孔子や儒教の何がすごいの?

孔子や儒教に全く興味のない人に「孔子って、なんで有名なの?」を説明することは難しい。孔子って有名な人なんだよ、孔子の始めた儒教ってのは中国で支配的な思想なんだよ、と説明しても「ふーん?」と首を傾げ、「で、何がすごいの?」で終わってしまうように思う。そもそも、儒教の何がすごいの?

孔子の言葉集である「論語」を読んでも、弟子に何か説教しているなあ、で感想終わってしまいかねない。いいこと言っているのをいくつか見つけても、「この言葉の何がいいのかわからない」というのも多い。「論語」を読んでも、中国の歴史を支配できた理由を読み取るのは難しい。

儒教の重要古典である四書五経を読んでも、何がすごいのか、中学生にも分かるように説明せよと言われても、いまいちピンとこない。儒教の何がすごいのか、ということを端的に伝えることは、とても難しい。いったい孔子や儒教は、人々の心をどうしてとらえることができたのだろう?その力は何?

孔子のすごさ、儒教のすごさに、ようやく気づくことができたエピソードがある。
中国を統一し、漢帝国を創り上げた劉邦という人物は、儒教を信じる人(儒者)が大嫌いで、その独特の服装を見ると蹴とばしたり怒鳴り散らしたり、ひどい扱いで対応したことで有名。そんな劉邦が、ある日、困っていた。

中国を統一したはずなんだけど、宮殿内では将軍たちが刀を抜いてケンカするのが日常茶飯事。皇帝がいるのに、平気でケンカを始める。戦国時代の興奮がまだ冷めていなくて、乱暴者ばかり。「俺は本当に皇帝になったのかね?みんな、俺を偉いと思ってる?」と首をかしげざるを得なかった。

そこで儒者(ただし劉邦が嫌がるので儒者の服は着なかった)の叔孫通が「私にお任せください」と言い出した。劉邦は叔孫通に任せてみることにした。
さて、その儀式の日。いつものようにガヤガヤしていると、音楽が鳴り、「静粛に」と声が。それでも騒いでいる人は、部屋の外に連れ出された。

その様子を見て「あ、騒いだら部屋にいられないんだ」と気がついて、みんな静かに。音楽が鳴る中で「皇帝の、おなーりー、皆様、頭を下げてください」と声をかけられると、周りの様子を見ながら、みんな一斉に頭を下げ、皇帝の劉邦が入場。その後、儀式は静かに、着々と進んだ。

ケンカが一つも発生せず、みんなが打ち揃って儀式を進行し終えた様子を見て、劉邦は「俺は今日初めて皇帝が偉いんだということがわかったよ」と答えたという。
いったい叔孫通はどんな魔法を使ったのだろうか?

人間は、周囲の様子を見て行動を決めるというクセがある。また、音楽には「なんだ?なんだ?何事が起きた?」と、人々の関心を音楽に引きつけ、それまでしていたことから意識をそらす力がある。叔孫通はそれら人間の特性をうまく利用して、人間集団をうまくコントロールして見せた。

音楽を鳴らせば、それまで喧嘩したり談笑していた人も「何事が起きた?」と、いったん意識をそらすことができる。そこで「静粛に」と声をかけ、それに従わない人はスタッフが部屋の外に連れて行けば、「あ、黙らないと部屋から連れ出されるんだ」と察し、静かにしようとする。

いちいちルールを説明しなくても、状況から察し、どうすればよいかを理解する。「礼」には、そうした力があることを孔子は見抜き、儒教は、そうした「礼」によって人々をコントロールする技術を伝えるものなのだ、と考えると、孔子のすごさ、儒教のすごさが見えてくるのではないだろうか。

NHKの番組「オドモテレビ」で、面白いパントマイムがあった。二人の大人のパフォーマーが、フラフープをくぐらされると動きが完全に止まってしまう、という様子を見せた。すると、そばで見ていた女の子もフラフープをくぐらされた時、動きを完全に止めてみせた。「暗黙のルール」を察したわけだ。

次は小さな女の子にフラフープをかざすと、その女の子は怖くなって逃げてしまった。「フラフープをくぐると動けなくなっちゃう!」と信じてしまったからだろう。これら一連の出来事は、パントマイムだから全部無言のうちに進行したのだけれど、幼い女の子にも「無言のルール」はしっかり伝わった。

人間はこのように、周囲の様子から「暗黙のルール」がどうなっているのかを察する能力があるらしい。そしてそのルールに従おうとする性質があるらしい。孔子の始めた儒教は、人間のこうした性質を利用し、「礼」の力で大人数を制御する技術を開発した。これが画期的だったのだろう。

もちろん、儒教はこれだけの学問ではないのだけれど、「どんなところがすごいの?なぜ歴史の名を刻んだの?」という答えとして、「礼という技術(システム)は、集団を意のままに制御することが可能」ということを発見し、発展させたからだ、ということは、一つ言えるのではないだろうか。

