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僕ら若者が文学をやることについて

 こんにちは。最近は目指している職種の試験の一部で自動車免許が必要ということがわかり、大急ぎでその取得のために奔走している広報担当の二ツ池(ふたついけ)です。明日はいよいよ第一段落の効果測定。特に緊張はしませんが、万全の体制で臨む予定です。
 さて、先日YouTubeでここ数年にヒットしたj-popメドレーを聞いていて、とっても素敵な音楽と出会いました。マカロニエンピツさんの『ヤングアダルト』(マカロニえんぴつ「ヤングアダルト」MV (youtube.com)です。

夢を見失った若者たちは
希望を求めて文学を
はたまた汗まみれのスマートフォンを
握り締めて詩を書き溜める

マカロニエンピツ『ヤングアダルト』より

これは歌の冒頭部分ですが、この歌詞といいメロディーといい、私は一度聞いただけで直ぐに引き込まれました。仲間の一人であるモロサカ氏は和歌や詩をスマホに書き溜めているそうですが、彼にも是非、聴いてみて欲しい一曲です。

 昨年、我々は小林秀雄の随筆「栗の樹」をテーマにしたリレーエッセイを行いました(まだお読みでない方は、こちらからご覧ください「故郷再考 二ツ池七葉 ――小林秀雄「栗の樹」リレーエッセイを終えて|ダフネ (note.com)」。私以外の仲間の作品も文中のリンクから飛べるようになっております。雑誌の三号にも内容を記載しましたが、そちらの方では更に手が加わり非常に丁寧な仕上がりになっておりますので、是非お買い求めください)。そこでは、移ろいやすい現代において確たる故郷を探しあぐねる仲間たちの様子が散見されました。この移ろいやすさというのは、単に都会風景ばかりを意味するものではありません。自動車学校の学科教習を受ける中では、大型自動車で一括りにされていたものが平成十九年に中型自動車、平成二十九年に準中型自動車という区分けが加わったという歴史を初めとして、特定小型原動機付自転車(所謂キックボード)のルール設定や自動運転の際の決まりなど制度面での変更が繰り返し行われつつ、その内容は年々更新されていることについて先生がお話しされていました。「行く川の流れは絶えずして…」とは『方丈記』からよく引用される言葉ですが、若者である私でさえも時折ついていけないほどの加速度的変化に日本社会が見舞われていることは事実のようです。
 私たち若者は、こうした可変性を孕んだ生きづらい部分もある社会に生まれ落ちながらも、平和な時代の恩恵を受けてそれなりの社会生活を営むことはできています。勿論そこにちょっとした不満足さがあればこそ、文筆活動などというおかしな所業に手を染めているのでしょうが、こうして色々な場所で発信する機会が許されている点において我々は、不平を漏らすばかりでなく感謝の心も持つべきだと私は常々そう感じています。このnoteでの発信などは特に、インターネットの流通や若者も簡単にパソコンやスマートフォンを手にすることができる環境が整っているからこそ、つまり昨今の加速度的変化を生み出している要因の一つである情報革命やSNS社会の進行なしには、あり得ないものでした。
 さて、これからの文学は、如何にあるべきなのでしょうか? 先ほど名前を挙げたモロサカ氏は現代詩に不満を覚え、新たな潮流を生み出さんと次号の雑誌で斬新な詩を発表する模様です。まだ雑誌四号は未公開のためここでは文章の引用を控えますが、彼の冒頭部の説明書きを読んだところでは単に新しければ何でも良いということではないといった様子で、とかく「自分の足で立つ」という点を強調しているような印象を受けました。
 『ヤングアダルト』には、こうした歌詞も出てきます。

ハロー、絶望
その足でちゃんと立ってるかい?
無理にデタラメにしなくてもいいんだぜ
僕らに足りないのはいつだって
才能じゃなくて愛情なんだけどな

マカロニエンピツ『ヤングアダルト』より

本音では才能も欲しいところですが、ちゃんと自分の足で立って文章に愛情を注ぎ・また読者から愛情を注がれながら(後者なしに持続する文学はあり得ません!)文筆活動に勤しむということが、まず何よりも重要のだと痛感させられる歌詞です。最近改めて読み直した文芸評論家・浜崎洋介による小林秀雄論『小林秀雄の「人生」論』では、文学について「生命自然の本源からやってくる分割不可能な『直観』(内的なもの)を、しかし、概念的な性格を孕む『言葉』(外的なもの)によって表現すること」(浜崎, 2021, p.189)という風に書かれておりましたが、そのエッセンスは小林秀雄の生きた時代に限らず今日においても変わらぬものであるはずです。その表出の仕方は時代によって変わる側面もあり、それが時代時代の芸術の”色”というものになるのでしょうが、私たちはまず自分の足元(生命自然の本源)を見失わずにいることを第一前提に据えるべきなのでしょう。

 本雑誌『ダフネ』の編集長が、就職の決まっていたはずの出版社との間でいざこざ?があったようで、先日オンライン合評会をした際にも、どうも話が上手くがまとまっていない様子でした。あまりその点について深入りして尋ねるようなことはしていませんが、個人的に彼の将来が心配であることは確かです。「この雑誌がもっと売れれば、或いは…」なんて、思ったり思わなかったり。この雑誌で生計が立つ日がいつになるのか分かりませんし、はたまた一生こないのかもしれません。また悲しいことに誰一人として、作家として脚光を浴びることがないことだって十分に考えられます。それでも各々の情熱が続く限り、我々は書くことを決して辞めないでしょう。自分の足で立ち、愛情を込めて紡いだ言葉の一つ一つが、令和の御代に生きた若者たちの轍として顧られる日を夢見ながら、私は広報担当を引き続き頑張りたいと思います。

【参考】
・浜崎洋介『小林秀雄の「人生」論』, NHK出版, 2021年11月10日発行


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