ダフネ

文藝同人誌「ダフネ」のアカウントです。宜しくお願いします。 既刊に『創刊号』『2』『3…

ダフネ

文藝同人誌「ダフネ」のアカウントです。宜しくお願いします。 既刊に『創刊号』『2』『3』。note 限定企画や雑誌の一部公開などしていきます。 @東京都豊島区目白

最近の記事

伊香保温泉にて

みなさんこんにちは。 同人誌ダフネのモロサカタカミです。 いつもは二ツ池さんがこのnoteやXの運営をしてくれているのですが、何か書き溜めて発信したいことがあれば載せてもらえるとのことだったので、この春伊香保に旅行をした時のことでも書こうかなと思い、投稿する運びとなりました。フィルムカメラで撮った伊香保の写真も載せていきますので、そちらも併せて楽しんでいただけたらと思います。 あまり引きがなくて不安なのですが、まあぽつぽつと書いていきます。 群馬県のほぼ中央に位置する渋川市

    • 卒業は死に近い

      昨日、通っている大学で令和五年度卒業式が行われた。大学四年生の私は、参加しなかった。実際、できなかったという方が正しい。自分の現在の単位数は、四年で卒業する気のあった者のそれではない。私服姿に寝癖も備えたまま、私は大学図書館で借りた本を片手に、振袖やスーツに身を包んだ卒業生の顔を一つ一つ眺めた。コロナ禍で共に入学した同級生の顔を大学で拝むのは最後になるだろうことを思って一人、感傷に浸る気分も別に悪くはなかった。 一昨日はもう三月も終盤に差し掛かったというのに雪が舞っていた。し

      • 意味のある偶然の一致~河合隼雄『無意識の構造』 再読(後編)

        こちらは前編の続きです。前編はこちらのリンクからご覧ください(自分の足で立つこと 〜河合隼雄著『無意識の構造』 再読(前編)|ダフネ )。 人間は偶然の一致に驚かされ、そこに必然を見出すことがあります。私は先日、バスで帰省する際に内山初穂のノンフィクション小説『極限の特攻機 桜花』を読んでいたのですが、本から顔を上げた丁度そのタイミングで、桜花運輸のトラックが横を過ぎて行くのが目に入り、言いようのない必然の感を覚えました。加えて同じく先日、親父が庭にブドウの苗を植えるのを見

        • 自分の足で立つこと 〜河合隼雄著『無意識の構造』 再読(前編)

          今年に入りnoteの投稿ができていなかったことを反省しつつ、四月から夏にかけて就活関係で忙しくなるため再び投稿頻度が激下がりすることを見越し、それを補うべく三月中に投稿しまくれば仲間たちも許してくれるだろうという浅はかな考えの持ち主・雑誌『ダフネ』広報担当の二ツ池(ふたついけ)です。日本を代表する心理学者・河合隼雄の著作『無意識の構造』を再読し、色々と考え浮かんだことがありますので今回から前編と後編に分けて記述させていただきたいと思います🖊 河合は自身について無意識の心理学

        伊香保温泉にて

          僕ら若者が文学をやることについて

           こんにちは。最近は目指している職種の試験の一部で自動車免許が必要ということがわかり、大急ぎでその取得のために奔走している広報担当の二ツ池(ふたついけ)です。明日はいよいよ第一段落の効果測定。特に緊張はしませんが、万全の体制で臨む予定です。  さて、先日YouTubeでここ数年にヒットしたj-popメドレーを聞いていて、とっても素敵な音楽と出会いました。マカロニエンピツさんの『ヤングアダルト』(マカロニえんぴつ「ヤングアダルト」MV (youtube.com)です。 これは

          僕ら若者が文学をやることについて

          文学フリマ京都を終えて

           今回の文学フリマ京都の会場の最寄り駅(たしか東山駅だったと思います)の階段を上り、ホームの外へ出た途端「アッ」と思いました。目に入った景色に並々ならぬ既視感を覚えたからです。その驚きの源は、いつか見た夢というような覚束ない記憶でないようで、目の前の景色を自ずと前日までいた金沢の風景と重ね合わせていたことに、直ぐ合点がいきました。私が学生生活を送っている金沢は、「小京都」と別称(蔑称?)されることがあります。金沢市民にとっては腹立たしい名称なので、使うことは控えた方が良いなど

          文学フリマ京都を終えて

          雑誌の第二号を発行しました

           こんにちは。広報担当の二ツ池です。遂に今年も雪のシーズンとなりましたね⛄️ 『ダフネ』の第二号を発行いたしましたので、ここにご報告させていただきます。「栗の樹」リレーエッセイ(詳しくは以前の投稿を参照してください)を優先させたこともあり、第二号のご報告が遅れてしまいました。申し訳ございません。  今回は新たなメンバーも加わり、俳句から映画評論に至るまで、実に幅広いラインナップとなっております。目次は次の通りです。  年明けの一月十四日、京都市勧業館で開催される文学フリマに

          雑誌の第二号を発行しました

          故郷再考 二ツ池七葉 ――小林秀雄「栗の樹」リレーエッセイを終えて

           小林秀雄のエッセイ「栗の樹」について、雑誌の仲間に思い思いの言葉を綴ってもらった。ダッシュボードを見ると意外とアクセス状況も良く、企画した甲斐があったと思う。多くの人に読んでいただけたのは自分の企画力によるものではなく、偏に仲間たちの筆力によるものであったと理解している。仲間たちの協力にまず感謝の意を表したい。  また何か仲間たちに書いてもらおうかと、大学図書館の書庫に籠って朝日新聞の天声人語を読み漁っていると、五月二十七日の記事の冒頭に「ふるさと」という言葉をみつけた。