儒教は、「礼」の力によって集団制御術を生んだ。それが歴史に名を刻んだ理由の一つ。これを説明できると、孔子という人物、儒教という学問の力に納得し、学んでみたくなる気持ちになるのではないだろうか。

私は、儒教関連の書物(論語、孟子、荀子、近思録、大学、中庸、史記、春秋左氏伝など)を読んだけれど、孔子のすごさ、儒教のすごさが長いこといまいちピンとこなかった。「で、何の役に立つの?」というところがなかなか響かなかった。

「儒教?孔子?そんなもの役に立つもんかあ!」と嫌いまくっていた劉邦が、儒教の実力を認めざるを得なかった叔孫通のエピソードで、初めて「あ、儒教って役に立つことあるんだ!だから儒教は生き残ってきたのか!中国の歴史を支配できたのか!」と、ようやく納得することができた。

世の中には、私のように「で、何の役に立つの?」という疑問が解けないと、学ぶ必要を感じることができない人が一定数いる。そうした人に「孔子や儒教は素晴らしいから学ぶのだ」と答えても、それは答えにならない。「で、何の役に立つの?」ここに端的に答えることができないと、その先に進みにくい。

「礼」は、戦国時代を生き抜いてきた荒くれ男たちさえも、儀式のルールに自然と従わせる力がある。これはものすごいことだと思う。ではなぜ「礼」にはそんな力があるのか、なぜ孔子はその力に気づくことができたのか、と考えると、儒教を学ぶ動機も生まれやすくなるように思う。

孔子の教えは、実際に役に立ったから、中国という国を作るうえで大きな役割を果たしたから、歴史に名を刻んだのだ。そう考えると、中国古典を学ぶ気にもなるのではないだろうか。そんなつもりで、2月末発刊の「世界をアップデートする方法」を書いてみた。興味が湧いたら、読んでみてほしい。

私たちは、哲学思想なんか知らなくても生きていける、と思っている。しかし、哲学や思想が作り出した思考の枠(思枠)の中でしか、私たちは考えることができていないことに気づくと、その呪縛の力のすごさに驚かされる。

哲学や思想は、いわばパソコンやスマホのOS(オペレーションシステム)のようなものだ。OSの上でいろんなアプリが動くけど、OSの外側ではアプリを動かせない。すべてOSの手のひらの上でしかアプリは動かすことができない。哲学や思想は、人類にとってのOSにあたる。

ところが、古いOSのままでは不具合が起きることがある。新しい時代にうまく適応できないことがある。そんなとき、哲学者や思想家は、「OSをこう書き換えたほうがいいですよ」と、アップデートしてみせた人たち。提案した当時は「何をバカなことを言っているんだ」と批判されまくっても。

やがて、哲学者や思想家が提案したことが、新しい時代の常識へと変わっていく。こうして世界は何度もアップデートを繰り返してきた。孔子が創始した儒教も、中国をはじめとする東アジアの国々(日本や韓国)のOSとなってきたものの一つ。

なぜ哲学者や思想家は、その時代に新しいOSの必要性に気づくことができたのか?それをどうやって言葉に紡ぎ、人々に伝えることができたのか?その時代の社会状況を見据えながら考えると、「アップデートする方法」が見えてくる。

今回書いた本は、過去を説明するために書いた本ではない。現代を生きる私たちが、新しい時代のOSにアップデートするにはどうしたらよいか、その方法を先人から学ぶために書いたものだ。

昔の人も、多くは古いOSの中で考えていた。しかし哲学者や思想家は、古いOSではもう対応ができないことを見抜き、新しいOSはどうあるべきかを構想し、それを提案した人たち。ほとんどの人が古い「思枠」の中でしか考えられなかったのに、なぜ哲学者や思想家はそれを可能にできたのか?

それを、様々な事例から学ぶことで、私たち自身がマネできるようにしたい。現代社会はいろんな行き詰まりを見せている。新しいOSに変えなきゃいけないけど、どう書き換えるとよいのか、見えていない。それを、私たち自身の手で達成しなければならない。

「世界のどこかの賢い人」に任せればいい、というわけにいかない。哲学者や思想家たちの歴史を見ると、社会の中心にいた人ではないことがわかるだろう。孔子なんかも、のちには弟子がたくさんできたかもしれないが、別に支配者層から生まれたわけでもない。若い頃は一人から始めたのだろう。

私は、新しい時代のOSを考える人を増やしたい。そのすそ野を広げたい。それによって、よりよいOSが誕生する確率を上げたいと考えている。そのためには、できるだけ多くの人に「世界をアップデートする方法」を身に着けてほしい、と願っている。

この本が、新しい時代を切り開く一助となりますように。新しい時代のOSを生み出すことに、いささかでも役に立ちますように。そして若い世代の人たち、これからの世代の人たちも、人生を楽しく生きていける、そんな世の中が続きますように。

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