西願広望

パリ第1大学歴史学博士。 若い方々、また一般の方々との関係を大事にしたくて、パブリック…

西願広望

パリ第1大学歴史学博士。 若い方々、また一般の方々との関係を大事にしたくて、パブリック・ヒストリーを実践しようと、noteを始めました。どうぞよろしく。

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何故かくも自分の命にしがみつくのか

聖書では「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書第15章)と、自己犠牲の大切さを唱えている。 そもそも古代ギリシア以来、西洋では、自分が所属するポリスのために自分の命を犠牲にすることは、民主政の観点からも重視されてきた。 また昭和の日本では、『ジャングル大帝』、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、『風の谷のナウシカ』などが、自己犠牲でフィナーレを飾った。 自己犠牲の理念を否定した現代日本しかし21世紀の日本社会は自己犠牲の理念

    • 「世界の凡庸さの一端に責任がある女、殆ど世界の凡庸さを象徴するような女だった。(中略)他の人間を幸せにすること、自分を幸せにすること、それはどちらも彼女の力に余ることだった。端的に言って愛する能力がなかったのである。」(ウエルベック『滅ぼす』) 男女問わずいるいる、そうゆう人。

      • 誰かが言っていた。 「政治家は一つの政策で複数の人間を満足させるのが仕事だ。 しかしそれは原理的に不可能だ。なぜなら人間はみんな違うのだから。 それゆえ政治家には嘘が必要になる。」 政治家にモラルを求める必要はない。 法律の遵守だけ求めればよい。 政治に疲れたら花を愛でよう。

        • 「この年になるとまごころと若さとを一緒にお目にかけようとするのは大へんね。なぜって多少ともいつわらなければ若くは見えず、そのいつわりが肝腎のまごころを差し引いてしまうことになるのだもの。」(三島由紀夫『鹿鳴館』)

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        何故かくも自分の命にしがみつくのか

        • 「世界の凡庸さの一端に責任がある女、殆ど世界の凡庸さを象徴するような女だった。(中略)他の人間を幸せにすること、自分を幸せにすること、それはどちらも彼女の力に余ることだった。端的に言って愛する能力がなかったのである。」(ウエルベック『滅ぼす』) 男女問わずいるいる、そうゆう人。

        • 誰かが言っていた。 「政治家は一つの政策で複数の人間を満足させるのが仕事だ。 しかしそれは原理的に不可能だ。なぜなら人間はみんな違うのだから。 それゆえ政治家には嘘が必要になる。」 政治家にモラルを求める必要はない。 法律の遵守だけ求めればよい。 政治に疲れたら花を愛でよう。

        • 「この年になるとまごころと若さとを一緒にお目にかけようとするのは大へんね。なぜって多少ともいつわらなければ若くは見えず、そのいつわりが肝腎のまごころを差し引いてしまうことになるのだもの。」(三島由紀夫『鹿鳴館』)

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          ピエール・ロチと森鴎外

          〈note的には長めの約5千字〉  日本では『お菊さん』で有名なフランスの作家ピエール・ロチ(1850~1923)については先行研究も多い。あらためて学術論文を書くこともない。ただ若干の感想をノートしておく。  誤解されたくないのではじめに述べておくが、本稿の目的は、ロチが植民地問題について「良識派」だったと主張することで、彼の植民地責任を減免することではない。そうではなく、ロチが森鴎外の同時代人だったことを想起することで、19世紀末、グローバル化が飛躍的に進展した時代に

          ピエール・ロチと森鴎外

          電子媒体は紙媒体を凌駕するか

          ときどき本が見あたらなくなります。 アレ、どこ、いっちゃったんだろう。 書架を探すときの決め手は、本の形態です。 とりわけ色と大きさ。 タブレットでは不可能なワザですよね。 タブレットで不可能なことは、あんがい多いのです。 例えば押し花を作ることはできません。 でも時流はタブレットなのでしょう。 新聞も漫画も、紙媒体ではなくてタブレットで読むんだとか。 たしかにnoteを、僕は電子媒体で読んでいます。 プリントアウトして読む方は珍しいのでは。 さてここでお待ちかねのクエ

          電子媒体は紙媒体を凌駕するか

          みんな元気な自動車のCM

          CMのなかで、自動車はいつも元気と楽観主義の表象みたいです。 「自動車を使って遺体を山中へ」みたいなCMは、ありません。 以下、自動車CMの楽観主義の事例を三つ、ご紹介しましょう。 ①例えば、次の環境保護団体の女性。元気です。 ②次の方々も、元気です。 ③だって自動車に乗れば、若返るんですもの。 ナレーションによれば、 「なにごとも、続くこと以上の価値はありませんから。Fiat500xは10年間の保証期限つきです」。 ちなみに、西願は自動車を持っていません。 だって

