コニシ木ノ子

掴みどころのないカラダと文章を目指しています。主成分は、読書、筋トレ、生き物探しそして自分の表現というものを探しています。読んで書いて読んで書いてをし続けたい。

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    • 木ノ子のこの子

      随想、散文だけど、自分の指針

    • なんのはなしですか

      なんのはなしかわからない。だけど、重要なものなんて判断は誰にも出来ないでしょ。そんなはなし。

    • 読書からの葉脈

      読了の落とし込み。読んで書いて読んで書いてし続けたいし、その先の自分の表現を見つけたい。

    • スノーボールクッキーイセハラ

      神奈川県伊勢原市。脆い淡い表現出来たらなと思いながら、全然辿り着かないはなし。

    • 村上筋肉倶楽部

      部員募集中。妄想でツラい筋トレから逃避行する倶楽部です。#村上筋肉倶楽部 をつけて投稿してください。マガジン登録します。一緒に妄想しながら痩せましょう。部長はInstagramにて村上春樹風に筋トレを語っています。このマガジンがいつか部長に届けばいいと思います。

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    • 固定された記事

    贈られた「手作りカルタ」で僕は僕を知る。~自己紹介編~

    「午前中に届くように郵送したので受け取ってください」 そう言われて待機していた僕に届いたものは、自分を見つめるにはタイミングが良すぎる理由になるものだった。これを贈り物と言わずに通過出来そうもない。 北九州からの贈り物は、明らかに僕への贈り物だった。それは厄年を迎える僕の躍年への願いが込められていた。中でも目を奪われずにいられない箱があった。そこに描かれていた文字は、 かるTAWA。 かるTAWAという手作りカルタだった。 そのあまりの出来栄えに思わず優勝カップみたい

      • 一人の作家を通して、実際出会うまでに至る引力を知る。それが大江健三郎の凄さだ。

        僕は大江健三郎が「大切なことを正面にもって来る」というのを小説のスタンスとして持っているのを大江健三郎のエッセイから知った。 大江健三郎は、僕の読書に於ける尤も核になる部分に潜んでいる。まだ数冊しか読んでいないのにだ。これを言い切れる僕は、大江健三郎を介してのSNS上でのその特性を活かした特別な出会いをある方達としている。 その方達が書くその文章には、大江健三郎の熱をそのまま帯びたような感触で、そのまま残して書いてくれている方達だ。その方達とは世代や生き方が違うのに、感じ

        • 「憧れの人」になった自分は、必死にあと19年を確保した冬の日

          それは、昨年の年末だった。 「年明けたら、どこかでお会い出来たら嬉しいなぁ…なんて思ってます」 とのメッセージだった。 非常に丁寧な文面をいただいたが、この2行だけしか目に入って来ず、他をいくら読もうとしても読めなかったのは残念でならない。 私は動悸を静め、深呼吸しながら念のため5回ほど読み直したが、間違いなく誘われている事を認識した。私の人生経験で同じ女性に二度誘われるなんていうのは、ほとんど無いのだ。 大体、一発屋を自負している。そう。一回会えば充分男子代表選手

          • 中野重治の「梨の花」を読了し、進む事に決めた。

            私は現在、大江健三郎の「新しい人よ眼ざめよ」についての記事を書き終えている。私は、この本を読了した後に会う約束をしている方がいる。 どのタイミングでいつ出すか。迷ったまま時間が過ぎている。記事を出すのは簡単なのだが、そこの場に立つ覚悟が出来ない。なんだろう。もう、なぜか会うのが少し寂しいのである。 私より年長のその方は、私に大江健三郎の楽しみ方を教えてくれた。SNSを介して自分の意見を言える方に出会えると思わなかった。 会えば聞きたい事が山ほどある。 だけど、きっとそ

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            僕達の矜持は翻弄される推し活。~中年の楽しみ方編~

