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【特別寄稿】首藤小町「ロマンチックな道徳」

「演舞が終わって舞台を降りてから、観に来てくれた人のまえで、どこが失敗やったとか、あそこがうまくいかなかったとか、そういうことは言うもんやないよ」

 春、踊りの発表会の折、お稽古場で舞台のお話をしていた中で、先生が言った。
 その一言に「芸」とか「舞台」とか、ともかく、そういうものを貫く一つの核心、その美徳に触れたような気がして、私は思わず「ハッ」とした。それ以来、ことあるごとにこの言葉を思い出している。
 今度、ダフネからリレーエッセイのお誘いをいただき、テーマの夏目漱石『文芸と道徳』の講演録を初めて読み、偶然そこに寸分違わぬエピソードが語られているのを目撃して、私はまた「ハッ」とした。
 ⎯——漱石が春の音楽会へ行った時のこと。明らかに演奏がうまくいっていなかった音楽家が、演奏を終えて漱石の所へやってきて、「自分の膝がブルブル顫《ふる》えていたのに気が付いたか」と白状してきた、昔は道徳上こんなことを言うような人はいなかった、という「古今の道徳の区別」を語るためのエピソードだった。
 踊りの先生が出演する舞台に比べると、私が踊ったことがあるのはもっと小さな舞台だが、とはいえ、看板や衣装、小道具を揃え、念入りに稽古した後、板の上に立ち、踊るという経験をしたことのある私には、自らの膝の顫えを白状せずにはいられなかった音楽家のいたたまれない気持ちがよくわかる。
 舞台の上での緊張、失敗は想像以上に恥ずかしくて辛いものだ。とても一人では抱え切れない、ともかく、誰かに分散せねば…が、しかし、これはやはり「不道徳」なことなのだ。

 冒頭の言葉の真意。ともすれば反省とも取れる、舞台後の演者の自白が、実のところ、観客のためにも舞台のためにもなっていない、単に、自分の自分勝手な弁明に過ぎない、ということだと私は思っている。
 その自白の言葉は、何も気づかず、満足して舞台を見終えていたかもしれない観客の気持ちを無碍にし、さらには舞台の値打ちまでもを下げてしまうことになる。
 先生が言っていたことは、自身の保身などという、ちっぽけなものではなく、舞台全体への尽力をしめしていた。
 私は芸の道を行く人の仕事の仕方、舞台への敬意と心配りとを感じ、「こういうのを"美徳"と呼ぶのだろうな…」とこの時はっきり感じた。

 ところで、私は『文芸と道徳』を読むまで、「道徳」について、あまり深く考えてみたことがなかった。
 学校での「道徳」の時間は胡散臭くて聞いていられなかったし、道徳や美徳というものは、きっと、それに出会った時にしかわからないのだから、出会ったり、考えたりする前から「道徳とはこういうもの」なんて言えるわけも、わかるわけもない。
 しかし、どうしてか私は、この「道徳」や「美徳」といったものを知っているような気がする。
 漱石の講演を目で追いながら、考えていた私の頭の中には、この夏に観た文楽の舞台『朝顔日記』に出てきた姫の朝顔や乳母の浅香、それから油屋の女房お吉の姿。それだけでなく、漱石の『こころ』に登場するお嬢さんや、芥川の『手巾』の奥さん、太宰の『女生徒』の娘さんなど、身近なところでは、自分の曽祖母に至るまで、昔の女たちの姿が次々と浮かんできた。
 どうやら私は、戦前までに生まれ育った女性たちに「道徳」を感じてきたらしい。

 「ロマンチックの道徳は大体において過ぎ去ったものである」と漱石は言っていたが、まさにその通りで、公演中に「明治以前の道徳をロマンチック道徳」「明治以後の道徳をナチュラルスティック道徳」といわれていた、そのどちらもが、私にとっては「過ぎ去ったもの」として、ロマンチックに思われる。

 そう、ロマンチックなのだ。道徳というものは。
 明治以前の道徳も、明治以後の道徳も、私の目にはいずれも「高い理想」として映り、また、それらを本当に、その身に宿して生きた女たちの、気概や忍耐強さ、格好の良さにはいつも惚れ惚れしてしまう。
 彼女たちは、女の性、母性、たしなみや振る舞いを、時に葛藤しながらも、やはりその身に宿していた。
「高い理想」を実現している女性たちが、舞台や文学作品の中に、さりげなくも活き活きと描き出されている。もちろん、今も物語は紡がれているのだが、そこに「道徳の型」というものはない。
 かつての「ロマンチックの道徳」は、劇性を帯びている。日常が既にして、ひとつの劇作品のよう……そこまで考えて、私はふと気がついた。

 道徳とは、社会と名付けられた舞台、その舞台を「演出」するためのものではないかしら。

「完全な一種の理想的の型を拵えて、その型を標準としてその型は、吾人が努力の結果実現できるものとして出立したのであります。」

 人々の振る舞いを道徳的とかそうでないとか、決断し、判断することにおいて、道徳とは人が拵えたものだ。それは、舞台全体のために吾人に与えられた「型」である。その「理想の型」、つまり、お作法とか挨拶といった日々の振る舞いは、現代までに、不自由なもの、あるいは無駄なものとして、あまり重要視されなくなったが、季節や時、ところに合わせて拵えられ、誂えられたそれらの「型」を、私はただの虚しい理想だとは思わない。人と人、人と世界の間に美しい間柄を生み出しているような気がするからだ。
 戦中、女学生だった曾祖母からの手紙。

「今日は外は雨。
 春雨は音もなくしとしと靜かに降っています。草や木に、やさしくあげています。小町ちゃんの便りも、私に綺麗な水と元気を送ってくださり、ありがとうございます。……」

 曾祖母からの便りは、そこに特別な世界が生まれるような感じ、あの山深い家の屋根から滴り落ちる雫、部屋の窓から見える庭が静かに濡れる様子が便箋の上に蘇ってくるようで、今でも時折読み返す。未だ「女学生」の雰囲気さえ漂うこの手紙には、曾祖母が育った時代の様子、その背景が垣間見える。至って普通のお婆さんが書いた手紙でさえ、型を踏まえたひとつの文芸として感ぜられる。
 演出といえば、演出。しかし、——そういう演出の機会さえ無くなった今という無機質な時代からすると——演技めいているかもしれないそれは、その身に染み渡り、足の先、指の先まで行き届き、洗練されると、やがて一つの「芸」として昇華する。
 日常生活の中でそのような「理想の型」を持った人と出会うとき、そこは一転、ひとつの場面となる。図らずも現れたその場面は、日常であると同時に、とても客観的な、特別な舞台として私の目に映る。なにも、式典や演奏会、パーティーといったところだけが舞台ではない。
 けれども、日常生活の多くのことが個人で、特にインターネットの空間で完結できるようになった今、舞台や場面は徐々に失くなり、道徳や美徳といった堅苦しい「型」は必要とされなくなった。

 道徳とは、一種の無私なる「型」。講演のタイトルは「文芸と道徳」とされているが、つまり文を書くという、これも、ひとつの舞台を作る「芸」である。舞台には、各々の役割がある。そこにそれぞれの力を尽くせるかどうか。
 もし、美徳というものを望むならば、きっとそれは、私が「自分」にこだわらず「舞台」に尽くすことによって生まれる、すなわち、漱石のいう「則天去私」である。磨かれた芸こそが良い舞台、つまり良い日常を作る。そこに「美徳」というものも自ずと顕れてくるのではないだろうか。

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