          故郷再考 二ツ池七葉 ――小林秀雄「栗の樹」リレーエッセイを終えて

          アニメーション映画『音楽』に感じる原始 二島大和 〜小林秀雄『栗の樹』を読んで〜

           小林秀雄はむつかしい。「栗の樹」って結局なんだろう。普段から文学にも批評にも特段親しんでいるわけではないトーシロー(素人)には一読しただけではわかりかねた。エッセー調の文体に含まれる恐々しない優美な姿勢には驚かされる、だけど果たして文学的な味わいだけかというとそんなこともない。すごいことを言っているような気もするが、とても単純なことを言っているような気もする。どうやら日々の現実から離れて、振り返る場所について、そんな「ふるさと」の可能性を説いているようだ。それって一体なんだ

          アニメーション映画『音楽』に感じる原始 二島大和 〜小林秀雄『栗の樹』を読んで〜

          故郷を持たない者が抱く浪漫的心情のこと、またはその克服について 我亂堂 〜小林秀雄『栗の樹』を読んで〜

           数日前に一度、気温がぐんと下って、ついに秋が来たかと信じていたものだから、昼下りの照りつける太陽を反射して、ギラギラと烈しく光るビル群を視たときは、そのやかましいさまに眼は廻り、足取りは既に重くなっていた。九月某日、原宿駅から表参道を通って、渋谷駅へと無意味な散歩をしているわけだが、残暑の執念深さに耐えかねて、健脚には自信のある僕も、このときばかりはどうしようもなく草臥れてしまっていた。ひたすら歩いて、目的地がやっと見えてきた。駅ももう近い街路をのろのろと往くと、ふと、何か

          故郷を持たない者が抱く浪漫的心情のこと、またはその克服について 我亂堂 〜小林秀雄『栗の樹』を読んで〜

          「栗の樹」と「文明の樹」 モロサカタカミ ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

          二、三年前のことになりますが、三菱一号館美術館で開催していた「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」展を訪ねました。その際、レッサー・ユリィというユダヤ人画家の《夜のポツダム広場》という作品にとても興味が惹かれ、二十分ほど絵の前に立ちつくしていたことを覚えています。当時話題になったので、覚えている方もいらっしゃるかもしれません。この展覧会では、モネやセザンヌ、ゴーギャンといった巨匠たちの作品も多く展示されていましたが、私の心を最も強く掴んだのは、(当時の日本においては)無名

          「栗の樹」と「文明の樹」 モロサカタカミ ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

          『栗の木』に寄せて――幸福への手がかり 澤田孝平 ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

           信州は広い。小林秀雄の妻・喜代美が生まれたのは松本。私の生まれたのは同じ信州とはいえど、車で3時間程離れた、ほとんど県外と言っても変わらない南信の一寒村である。その松本には、その街の象徴的な松本城があり、今も城下町の風情を保ちながら、人々の賑わいが溢れている。かたや我が故郷は、これといった風物もなく、人口は減少を続け、日々の買い物にも難儀する老人ばかりが、だだっぴろい田畑を頑なに守っている。  今、故郷と松本との様子を述べたのは、松本の持つ堂々たる歴史への信頼に比して、我が

          『栗の木』に寄せて――幸福への手がかり 澤田孝平 ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

          「栗の樹」はどこにある 今村樹二亜 ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

          「栗の樹ネ、そんなものどこにあるのか、僕も知りたいね」 そう言いながら読者に向かってサインをする小林秀雄は、なかなか憎いところがある。実際、「栗の樹」は存在しなかったという担当編集者の証言がある。(『小林秀雄の思ひ出』郡司勝義)大学の図書館でその記述を読み、僕は今呆然としている。図書館に人は少なく、窓の外の入道雲が夏の日差しを反射して眩しい。真っ白な光が、静寂な図書館にキンと広がっている。  僕たちは、彼の言葉のひとつひとつを信じて疑わなかった。最初は疑ってかかった彼の言葉に

          「栗の樹」はどこにある 今村樹二亜 ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

          私の故郷 二ツ池七葉 ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

           長いようで、短い。こんな曖昧な言葉が許されるのかと考えながら、この一年間を振り返ってみると、実にあっという間だったように思う。昨年の夏に戸田で開催された漕艇競技大学大会の前入り期間中、マネージャーとして同伴していた私は部員に少しの自由時間をもらって、東京は目白の喫茶店へと足を運んだ。そこで出会った仲間と信頼関係を築き、いつしか皆で雑誌を始め、今日ここに至る。先日は新たにOBとして戸田で更に逞しくなった同期と可愛い後輩たちにエールを送った。栗色に焼けた肌がやけに眩しく、一年で

          私の故郷 二ツ池七葉 ~小林秀雄『栗の樹』を読んで~

          はじめまして

           こんにちは。どうもはじめまして。同人雑誌『ダフネ』の広報を担当することになりました、二ツ池七葉と申します。今回は初投稿ということで、我々が創刊した雑誌『ダフネ』について少しだけ。  出版科学研究所さんの情報によりますと、1997年をピークに、雑誌の売り上げはジャンルを問わず、軒並みマイナスを記録しているのだそうです。こんな時代に、どうして雑誌なんか始めたの? そもそも、創作活動に何の意味があるの? そんな風に聞いてくる大学の知り合いが実際にいましたが、文芸活動に明確な理由

          はじめまして