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愛されたかった私から愛したい私へ~感覚を感じて時々考える日々~
私が体験した成育環境での被害者意識や愛情不足感に固定してしまった視点からは、長年条件つきの愛情だったと見えましたし、そう思えていた両親なりの愛情表現を、両親から私へ対しての視点では実は無条件の愛情だったと捉えられると気づき、そう感じる事が出来て、受け取れた私は、喜びを感じました。
これからは、私が愛を返していく番なのではないか...と思いました。
両親への無条件の愛、どうやったら返せるのだろう..
両親への未完了の感情との再度の向き合い~最善のタイミングで深く腑に落ちる~
幼い私は、無条件に愛されたかった。安心したかった。だから、
「無条件に愛されなければ生きられない」と
思い込んだ、と。
でも、与えられたのは条件つきの愛情だ(と捉えた)から、体験している環境が過酷だと捉えた私が、そこで安心感を得て生きていく為に、
私が生きていく環境は条件つきの愛情の中だと、
私が生きる為にはこの条件つきの愛情が必要なんだと思い、
「無条件に愛されたら生きられない」、
弱さを受容する事②~他者と繋がる為にまずは自分を大切にする~
そして、帰宅途中、運転しながら、行き交う人達を感じながら、誰もがそういうふうに生きていると。
そもそも、人は誰もが強さと弱さを持っていて、色々な気持ちを抱えながら、日々バランスをとりながら生きているんだと思いました。
誰もが心の奥には、向き合いたくない事、思い出したくない事、言いたくない事など、色々な事を抱えてる。
私もそうだった(そうである)ように、多くの人が、何かに悩み、苦しみ、なかなか人に話
弱さを受容する事①~弱い自分もありのままの自分~
自分と向き合っている事は、自分の中の見えにくい深い部分や、普段気づきにくい自分の物事の捉え方に気づき直す事のようで、しかも気づく事はいつも当たり前にわかっていた事のようなので、家族にも友人にも、事細かく深い部分までは、なかなか話せず、相談も出来ない(伝えきらない、伝わりきらない)ものでした。
私は、時々ですが義妹と連絡をとり、深い部分までは話せなくても、その時話せる素直な気持ちを吐露して、親身にな
究極の矛盾だったと知る事~私にとっての無力感・無価値感~
後日、ふと、昨年夏頃の向き合いで気づいた事を思い出しました。
それは、幼少期、それ以降、私は父親に過度に行動を制限されて涙するという日常だった為に、
自分には、生きる為に悲しむ事や悲しいと涙する環境状況が必要だと無意識に思い込んでいた事。
また、悲しいと涙するように物事を受け取る思考の癖がついていた、という気づきでした。
(note記事 自分の中の制限に気づく事~当たり前のようになっていた事~20
こういう私が私なんだと腑に落ちる事②~バランスをとる~
私にとって、色々考える事は、幼い頃から身に着いた事だったと思います。
特に、幼少期から児童期の生育環境での体験は、通常の感覚で感じると辛く苦しかった為に、感覚を閉じて生きなければ、その環境で生きられなかった気がします。
感じる、という事をやめた為、必然的に思考優位になっていき、物事を自分流に考える事や、考え過ぎてしまう癖が付いたのかもしれません。
持って生まれた気質に、育った環境からの影響が加わっ
こういう私が私なんだと腑に落ちる事①~自己承認~
自分の内側に、静かな情熱を感じた後日、アドレナリンが分泌していたのか、今までで1番効率よく仕事が出来て、無理なく予定以上の仕事をする事が出来ました。同僚と労い合って、嬉しさと達成感を共有しながら帰りました。
ただ、その後日は、仕事内容や、場の状況によって、そのような成果は出ず。残念に感じる日々でした。
モチベーションを常に一定に保つとか、いつも同じように成果を出す事はやはり難しい、現実は甘くない、