天国をイメージするとき、そこに硬さが存在することはないだろう。つまり、我々が理想とする社会は、柔軟性に富んだ世界なのだ。自由という言葉から、硬さを感じさせないし、愛や平和からは柔らかさしか感じられない。硬さは過多から生まれる。人は中庸であるとき、柔軟にバランスよく生きていける。
自信に溢れてる!とか ハングリー精神!とか 強い言葉も悪くはないけど 「過不足がない」という ふんわりした安心感のある言葉も好き はるを。 #凶運を強運にする思考
自信があるのとオゴリは違うし 謙虚なのと自分を卑下するのもちがう 謙虚で自信を持ってる人にはおのずと運がついてくるんだよね でもどっちも紙一重なんだよなぁ はるを。
君子慎独。君子は独りを慎む。人が見ていようといまいと、やるべきことをやり、やってはいけないことをやらないのです。人によって自己の生き方を変えるような主体性のないことはしないのです。人は見てなくてもお天道さまが見ているというのが日本人の美徳でした。隠れたるより現るるは無しなのです。
自分の見ている世界だけが真実だとおもわない方がいい。かといって、自分以外の誰かの言うことを鵜呑みにしすぎないのがいい。 人の数だけ世界があってしかり。 自分なりの中庸点をみつけるためにこの世界にいるんだから、ニュートラルな場所にいることを心がけたい。
勢いがある人や頭の回転が早い人のほうが 分かりやすいので「すごい!」となりがちですが、 立ち止まって「悩む」ことも大事なんですよね 後先考えずに突き進むだけでは全て中途半端に終わるし 思い悩みすぎて尻込みしていてはチャンスを逃がしてしまいます 結局のところバランスなんですよね
人が中庸の位置に立つとき、ニュートラルになることができる。ニュートラルとは、自然と喜びが浮かび上がってくるような状態。幼い子がいつもニコニコしているのは、ニュートラルな状態が保たれているから。我々の初期設定は喜びでできている。だからこそ老子もキリストも幼子に返れという言葉を残す。