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古谷経衡 『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』 : 右とか左とかではなく

書評:古谷経衡『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中公新書ラクレ)

とても面白く読んだ。
著者は、「若手の保守論客」から「リベラルの論客」に転じた人一一と言うよりは、「反・保守の論客」に転じた人だと、そう理解すべきなのであろう。

「反・保守」が、「保守派」の側から見れば「左傾した(左に転向した)裏切り者」というふうに映るわけだが、実際のところ、この人は、もともとリベラル的な体質の持ち主だったところに、それを修正するかたちで「本来の保守思想」が入ってきた結果、「保守」思想を持つ人になった。

ところが、日本の「保守派」の現実は、「本来の保守」とは似ても似つかないものだったために、おのずと「反・保守」に転じざるを得なかった、というようなことであろうし、本書には、そうした著者の内面性がよく反映されていて、そこが面白いのである。

本書の大雑把な内容を、Amazonからの引用で紹介しておこう。

『あなたの隣にいる!
久しぶりに実家に帰ると、穏健だった親が急に政治に目覚め、YouTubeで右傾的番組の視聴者になり、保守系論壇誌の定期購読者になっていた――。こんな事例があなたの隣りで起きているかもしれない。中にはネット上でのヘイトが昂じて逮捕・裁判の事例が頻発している。そのほとんどが50歳以上の「シニア右翼」なのである。若者を導くべきシニア像は今は昔だ。これは決して一過性の社会現象ではなく、戦前・戦後史が生みだした「鬼っ子」と呼ぶべきものであることが、歴史に通暁した著者の手により明らかにされる。
そして、導火線に一気に火を付けたのは、ネット動画という一撃である。シニア層はネットへの接触歴がこれまで未熟だったことから、リテラシーがきわめて低く、デマや陰謀論に騙されやすい。そんな実態を近年のネット技術史から読み解く。 かつて右翼と「同じ釜の飯を食っていた」鬼才の著者だからこそ、内側から見た右翼の実像をまじえながら論じる。』

『 ■本書の目次■

プロローグ―右傾の主役

シニアとは何者か?/若者右傾化論はウソ/名作に見る賢人としてのシニア像/誇らしかった祖母の思い出/ヘイト、刑事事件の数々/シニア右翼に逆らえないメディア業界

第一章 右傾の内側―息を吐くように差別をするシニアたち

若者の街・渋谷に出現した「大人の拠点」/弁護士21名への大量懲戒請求事件/謎の煽動者を支持したのは誰か?/私はシニア右翼を「参与観察」してきた/なぜ日の丸をペイントして君が代を歌ったのか/架空戦記モノと『戦争論』からの影響/保守論壇は「老人ホーム」/若さが希少価値に/「民主党政権打倒!」と叫ぶ老人たち/東日本大震災と原発賛成・護持/若者向け番組へのリニューアル失敗/安倍人気の遠因/安倍待望論の主力は誰だったのか?/右派集会が格好の参与観察の場だった/私がチャンネル桜に幻滅した理由/バッシング、誹謗中傷との闘い

コラム1 宗教保守とは何か

第二章 右翼とは何か、ネット右翼とは何か

源流は幕末の水戸学/戦前の一君万民論とアジア主義/「異端」の清朝、「失望」の中華民国/現在の右翼は「エセ右翼」/「ネット右翼」とは何者か/「保守系言論人」「右派系言論人」の熱心なファン層/ネット右翼の属性は「下士官」クラス

コラム2 ネット右翼の総人口を見積もる

第三章 右傾の門戸―ネットの波に遅れて乗ってきた人々

きっかけはYouTube/パソコン通信からインターネットへ/ネットは普及当初、文字の世界だった/ケータイ第一世代はネットの情報を警戒していた/ゼロ年代、一気にブロードバンド大国へ/YouTube無料公開で躍進した右派番組/シニアのネット利用者は爆発的に増加した/シニア層はネットの危険性への免疫がない/もはやネットユーザーの主力はシニア/シニアのSNS利用は動画に偏重している/「ネット動画ユートピア国家」の誕生/アメリカの陰謀論者はシニア右翼か?/アメリカの右翼は若い/『ノマドランド』に見るアメリカのシニア像

コラム3 保守と右翼

第四章 未完の戦後民主主義

亡き父は晩年なぜ『ネット右翼』になってしまったのか」/戦後民主主義を享受した世代が、なぜ?/「ただなんとなく、ふんわり」とした受容/戦前と戦後の連続

①戦前と戦後の連続

看板のかけ替え/ナチを否定した戦後ドイツとの違い/翼賛系人脈の残存/疑似軍隊としての学校、企業/札幌市のど真ん中の家庭で見た「未完の民主化」

②民主的自意識の不徹底

「半農国家」戦前日本の実力/郡部が自民党を支えた/1票の格差が「保守王国」を育んだ/職能団体による与野党支持/都市部政党への脱皮を狙った小泉構造改革/構造改革の不徹底/百年の計より5年後の生活