          みんな元気な自動車のCM

          次から次へと大冒険のCM

          ゴールデンウィーク、僕はテレビ漬けの毎日です。 映画か海外テレビドラマを、ケーブルテレビかアマゾンプライムで観ています。 ちなみにフランスにもケーブルテレビは在ります。 カナル・プリュスが老舗です。 今回はそんなカナル・プリュスのCMをご紹介したいと思います。 ①大冒険最後のシーンのセリフ 若い男「それから配送用のトラックに積まれ、私はここにいるのです。」 スーツ姿の男「信じられない。なあおまえ、聞いたかい?」 女「ええ、フシギなこともあるのね。」 ②続編上のCMは評判

          次から次へと大冒険のCM

          スマートか、シンプルか -ノルウェーのCM

          今回、ご紹介するのはノルウェーのディスカウントショップのCMです。 従って、舞台はノルウェー。 主人公は「意識高い系」の男です。 スマートなマシーンとは英語で話しますが、隣人とはシンプルにノルウェー語で話します。 このCM、日本の中学校1年生の英語の教材として、使えないかなあ。

          スマートか、シンプルか -ノルウェーのCM

          こどもには分からないCM

          明日は、こどもの日。 でもこどもの日、敬老の日、体育の日、文化の日と、まるでソ連かよと思うのは、僕だけかな。聖徳太子の日とか、戊辰戦争終戦記念日とか作ったら面白いのに。 さて周知のごとく、育児はたいへんです。 楽しいことばかりではありません。 物質的苦労も精神的苦労も、なみのものではありません。 今回は子育てにちなんだCMを二本、ご紹介しましょう。 例えば次のCMでは、なによりもお父さんが頑張っています。 最後の字幕、「それでもまだ運転を楽しむことはできます」が効いてい

          こどもには分からないCM

          映画『ゴジラ-1.0』をアマゾンプライムで観た。 戦闘シーンの素晴らしさに比し、人間が描けていなかった。 紋切り型のセリフに涙して笑った。 役者が感情をあらわに表現するほど、しらけた。 泣き叫べば、必ず何かが伝わると思ってもらっては困る。 完璧なゴジラ映画は存在しないのかも。

          映画『ゴジラ-1.0』をアマゾンプライムで観た。 戦闘シーンの素晴らしさに比し、人間が描けていなかった。 紋切り型のセリフに涙して笑った。 役者が感情をあらわに表現するほど、しらけた。 泣き叫べば、必ず何かが伝わると思ってもらっては困る。 完璧なゴジラ映画は存在しないのかも。

          映画みたいに綺麗なCM

          今回は「笑い」からは少し離れて、フランスの美しいCMを二本、御紹介しましょう。 結局、美しさには贅沢が不可欠なのでしょうか。 CMのような、経済的効率性が不確かなものに、惜しみなくお金と時間とアイディアを与える、だから美しいものができあがる-。 やっぱり、美と富と知は関係があるのかな。 考えてみれば、文学芸術も教育も、経済効率との因果関係は必ずしも明瞭ではありません。たくさんの労働の結果、たいした見返りが生まれないこともしばしばありますから。 それにもかかわらず、僕は美し

          映画みたいに綺麗なCM

          笑う馬のCM

          なぞなぞ。 馬がバカ笑いをしています。 な~ぜだ。

          笑う馬のCM

          あなたが微笑むのはどんなとき?

          noteではしばしば芸術愛好家の方々にお目にかかれて嬉しいかぎりです。 今回はそんな方々に感謝をこめて、あるCMをご紹介しようと思いました。 冒頭、ダヴィンチが「微笑んでね」と言っています。 さてジョコンダさんは…。

          あなたが微笑むのはどんなとき?

          チョコレート菓子は誰のもの?

          日本では、チョコレート菓子は子供の食べ物とされています。 でもヨーロッパでは、性別年齢に関係なく、ちょっとした休憩のために食べるみたいです。 そりゃあ「自分を信じて」とか、説教臭いプレッシャーと一緒にチョコレート菓子を差し出されてもさ、オコチャマはともかく、オッサンには共感できないわなあ。 少子高齢化を乗り切りたければ、子供相手だけじゃあ、まずいんじゃない? ヨーロッパでのCMです。三編つづけて御覧下さい。

          チョコレート菓子は誰のもの?

          まずはビールじゃなくて、まずは近代化を

          相互フォローさせていただいている方から、西願、おぬしが望む革命とはいったい何なのだ、みたいな質問を受けたので、お答えします。 未完の近代化非常に平凡で、面白味も独自性もないお答えでたいへん申し訳ないのですが、僕が望むのは、とりあえずまずは近代市民革命です。即ち近代化です。民主主義であり共和政です。そして社会における個人の人権の確立です。 ですから極めてありきたりで地味な話になります。 思えば明治の御代から日本人は近代化を試みてきました。 そして制度上は憲法や国会をつくり

          まずはビールじゃなくて、まずは近代化を