安定=不自由。不安定=自由
先日、私が参加している「知心会」の4月の定例講に出席しました。「知心会」では、ありのままの己の心を観ながら仲間と共に研鑽する機会の一環として定例講があります。
定例講では、知心会の「20則」がテーマのひとつとして取りあげられます。「20則」は、「これに従って生きていけばよい」という、目印のようなものとされています。
この日の「20則」で印象に残ったものについて、ここでは2つ振り返ってみます。
<摂理に従う>
摂理のひとつとして、「世の中のものはすべて移り変わっている」というお話がありました。
世の中は変化する。社会・経済は日々発展していく。季節も日々変わっていく。悠久の自然はそう簡単には変わらないが、それでも長い時間軸でとらえると、すべての動物・植物も少しずつ進化をしていく。昨日とまったく同じ景色・環境の今日はない。
ごく当たり前のことですが、普段の日常の中では忘れかけてしまうことでもあります。
この日の講話で「変化は自由。安定は不自由」というお話がありました。
なぜなら、世の中のものすべてが移り変わっていくのが摂理だからです。言い換えると、不安定なのが自然の摂理ということです。逆に、安定的に自分の仕事や生活をまったく変えずに維持したい、と思った瞬間に、不自由になるというわけです。
私たちには、安定させたいという現状維持欲求があります。安定=不変のほうを選ぶという意思決定も可能です。そのうえで、安定は不自由だというのを認識しておく必要があるのだと思います。安定=不変=不自由です。
安定にしがみつくのは、過去の結果にしがみつくということであり、成長が止まるということでもあります。すべての動物・植物は成長・進化していくという摂理がある以上、成長を止めるのは不自由になることと同じだという示唆は、もっともな気がします。
一方で、自分も摂理に合わせて変化していこうとすれば、自由な存在になれるわけです。不安定=変化=自由です。
「安定」と「自由」を同時に手に入れることはできない。そう思って日々の活動に臨むだけでも、心持ちと向き合い方が少し変わってくるように思います。
<中庸におく>
心をニュートラルな状態に戻すことが大切です。
私たちは感情の生き物です。喜怒哀楽があるし、迷惑をかけるときもあるし、後悔するときもある。その瞬間に感情がぶれるのですが、すぐにニュートラルに戻すことをするとよいというわけです。
加えて、寝るときに、1日のまとめとして心をニュートラルに戻す行動をとるとよいというお話がありました。その日にあった出来事や、今気になっていることで感情がぶれているのであれば、その逆のことを考えてニュートラルにするというわけです。例えば、次のような行動です。
・人に腹が立つなら、その人のいいところを10個書き出して寝る。
・「今日はついてない1日だった」と思ったならば、「今日よかったこと」を10個書き出して寝る。
・湯船につかって深呼吸してから寝る
デジタル大辞泉では、「中庸」について「かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること」と説明されています。考え方や行動などが、ひとつの方向に偏らず穏当であることを意味する「中庸」は、古くから洋の東西を問わず、人間にとって重要な徳目のひとつとされてきました。
「何かに偏っている」と感じたらニュートラルに戻すようにする。1日のまとめとしてニュートラルな状態に戻して明日を迎える。生活の営みの中で、大切なことだと言えます。
・真の自由な状態=自己実現に向かっている状態は、安定の先にはない。不安定=変化の先にある
・自分を変化させようと努力すると、感情がぶれる局面に出合う
・感情が一方向に偏らないよう、中庸に戻す努力をする
簡単ではありませんが、習慣化させていきたいと思います。
<まとめ>
自分を中庸におきながら、不安定な変化に臨む。
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