            お正月が明けると決まって僕達は、昨年めでたく社長になったばかりの男、ポップの仕事を手伝う。それは、顔見せだったり近況報告だったり、お互いのプライドをかけた推しの女子の話しだったりする。 高校時代からの同級生である僕達は、もう、40を越えた中年の集まりである。それを踏まえてこれから紡ぐ話しを心して聞いて欲しい。 毎年行われるその儀式は、どれだけ歳を重ねようとも全く実りのない話しなのだが、誰がどう攻めていくかで、その日の話の流れが変化する。 今年は、作業中少し休憩が近くなる

            谷崎潤一郎と江戸川乱歩の関係に嫉妬を積み重ねる文学中年

            「あなたは、知っているのかしら。知らないにしても知っているにしても、あなたと私に続きがあるのかは知らないけどね」 なぜ私の周りにはこういう女性が集まるのか。それに答えを見つけるのはあと10年後くらいでいい。そもそもこんな誘われ方をして、誘いに乗らないならば、それは私が私を辞めなければならない時だ。 何のきっかけだったのかは覚えていない。 きっかけを探るその言葉より、その後告げられた話の方が私を釣り上げるのに充分過ぎるほどの物語だった。 谷崎潤一郎の「金色の死」に影響され

            52時間しか会えない

            一年のうちにいったい何時間君と遊べるか計算したんだ。52時間。たったの52時間だったんだ。それはこの世界の決められたルールに則った概念で定められているらしい。 52時間を細分化する作業には僕は慣れていない。だけど、それが必要ならしなくてはならないし、せざるを得なくなる。 つまり、1週間に2回だけ君に会うことが出来る。それも1回30分だけだ。 それを多いと思うか、少ないと思うか。僕の世界の判断と君の世界の判断では違うだろ。僕が君と遊ぶ一歩はもしかしたら、ベストな一歩じゃな

            背景 安部公房様。どうか私を置いていかないで。

            毎度御贔屓にありがとうございます。本日は、私の心の内に留めておくべき事を、恥を忍びお願いしたい事がございます。これをいったい私などが、いつ言ったらいいかずっと迷ふておりました。 文学中年を皆様からぜひ名乗って欲しい。お前しかいない。粋。イケメンと、ありとあらゆる人に言われに言われ、言われるがまま、満更でもなしに使用して、むしろ文学女子に対する癒し系になってモテるのではないかと思ふておりました。 が、ここに来て大変な壁にぶち当たっておるところでございます。 元来私は、皆様

            「まなざしの地獄」に「壁」を感じ、それに自分は関与していないと言い切れない。

            それは、図書館から予約の本が届いた知らせだった。すぐに思い出せない、予約した記憶が薄れているくらい時間が経過していた。 僕は、半信半疑ながら図書館へ今年一回目の訪問をした。そこにはいつもの司書がいて、僕を認めるとそっと目配せし僕に話し掛けて来た。 「あなたを呼んだのは私よ。なぜか分かる?別にあなたに会いたいワケじゃなかったのよ」 僕は意図せず動揺したが、話の続きを促した。 「あなたの読書に欠かせない大工さんは元気かしら?」 「その問いに答える必要はないけど、君が僕を

            第8回《ふるさとと文学2022》「開高健の茅ヶ崎」に行ってきた。

            12月下旬一枚のハガキが家に届いた。 ハガキは、往復ハガキの返信用で少しでも市役所の方に上手く見せようと、若干細目に書いた見栄っ張りな字がバランス悪く中央より若干下に書いてしまっていた。 僕は、そのハガキが何を意味するかは知っていたが、裏を捲る心の準備をしてからハガキを覗いた。 入場整理券〈売買禁止〉 ふるさとと文学2022~開高健の茅ヶ崎 と目に飛び込んで来た。 当選に胸の高鳴りを覚えていたが、公に喜ぶことは当選しなかった人に対する配慮が足りないだろうとサッカーの