③戦争の反省の不徹底―幻の戦争調査会

極東国際軍事裁判と「戦争調査会」/戦争調査会はなぜ短命に終わったのか/戦争の公的な総括は一度もない

④戦争記憶の忘却

戦後メディアの矜持/戦争経験者の死去とともに風化するもの/「なぜ戦争が起こったのか」が、なぜあいまいにされるのか/だからトンデモ理屈に飛びついてしまう/教育で現代史を「できない」理由/すぎやまこういちの敗戦体験/手遅れにならないうちに……

コラム4 異形の「親米保守」

終章 老人と子供

革新側のシニア化/ウトロ地区放火犯は22歳(当時)/若年世代がネット右翼になる可能性/大友克洋の漫画『童夢』の炯眼/SDGs教育の危うさ

エピローグ―この国に「真の民主主義」は可能か』

見てのとおりで、本書で古谷が語っているのは、次のようなことだ。

(1) 日本で「保守派」が増えたと言われると、若者が右傾した考えられがちだが、実際には、増えたのは、右傾化した「高齢者」であって、若者ではない。
(2) なぜ、高齢者の右傾が増えているのかというと、インターネットのブロードバンド化(高速回線化)がなされ、動画がストレスなく見られる環境が整った後にネットに参入してきた、ネットリテラシーに乏しい高齢者が、楽に接することにできる動画、特にYouTube動画に接して、その内容を鵜呑みにしてしまったため。

そしてここで、私が以前にレビューを書いた、鈴木大介『ネット右翼になった父』(講談社現代新書)の話になる。

鈴木大介は、同書で「父が亡くなった当初、私は父の使っていたパソコンのネット閲覧履歴や、遺された蔵書の一部を見て、父がいつの間にかネット右翼になっていたと思い衝撃を受けたが、よくよく考えてみると、そう簡単な話ではなく、詳しく調べてみたところ、父はやはり父であり、決して、歳をとって認知能力が衰えたために、ネット右翼になってしまった、というようなことではなかった」という、言うなれば「亡くなった父との、和解の物語」を描いていた、と言えるだろう。

私は先のレビューで、同書での鈴木のこの見解に対し「結局は、終始著者(鈴木)の独り相撲でしかない。大げさに亡父の右傾化を嘆いて、自ら進んでその事実をネットに晒したあげく、その罪深さや後ろめたさに耐えられなくなって、今度は、実は、父はネット右翼になっていたわけではなかったという、物語の矮小化を図ったにすぎない。それが本書だ」というような批判をした。

で、古谷経衡の方は、本書『シニア右翼』で、鈴木書の名を挙げた上で、鈴木や鈴木の亡父を直接的に批判するのではなく、そもそも「シニア右翼」というのは、もともと「いい加減に雰囲気だけの戦後民主主義者でしかなかったのが、ネット動画の一撃を受けて、それまでの曖昧な民主主義理解の間隙を突かれて、一気に右旋回したものにすぎない」というロジックで批判している。

つまり、鈴木は「父は、ネット右翼になったのではなかった。やはり、父の根っこは戦後民主主義的なリベラルであったのだが、そのリベラルさを補強するかたちで、保守的な言説に一部影響を受けただけだったのだ」と言い訳したのに対し、古谷は「もともといい加減な戦後民主主義者がネット右翼に転じたのだから、鈴木の父親のような場合は、ネット右翼に転じたわけではないということにはならず、そういうのこそが、ネット右翼の典型なのだ」とする議論なのである。

そして、こうした古谷の議論の根底にあるのは「社会党支持者だったにもかかわらず、決してリベラルな思想を生きていたとは思えない両親」に対する「愛憎」だと言えるだろう。

(もちろん例外はいるが)「戦後民主主義者」なんてものは、たいがいのところは「まがいもの」でしかなかったし、だからこそ、彼らは「情報の動画化」にともなって、いとも簡単に「保守派」に転じてしまったのだ、一一という見方の由来がここにあるわけだが、言うなればこれは、私がよく引用する「あらゆるものの、9割はクズ」理論(スタージョンの法則)と似たような考え方だ。

『 動画に触れるだけで途端に価値観がひっくり返るのならば、そもそもそれは確固とした価値観では無かったと判断するしかない。彼らシニアが需要してきた戦後民主主義が、徹底して彼らの精神を構成していたわけではなかった、としか考えられない。つまり「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」を原則とした戦後民主主義の大原則は、彼らの中ではまったく咀嚼されることなく、「ただなんとなく、ふんわり」と受容をされていたに過ぎないから、後年になって動画という「一撃」で簡単にひっくり返ってしまったのである。』(P177)

(3) では、なぜ「多くの戦後民主主義者」は、実際のところ「ただなんとなく、ふんわり」とした戦後民主主義者に止まったのであろうか?

