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〈ポンチ絵〉と「プロのデッサン画」のごとき 格差 : 浮世博史 『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート : 近代~現代篇』 『同 古代~近世篇』

書評:浮世博史『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート: 近代~現代篇』『同 古代~近世篇』(幻戯書房)

たいへんなベストセラーとなった、百田尚樹の『日本国紀』(幻冬舎)。しかしまた、「日本通史」を名乗るわりには、その内容があまりにも恣意的であり事実誤認の多いこと、さらには無断転用(コピペなど)の多いことまでもが問題となった「話題の書」だったが、本書は、その『日本国紀』を、学術研究の成果に照らして検証し、その誤りを懇切丁寧に正した、上下巻合わせて900ページに及ぶ、大部の著作である。

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『日本国紀』の刊行が2018年11月で、本書の刊行が2020年の2月と3月だから、レビューとしては、やや時機を逸した感がなくもないが、私個人としては「歴史の勉強」の一環として、本書を読むことにした。

「百田尚樹の批判検証」として読むのなら、先に『日本国紀』を読んでから本書を読むべきなのだが、私はすでに百田の代表作である『永遠の0』を読んでおり、この「エンタメ作家」の力量と性質はおおむね了解していたので、わざわざ『日本国紀』を読むのは「時間の無駄」だとしか思えなかったし、『日本国紀』の批判書である本書を読んで、それでもまだ『日本国紀』に読む価値がありそうならば、その段階で読めば良いと考えた。
無論、本書を読んでしまえば、『日本国紀』を読もうなどとは思うはずもなく、いわば「義理だて」だけで『日本国紀』など読まなくてよかったと、結果としては、自分の判断の正しさを、心から確信した次第である。

さて、本書の著者は、いわゆる「歴史学者」ではなく、歴史の教師である。だが、だからといって舐めてはいけない。
著者は、いわば学術的な「歴史オタク」であり、好きで徹底的に学術研究の成果を渉猟している人なので、とにかく、その博捜博識が半端ではなく、おおむね時代とテーマ別に分断された専門の歴史家とは違って、古代から現代に至るまでの日本史研究を、幅広く深く押さえている。無論、日本の歴史とは、世界史の中の日本史であるから、世界史的な知識も並大抵のものではない。
つまり、百田尚樹の「大雑把な日本通史」全体を学術的に詳しく検討するのに、著者は打って付けの逸材だったのだ。

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そんなわけで、本書は、いわゆる「学術書」ではなく、「読みやすくて面白い歴史教科書」のような本である。
そして、その面白さを支えているのは、他でもない、百田尚樹の『日本国紀』の存在だ。
本書は、『日本国紀』の誤った歴史記述を引用し、その誤りを、学術的根拠を示して訂正するというかたちで書かれている。つまり、いわば「ボケとツッコミ」の漫才形式で書かれているから、記述にメリハリがある。

単に「正しい記述」が並んでいるだけなら、普通の教科書のように、単調で退屈なものになったかもしれない。
しかし、百田の『日本国紀』が、私たちも犯しかねない、もっともらしいボケを連発し、そのたびに著者が「おいおい君、なに言うてんねん」とツッコミを入れて正解を教えてくれるから、私たちは百田のボケ具合を笑いながらも、自分自身の無知をも反省することにもなって、自己の成長に資する知的刺激を受けることができるのである。

したがって、百田の『日本国紀』を読まなくても、本書はそれだけで十分面白いし、歴史の勉強にもなる。
また「学問」とはどういうものかを知ることにもなれば、「素人の知ったかぶり」が、いかに恥ずかしいことかを、百田尚樹を「他山の石」として、生々しく学ぶこともできるのだ。

ちなみに、百田の『日本国紀』が、いかに「読むに値しないもの」かを象徴する部分を、本書から一つだけ紹介しておこう。

『『昭和二〇年(一九四五)八月三十日に厚木飛行場に降り立った連合国最高司令官のマッカーサーは、サングラスをかけコーンパイプをくわえ、日本人を睥睨するようにタラップを下りてきたが、この時、決死の覚悟を持った日本人による暗殺を恐れるあまりズボンの中に失禁していたといわれる。』(441頁)