            よき時間と思考の行方。生誕の躍年添えで一年が始まる。

            年末。自らの振り返りを急にしたくなったのは、空気が深く澄んで音が乾いて聞こえるこの季節特有の一人沁みた空間のせいかも知れない。 一年の締めくくりに呑みに出掛けたくなったのは、自分が納得出来たからなのか、それを誰かに話したかったのかそれはわからない。 昨年、自分の周りに起きた出来事は自分の立ち位置を明確にしてくれて今後どうすべきかを知れる事だった。40年を生きて来て先がどれくらいあるかは明確ではないけれど、はっきりと自らがしたいことを言えるようになったのが「不惑」かも知れな

            谷崎潤一郎の細部にまで達する表現の拘りを変わらず愛でたくなる。

            昨年末の話だ。図書館から年末年始に読もうと予約していた本が多く届いた。自分の中で心の落ち着きを取り戻し、ゆっくり読書をしたい欲求に溢れている。 谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を味わった。日本家屋にこんなにも陰影による工夫がされていたのかと今さらながらに大切にするべきだと感じた。当たり前にストレスなく感じていた時間や空間は、誰かが創り上げた時間と空間だと思わされた。 生活には「闇」が付いてくる。 その「闇」に美を感じ追求した長い時間が、陰影を楽しむということに変化した経過を知れ

            全てを手に入れるということは、それ相応のリスクを伴うことを忘れたりしてはならない。

            今年があと一週間も無いことを僕はカレンダーから目視し確認した。人は簡単にこの一年でやり残した事はないかと残りの一週間で唐突に考えたりする。 もっと最初から考えるべきだとは誰も言わない。 それは、僕にとっても人と同じで自分に問い掛けて答えを見つけるタイプだったりする。 村上筋肉倶楽部~今年最後のトレーニング編~ 僕の通うジムは、年末年始に休業になる。したがってトレーニング出来る日は僕のスケジュールだと今日が今年最後だった。僕は激しくリバウンドした体重を再び落とす

            横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。

            前回の記事で年末年始の読書に閉じ籠ろうかと思っていたが、どうしても今年中に書き残したいと思える作品に出会った。 一回読み、すぐにもう一度読み返した。こんな事は初めてで、あまりに不明瞭で落とし込めず、だけど「人間」としての本質的な事を物凄く明瞭に描いてる。 機械とタイトルがついているけどそれは歯車みたいだ。ズレを把握していても一定の法則で回っていく。誰かが入れ替わり立ち替わりその歯車になる。 横光利一を知ったのは、大江健三郎と安部公房を考察している論評集からだ。ここで

            長(オサ)との時間に振り返りを求める時間。

            年末は忙しい。誰でも言う言葉だが、それぞれにそれぞれの意味が違う。実際の行動や想いを巡らせたり、そしてまた見直したり。 毎年この時期になると、現役をリタイアし、自給自足をしている長(オサ)から連絡が来る。今年収穫した蜜柑や冬野菜をくれるからだ。それはお互いに口実であり、他になにもなくただ顔を合わせるのが出来ない為でもある。 私は照れを隠すように長に年末の挨拶を兼ねて毎年、今年の出来事や思考を話す。振り返りや考えを整理するのにとてもいい時間だ。 今日、長の家に向かう途中

            髙樹のぶ子の「ほとほと」に、受容でいいのだと教わった。

            📚 「ほとほと」 髙樹のぶ子 「楽しんでくださいね」 そう優しく言われて紹介された本を手に取った。 「楽しんでください」 と自分から人に本を紹介した事があっただろうか。 「たぶん面白いと思うよ。面白くなかったらごめん」 「本当に読めるかわからないけど」 「好みに合うかわからないけど一応」 私が人に本を紹介する時に発してる台詞は主にこれのような気がする。 活字にすると理解出来るが、周りに読書好きがいない人生だったのがありありと伝わる。どこかで人