その理由を、古谷は「日本の近現代史」に求め、「何かにつけて、不徹底でなし崩し的な日本人」の『未完の民主主義』に求めている。

戦後、戦争犯罪人を徹底して公職から追放したドイツとは違い、日本の場合は、戦勝国アメリカの意向が大きかったとはいえ、結局のところ、戦争を遂行した責任者たちが、そのまま戦後の政治世界を動かすことになってしまった。
つまり、戦争や敗戦の原因や責任を徹底的の総括し、その反省を未来に生かすということを全くしなかった(ことに代表されるような、それ以前からの、なし崩し体質の)ために、日本の「戦後民主主義」も、所詮は「与えられた」ものに終わった。
個々が、みずからの努力によって「血肉化」していなかったから、『後年になって動画という「一撃」で簡単にひっくり返ってしま』う程度のものでしかあり得なかったのだ、ということである。

(古谷経衡が参照した、片山杜秀の『未完のファシズム』。日本では、ファシズムですら不徹底で、未完に終わっているという議論)

この「日本人の精神史」における「歴史的理解」というのは、いささか「図式的」にすぎるきらいがあって、そのまま鵜呑みにすべきではないだろう。

けれども、ここで重要なのは、古谷が「自分で調べ、勉強し、自分の頭で徹底的に考えた」という事実である。
古谷のこうした見解は「お手軽な受け売り」ではないし、だからこそ簡単には覆されることはないのだ。

無論、古谷は「勉強家」なのだから、違った意見に耳をかたむることを厭いはしないけれども、しかし、そうしたものを「偉い人が言ってるから」とかいった理由で受け入れたりはせず、自分なりに調べ検討した上で、「心から納得できれば受け入れる」というスタンスなのである。

また、そんな古谷だからこそ、「保守業界」に入ってみて、「保守の論客」と言われる人たちの多くが、いかに「不勉強」であるかを知って驚愕し、自分の「啓蒙的努力」は「保守のお客さん」たちには決して届かないという事実を思い知らされるに至り、彼は、いわゆる「保守」を辞めるのである。
「こんなバカたちとは、つきあってられない」ということだったのだ。

(古谷経衡が昔、世話になった「チャンネル桜」。「YouTube」へのリンクが、やたらに目立ち、動画メインであるのがよくわかる)

したがって、古谷経衡においては、思想の「左右」は問題ではない(だから『SDGs教育の危うさ』を訴えもする)。また、言い換えれば「本物の保守かエセ保守か」ということも、さほど重要ではない。

彼にとって、重要なのは「自分で努力して身につけたものこそが、本物の思想」であり、語るに値するものなのであって、「自覚のない、借り物の思想を担いで回っている輩」など、左右の別なく「バカである」というスタンスなのだ。

つまり、本書から窺えるのは、古谷経衡という人が「ロジックの実質にこだわる人」であるという事実以前に、「情の人」であり、結構「熱血の人」だという事実である。

要は、左右の別なく「お手軽な人間」には我慢ならない人であり、そうした点では、日本の「保守業界の人間」などは、そもそも論外なのだが、それになまじ関わっただけに無視することができない。

また、何よりも古谷は、彼らと「直に接した実感」を持っているから、これほど確かな根拠はないと信じている。
古谷は、決して「体験主義者」ではないのだが、「反・イデオロギスト(反・頭でっかち)」という点において「体験主義者」的な人なのである(勉強とは、一種の体験である)。

そんなわけで、本書には、古谷経衡という人の「人となり」がよく現れていて、彼が「信用するに値する人」だというのが、よくわかる。

当然のことながら、彼も間違うことはあるし、その「体験主義(主観主義)」のゆえに、いくら勉強したとしても「感情に流される」ところはあるだろうが、少なくとも彼の言葉が「本音」に発するものであるという点で、彼その人は信用に値するということができるのだ。

彼は、そういう人だからこそ「不徹底な戦後民主主義者だったシニア右翼」が嫌いだし、「本を読まない、自称保守(やネトウヨ)」が嫌いなのだ。
そして、「盲信者が嫌い」という点においては、私の近い人間であり、私はそこに共感を覚えるのである。

くり返しになるが、彼が信用に値する人だとしても、だからといって彼の「意見」まで、そのまま信用するわけにはいかない。
けれども、結局のところ、人間にとって大切なものとは、「意見の正しさ」ではなく、「人としての正しさ」に発する「信用」なのではないだろうか。


(2023年4月20日)

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