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意味のある偶然の一致~河合隼雄『無意識の構造』 再読(後編)

こちらは前編の続きです。前編はこちらのリンクからご覧ください(自分の足で立つこと 〜河合隼雄著『無意識の構造』 再読(前編)|ダフネ )。

人間は偶然の一致に驚かされ、そこに必然を見出すことがあります。私は先日、バスで帰省する際に内山初穂のノンフィクション小説『極限の特攻機 桜花』を読んでいたのですが、本から顔を上げた丁度そのタイミングで、桜花運輸のトラックが横を過ぎて行くのが目に入り、言いようのない必然の感を覚えました。加えて同じく先日、親父が庭にブドウの苗を植えるのを見たその直後に読んだ湯本香樹実の有名作『夏の庭』には、クライマックスシーンでブドウの話が登場し、その偶然の一致に大変驚かされました。そしてまた同じく先日、立ち寄った本屋で雑誌コーナーに目をやると河合隼雄という名前が一番目に入り易い位置にあって、もうただ事とは思えませんでした。

自分は本雑誌『ダフネ』で最初に発表した評論のタイトルも「必然」だったので、人一倍そういうものに感じやすい性格にあるのかもしれませんが、こういう現象に対して一つの原理立てて説明してくれたのが、河合の敬愛する心理学者・ユングです。

ユングはこのような「意味のある偶然の一致」を重要視して、これを因果律によらぬ一種の規律と考え、非因果的な原則として、共時性(synchronicity)の原理なるものを考えた。つまり、自然現象には因果律によって把握できるものと、因果律によっては解明できないが、意味のある現象が同時に生じる場合とがあり、後者を把握するものとして、共時性ということを考えたのである。

河合, 1977, p.182

今では良く耳にするようになった「シンクロ」現象を単なる偶然であると打ち捨てておけない人間の心理には、自分もずっと「何か」が隠されているように感じてきました。この因果的には説明ができない「何か」を等閑視することなく真摯に向き合ったのがユングであり、また河合であったからこそ、私はこの二人の著作に手を伸ばしたくなるのかもしれません。

前編では、『無意識の構造』の特徴の一つとして並々ならぬわかりやすさを挙げました。もう一つ本書の特徴を挙げるとすれば、それは刊行されてから五十年を経ようとしている現在をもってしても内容が全く色あせることを知らないという、その今日性にあります。

ところで、いままで、男らしい、女らしいという表現を一般的な意味で用いてきたが、これには異論のある人もあろう。これらの「——らしい」ということは社会・文化的につくられてきたもので、別に男女本来の性質に根差したものではないという反論もある。たしかに、現在は男性・女性の問題を簡単には考え切れない時代のようである。

河合, 1977, p.133

この文章をここに引用したのは、私が「らしさ」を「社会・文化的につくられてきたもの」だとする構築主義に共感しているからではありません。河合はこの後に「アニマ」と「アニムス」という概念を用いて性別の今日的問題に切り込んでいくわけですが、そのように彼が答えを簡単に導出しにくい不確実な問いにも果敢に挑んでいったことに対し、私が一目も二目も置いているからです。「何でこんな古い本を今更取り上げるの?」と疑問に思われた方にこそ、是非この一冊を手に取っていただきたいです。

横一直線の雲を見る度に、
人生の歩みを仮託してみたくなる。
人には馬鹿にされそうだが、生前の河合なら「あぁ、そうですか」と言い、
笑って応えてくれるような気がする。


次に、本書の末文をお示しして後編のまとめに入ることにいたしましょう。

ユングの個性化の理論から、われわれは多くのことを学ぶが、結局は日本人としての個性化という点で、自ら考え自ら生きることが重要であると思われる。自ら体験し、自ら考えることこそ、ユングの言う個性化に他ならないと思うからである。

河合, 1977, p.185

ここにある「個性化」とは、私なりの言葉で説明すると「個々人の自己実現の仮定で意識にのぼるような、普遍的無意識の内にある世界の表出」ということになりましょうか。本文中では「日本人として」という部分に傍点がふられ、特に強調して記されているわけですが、河合はこの長編の最後になって偏狭な保守イデオロギーを標榜したかったのでは決してなかったはずです。
彼も作中で強調している点でありますが、西洋とも東洋ともつかぬ状態で近代化の歩みを進めてきた特殊な事情が日本にはあります。そうした国家全体の歴史や戦争の時代を駆け抜けた河合自身の個人史に鑑みれば、「日本人として」物事を考えてみる態度を最後に主張してみせたのは、いわば当然ともいうべきことだったのかもしれません。

これで以上になります。また機会を改めて、ユングの原著などの紹介もさせていただければと思っております。前編からここまでお付き合いいただき、どうもありがとうございました。


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