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人に良いものについて考える

人に良いものと書いて、食という字だけど体にいい食事とか、体に悪い食事とかいう。自分もいつも使っちゃうんだけど、いい食材とか、悪い食材とかじゃないんだよね。本当は。その時のその人にとってよかったり、悪かったりする訳で、食材にいい・悪いとかはなくてホント全てはバランス・調和なんだと思う。

下の子の小学校は家の前までスクールバスが山を登ってきてくれる。そのスクバの運転手さんがとってもいい人で、優しくてあったかくて大好きなんだけど、その人は部類のギャンブル好きなのだ。でも、お金には全く執着してなくて、あくまでゲーム感覚で楽しんでる。というのは、ほとんどお金を使わない生活をしている。料理はせず、一日3食あんぱんのみ。間食も酒もタバコもしない。湯船が嫌いだからシャワーしか入らない。洋服は別れた奥さんが買ってきてくれるから自分で買わない。(元奥さんに年金が入るように籍は入れたままにしてあげてるらしい)店はコンビニくらいしか行かないし、スーパーもダイソーも大抵の店に行ったことない。外食もしない。土日の競輪が何より楽しみで長い時は朝から23時まで夢中でやってるらしい。お客さんのほとんどが顔見知りで楽しいらしい。でも、競輪場では食べられるものがなく、何も食べないみたい。

スクバの運転手さんは大型免許がないと働けない上に拘束時間が長く賃金が安い。ほぼボランティアだ。朝、4時に起きて、5時前に家を出る。朝の送迎後は、帰りの送迎までどこかで時間を潰さないといけない。途中、遠足や課外授業の送迎、休日の部活の送迎もあったりする。12時間くらい拘束されているのだ。その人は、家も遠いので、家と学校の中間地点に位置する駅の店で時間を潰す。その店の犬の散歩を空き時間に3回し、近くの群生したブルーベリー畑の剪定と草刈りをしている。

休みの日はもちろん、お楽しみの競輪に繰り出すが、その人はスクバの送迎ルートの寺社やお地蔵さん、エネルギーのある場所にお供物をし、お参りして回るのだ。そして、子供にも色々お土産を持ってきてくれる。休みの日に車で1時間もかかるのに来ているのだ。

偏食な運転手さんはあんぱんしか食べてないが、健康診断はもちろんA。負けることもあるけど、競輪もパチンコも株も当たっている。ただ、ゲームとして楽しんでるだけで、当たったお金のほとんどは人のために使う。

20年近く前、私は荻窪のマクロビのレストランで料理人をしていたことがある。無農薬野菜、自然の調味料、全て手作りの店。体にいい食事を提供しているはずが、そこに来ているお客さんは、私にはほとんど病人に見えた。その人たちを見て、私はマクロビは絶対やらないと思っていたし、スタッフも完全なマクロビ実践者はいなかった。

あるお客さんは、マクロビの人は中庸にするために玄米に胡麻塩をかけて食べるのだが、その胡麻塩のビンを3人家族で三本目も使っていた。割と大きめの瓶だったのにだ。私は店長にあのお客様4回目のお替りなんですよ、と話すと、渡した空瓶を手に取り言ってくるわ、と話に行った。何を言ったのかは知らないが、4回目のおかわりはなしとなった。そのお客さんは食後にいつも1時間以上トイレにこもって歯を磨き続ける人だった。

パトリシアさんというマクロビの講師や料理で有名な人もよくきてくれた。毎回、静かにじっくりメニューを見て、多分その時の自分の体の声を聞いているのかな?オーダーの組み合わせが毎回違っていてバランスが良くみえた。白身魚だったけど魚もよく食べてたし、デザートもつけたり付けなかったり、なんか纏ってるエネルギーも心地良かった。

かたや、その人の生徒さんたちもよくきたけど、混んでるランチ時間に玄米と味噌汁とひじきだけで、長蛇の列で席を交代してほしい雰囲気にも気付かず、ずっと話しまくり、結局席を譲ることはなかった。
近くの有名なヨガ教室の生徒さんは、階段を登りながら大声でオーダーを叫び、案内してない席に座り常連風を吹かせた。私は心の中で、間違えたと言って大量の肉でも投入した方がバランスが取れるんじゃないかと思ったものだ。

マクロビの人や自然食、健康にものすごい気を使ってる人でガンになる人やガンで亡くなる人は多い印象がある。いいとか、悪いとか、正しい、間違ってるとか、分からなくなる。長く生きることが幸せなのかといえばよく分からないが。

この草には毒があるから食べちゃダメとか、ジャンクフードは体に悪いから食べないとかそういうことでもない気がする。毒を持って毒を制することがあるように、毒であってもその人の状態によって益になることがある。マクロビを真面目に一生懸命やりすぎるよりも、ジャンクフードを仲間と楽しく食べる方が、もしかすると体調が良くなるかもしれない。

分からないけど、やっぱりバランスと調和に尽きるのではないか。内なる自分の調和。どんな自分でありたいか、本来の自分か、ありのままでいられているかを中心に捉えた上で、周りとの調和。周りとの繋がりの中で本来の自分でありながら、どうあることが調和を取れているかを考えて自分の立ち位置を感じる。

黄帝内経では、適量を取り入れることが益だと教えていると感じた。暑さも季節によっては適量取ることで次の寒い季節に備えることができる。寒さも然り。風や乾燥、湿り気。取りすぎも足らずもダメで、適量を取り入れるがベターという難しさ。適量ができればねー、適量が見極められるようになり、適量を取り入れられるようになれば、本来の自分であり続けられ、人や自然や宇宙との調和が取れるようになるんだろうけど。

ついつい、流される。それが人間らしくていいとこでもあるのかな。

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