツさんの『ヤングアダルト』(マカロニえんぴつ「ヤングアダルト」MV (youtube.com)です。 これは
今回の文学フリマ京都の会場の最寄り駅(たしか東山駅だったと思います)の階段を上り、ホームの外へ出た途端「アッ」と思いました。目に入った景色に並々ならぬ既視感を覚えたからです。その驚きの源は、いつか見た夢というような覚束ない記憶でないようで、目の前の景色を自ずと前日までいた金沢の風景と重ね合わせていたことに、直ぐ合点がいきました。私が学生生活を送っている金沢は、「小京都」と別称(蔑称?)されることがあります。金沢市民にとっては腹立たしい名称なので、使うことは控えた方が良いなど
こんにちは。広報担当の二ツ池です。遂に今年も雪のシーズンとなりましたね⛄️ 『ダフネ』の第二号を発行いたしましたので、ここにご報告させていただきます。「栗の樹」リレーエッセイ(詳しくは以前の投稿を参照してください)を優先させたこともあり、第二号のご報告が遅れてしまいました。申し訳ございません。 今回は新たなメンバーも加わり、俳句から映画評論に至るまで、実に幅広いラインナップとなっております。目次は次の通りです。 年明けの一月十四日、京都市勧業館で開催される文学フリマに