世の中のブームの立役者だった私の記憶を呼び覚ますには、彼女の薬が必要だった。
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「虫に恋したプロテイン」
ある日Instagramを開いたら、この画像がそれこそ初めましての人から、私にストーリーズ経由で送られてきた。
「あなたのこの本の解説をして欲しいの」
彼女は私にはっきりとした口調でこう断言した。
私は、内心なんのはなしですかと言いそうになるのを堪えて彼女に話の続きを促した。
「私はあなたに真実を伝えてと依頼されました。この本は、あなたの本なのです。この本に救われた皆様に著者のあなたから解説をいただきたいと思うのは、就寝したら自然と目が覚めるのと同じくらい当たり前の事なんです」
私が起きるには目覚まし時計が必要だとは、あえて彼女に伝えなかった。揉め事を解決するには、時に黙って喋らない事も重要であるのだ。
私は、どこの世界に迷いこんだのだろうか。
急に、大ベストセラーのこの本の解説をして欲しいとの依頼がきた。話しに真剣に耳を傾けると、この本はどうやら私が書いた本で、なかなか手に入らない貴重な本だというのだ。
人を疑うな。そう育てられた私は、少しこの非現実的な事を受け入れるか葛藤した。真剣な彼女のこの話は、私の中の失われた記憶かも知れない。
私は二日酔いになるくらいお酒を飲むと、次の日全く記憶がない。
もしかしたら、私の知らない私がどこかで活躍していても何もおかしくない。
寧ろ、富と名声を今、手にしていないこの世界の方がフィクションではないかと考えた。
私は普段からフィクションとノンフィクションの狭間で生きているので、もしかしたら私はベストセラー作家だったのを忘れていただけかと考えた。
その考えに落ち着いた事を熟考した3分後に彼女に伝えた。
「君のおかげで大切な事を思い出したよ。私は、私のファンに伝える義務があるね。請け負うよ」
その返事を聞いた彼女からの返信はない。
私は、この本のこの装丁を見ていると、この本を上梓した頃を鮮明に思い出した。
私が書いたこの本の記憶を呼び覚ますと、不思議と書いた時の苦労や情景が溢れだし解説が出来た。
やはり、書いたのは私みたいだ。
記憶が消されていた自分を恥ずかしく思った。
noteの皆様にもこの大ベストセラーをぜひ、読んで欲しいと思う。もうすでに読んだ事がある方はもう一度思い出して欲しい。
私がこの解説を書いたあと、この物語が実は映画化されていたり、色々な方がこの本の感想をInstagramに読書感想文としてpostしているのを目撃し、こんなにも自分の核となるものを残せて良かったと思ったものである。
こと、noteに於ける皆様にも、もしかしたらこの本がバイブルになっている方がいるかも知れないと思い、ここに著者としての解説を残しておく。
ぜひ、あなたの「虫恋」(ムシコイと呼ばれ一時期ブームになったらしい)との感想をコメントにいただきたい。
また、ぜひ感想を記事にしてみて欲しい。
そう。私は、欲しがりだから。
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これより私の本の解説です。
ぜひこれを読んで少しでも「虫恋」があなたに届く事を望む。
世の恋は、勘違いのそれから始めるのもいいのかもしれない。
それは、「騙しあい」の螺旋から「騙し愛」になる時もだ。
自然の中に生き物がいるように、人間も自然の一部分を担って生きている。
下手な駆け引きは、自然を相手には到底太刀打ち出来ない事を歴史は物語っている。
大自然のエネルギーに対して人間は一個の生物としてただ、そこに在るのみになってしまう。
では、なぜ生き物は大自然に畏れをなしつつ、共存を願い繁栄を試みるのか。
種族の保守。生命の保持。形無いものを継続しようとする意志。
ここにこそ、愛が存在するのではないだろうか。
継続を意識した螺旋。
それが愛と置き換えられた時に、騙し騙され、欺きが生まれる。
時にそれは、一方通行の勘違いだったとしても必死に継続を試みるアプローチ次第では、気持ちがこちらに向いて来る事も有り得るのかもしれない。
つまり、誰かに操作された偽りの作品も、私というアプローチが加わる事で本物に発展していくこともあるのではなかろうか。
これはそういう物語だ。
虫に恋したプロテイン。
完璧な対象に挑む恋。
そこに人はロマンを感じ、愛を生み出す。
生物における虫の筋肉。
想像して欲しい。例えば蜻蛉(トンボ)だ。あれだけのスピードで急に止まったり、上下したりホバリングしたり。あの羽の運動を維持する胸筋。どれだけの負荷を耐えうる筋肉なのだろうか。考えただけでもワクワクする。
つまり、無駄など存在しないのだ。
そこに恋してしまったプロテイン。
何とも儚いではないか。
想像して欲しい。プロテインとはたんぱく質だ。筋力トレーニング後に損傷した筋肉の修復の為タンパク質を必要とし、このとき摂取したタンパク質は、筋肉の修復に使用される。
が、効果はまちまちだ。
それでも、完璧な筋肉のあの子に入り込む隙間を見つけ、うまく取り込んでもらう事のみを目的としている。つまり、騙してもだ。
そこには、騙された方も騙した方も存在するのは結果として愛だろう。
だからこの記事は、存在することで愛という存在を立証しているのである。
なんのはなしですか
はるかぜさん。ありがとう。
思い出深い作品になりました。
制作してくれたはるかぜさんは、
読者管理アドバイザーです。
実在するか、どうかは調べてね💪
私とは、半分嘘半分冗談である。
だけど全部真実である。
私の存在自体も怪しい事をお伝えしておく🤖
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。