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山に想いを馳せるとこうなった

📚
作家の山旅
ヤマケイ文庫 

物を書く対象が自然となった場合、どんなに達筆な方達も自然そのものに追い付けない。 

どの作家も皆、とても綺麗に折々の言葉を綴り山を語っている。 

大変失礼だが、それがとても可愛く思う。 

やはり、山そのもの、自然そのものに対してどこかしっかりと畏怖しているからだろうか。 

作家と山は近くにあった。 

それが知れてとても嬉しい。 

私がやりたかったこと。20代のカラダに戻ったら山に戻ってみたいと思った事。 

私は、20代後半は山で仕事していた。 

今、山に登って何を感じるかとても知りたい。
カラダが戻って、山に戻って、では次何をしたいか感じてみたい。 

これを世の中では、キノンチストと呼びます。 

この本で、高浜虚子は、正岡子規から 

「虚子に果して頂上まで登る勇気があるかどうか」 

と言われ、険しい登山を終えた虚子は、病床の正岡子規に 

「富士山は何でもない」 

と、言葉を交わす。作家は文章で登山を語る。
交わす言葉は、少なくてもいい。 

私は、こういうのに憧れる。 

竹久夢二は、探検と称した登山にだんだん不安になる感情を 

「人間はどれだけ物を誇張して考えるものだか」
と自分を皮肉る。 

とても憧れる。 

芥川龍之介は、我々、生き物倶楽部が追っかけている雷鳥の声を槍ヶ岳で聞き 

「人を呪うのかもしれない 静な 恐れをはらんだ絶嶺の大気を貫いて思わずもきいた雷鳥の声は何となく 或るシムボルでもあるような気がした」 

と、語る。 

今、私達が見たいものを経験として文字に残しているものに触れると、同じ国にいて同じ景色を見たことあるのかも知れないと心弾む。 

作家の方達が、創作とはある種違う表現の仕方を、山という対象で語る物語は、作家を身近に感じるだけでなく、自然の美しさと文字の美しさに触れる事が出来、山に行きたくさせるものである。 

もし、私が登山をするなら何が書き残せるだろうか。 

願わくば、山ガールと話が弾んで山初心者をアピールして、山ガールサークルに入り込み、山に案内してもらい、山ガールロマンスを聞きながら、山ガールにコーヒーを振る舞い、山ガールに生き物をプレゼントして、一見優しさを振り撒き、虎視眈々と実は山ガールを狙っている下山までの話を書いてみたい。 

なんのはなしですか 

「移り気散文山麓四季と恋心
~心震わす八合目~」 

きっと掲載されるはずだ。

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