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ファッションショーに相応しい私は東コレに行った。

先月の中旬位だったろうか。私の元にメッセージが届いた。それはファッションショーへの誘いだった。

私ほどのオサレになると度々ファッションショーに呼ばれることはあるが、その誘いは大関からだった。

これがチケットでした。

どれくらい前の話だったか記憶が定かではないがファッションブランドを立ち上げる話を聞いていたことを思い出してきていた。

私が「大関」と呼んでいるのは大相撲元大関の六代目小錦八十吉のことである。私と大関には二十年位の繋がりがある。

ざっくり言うと「大関」から息子と呼ばれているからコニシ 木の子である。「小錦の子」ということだ。

6月から7月まで大関は、アメリカの東海岸で相撲ツアーをしていた。大都市を何ヵ所も周り相撲の普及に尽くしている。この講演は引退した元力士などを連れ、大関が相撲について解説し、ショーをしながら日本食を食べるという大人気のイベントですぐにSOLD OUTになってしまう。VIP席から売れていってしまうのだ。また次の講演も決まっているという。最近は海外の仕事の方が多いみたいだ。それでもいつも考えているのは「自分を育ててくれた日本と相撲に感謝して、その恩返しをしているだけだ」と言っている。

私は、この考え方を引き継いでいる。私自身も貰ったものを返して生きている。今でもそうだ。毎日、楽しい気持ちを皆さんから貰ってそれを返している。この循環になったのは、大関のそばにいて学んだことだと思っている。

渋谷ヒカリエ9階 ホールA 
東コレよ。みんな知ってる?東コレよ。
画像で一句の会

ショーの内容については、記事を見つけました。

ショーの様子

公式ページ

私は、良い場所で撮影したはずなのだが、この有り様だ。モデルはオーディションを開催して選ばれた人達。この日のために一生懸命練習したのだろうな。と考えるだけで涙腺がおかしくなってしまい、写真が上手く撮れない。そう。これは私のせいじゃない。モデルが素敵なせいだ。


とても素敵なショーでした。通常のファッションショーでは、手話がつくのも珍しいとのことでした。大関は「ありのままの自分に自信を持って出かけられるようになってほしい」と話していた。これは、大関のそばにいるとよく分かるのだが、大関は本当に誰とも比較しない。自分が存在していることで人に元気を分けられることを本当に知っている。だから、その場にいる人を包んでくれる。

大関が好んで訪問するのは、施設や障害を抱えた人のところが多い。私はずっとそれを横で見て来ていた。大関と出会った人達は、見たこともない笑顔をしたり、カラダ全体で喜びを表現したり、抱きついたり、泣いたりする人達をいっぱい見てきた。

でも、それも「返してるだけ」とずっと言っている。だからこうやって全部が繋がっていく。私はずっとこの人を追っている。

ショーが終わり囲み取材があることを知っていた。私は記者を見たかった。だから最前列を確保した。

おいおまえ そこでなにする つもりだよ
の目線です。これが二十年のアイコンタクトです。

取材する記者の姿を見たかった私は、どうやって記事にするのか興味があったので記者を見ていた。その時質問していた人達が上記の記事達だ。

私の横にはキレイな女性記者がいた。これが記者かと思いながら見ていた。ファッション関係だからか女性記者が多かった。スマホでそのまま話していることを打つ女性、ノートに文字をメモする女性。どの指もしっかり働いていて素敵だった。ノートに何書いているのか見ていたのだが、何にも読めなかった。字が汚いとかのレベルではなくて暗号みたいに見えたのだ。

これが敏腕記者かと思った。想像を超える。ちなみに間違いなく記事になっている。私は記事を見つけて上記に貼っている。あのメモでこの記事が生まれるのだから世の中面白いと思っていた。

私は「なんのはなしです課から来ました。これは一体『なんのはなしですか』」といつか何かのイベントで大関に聞いてみたいなと思っていた。最高のイタズラだと思っていた。

必ず実現してやろうと思った。

この日、時間が無かったので私は大関とハグだけして特に言葉も交わさずに帰った。

私は、何でも実現していてく大関を見続けている。無言のメッセージを受け取りながら、追いかける背中が大きくて良かったと思っていた。死ぬまで追い付けない。これは幸せだと思った。電車に乗りながら私は「なんのはなしですか」の回収作業に戻った。

なんのはなしですか





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コニシ木の子
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