 これはマッカーサーに関する数ある俗説の中でも、荒唐無稽さにおいて「マッカーサー神社」を上回り、低劣さにおいても類を見ない恥ずかしいものなので、削除されたほうがいいと思います。
 マッカーサー来日の際の画質の悪い写真から、「ズボンが濡れているように見える」という俗説(明らかにズボンのしわの影でそのように見えるだけ)が近年、ネット上の一部で広まっているようですが、何しろアメリカ側にとっては「記念すべき」一瞬ですので、実際には「濡れていない」鮮明な写真がたくさんあり、またカラーの動画も残っています。ご確認いただければすぐわかることです。』
(下巻・P384)

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百田尚樹の人間性と同時に「物書きとしての本質」が、とてもよく表れた部分だと言えるだろう。

もちろん『日本国紀』の記述が、すべてこの調子だとまでは言わないけれど、こんなことを平気で書くような人間の書いたものが『日本国紀』だというのは、まぎれもない事実なのである。

前述のとおり、刊行後しばらくして「パクリ問題」で話題騒然となった、ベストセラー『日本国紀』だが、今となっては、誰も話題にしないし、今更そんな流行りものでしかない「B級の偽史書」を読む者もいないから、レビューとしては時機を逸した感もないではなかった。

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だが、このレビューを書くために検索してみたところ、幸いにも今年(2021年)の11月に、同じ版元(幻冬舎)から文庫版(上下巻)が出るそうなので、逆にちょうど良いタイミングで、本書と『日本国紀』のことをご紹介することができたのかもしれない。

ともあれ、歴史でマスターベーションをしたいという方なら、「人間離れした整形美女」のごとき『日本国紀』を読まれるのも、悪くはないだろう。
だが、生身の人間の「歴史」を知りたいという知的な読者であれば、学術的叡智の結晶であり、かつ「ボケとツッコミ」形式で面白く読めて、ためにもなる本書の方を、是非とも選ぶべきであろう。

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 【補記】『日本国紀』のAmazon上位レビュアーは「ネトウヨ」

『日本国紀』単行本版(2018年刊)の、Amazonカスタマーレビューにおける「上位レビュアー」の多くは、「ネトウヨ」である。
そうではない、単なる「読めないレビュアー」もいるが、それらのレビュアーも含めて、『日本国紀』絶賛のレビューに、破格に多くの「役に立った」が寄せられているのは、「役に立った」を押した者の多くもまた「ネトウヨ」(と、その同類)だったからに他ならない。

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例えば、上位レビュアー5人のうち、「役に立った」数が1位の「殿堂入り」レビュアーである「アマゾンカスタマー」氏、2位で「殿堂入りNO1レビュアー、ベスト50レビュアー、VINEメンバー」と三つの肩書を持つ「旭」氏、5位で「殿堂入りNO1レビュアー、ベスト50レビュアー」と二つの肩書を持つ「月下乃讀書人」氏の3人は、いずれも自分のホームページではレビューを公開していない。なぜか。
これは、自覚的な(常習的な)「ネトウヨ」レビュアーの手口で、要は、レビューを全部公開したら、「ネトウヨ」であることがバレてしまうからである。

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しかし、より問題なのは、この種のインチキな「ネトウヨ」レビュアーが、同じネトウヨ仲間から、組織的に多数の「役に立った」を投じられてレビュアーランキングを上げ、それを「Amazon」から評価されて「殿堂入り」といった肩書を付与され、あろうことか商品提供をされる「VINEメンバー」にも選ばれているという事実である。

なお「Amazon」が説明するところ、「VINEメンバー」とは、次のようなものだ。

『Amazon Vineとは、AmazonからAmazon Vineに参加するよう招待されたAmazonレビュアーの手元に、Amazonの出品者が商品を届けるカスタマーレビュープログラムのことです。これらのレビュアー(Vineメンバー)は、Amazonで購入した商品について、洞察力のあるレビューを投稿できるかどうかという視点で選ばれています。』
「Amazon Vineに関するよくある質問」→「Amazon Vineとは何ですか?」より)

つまり『商品について、洞察力のあるレビューを投稿できる』人物であるという「Amazonのお墨付き」が与えられているのである。

「Amazon」は、本年(2021年)5月頃にも「不正投稿の取締り強化」をアピールしていたけれど、実際にはこのように「ネトウヨ」レビュアーを野放しにしているという現実のあることを、ここに報告しておきたいと思う。

(2021年10月25日)

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【補記2】文庫版『日本国記』もやっぱり(2021.12.23)

あきらかに浮世博史さんの『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート』の指摘を参考にして、膨大な訂正をしているのに、今回もやっぱり「参考文献」に明記しなかったそうだ。これも、一種のパクリですね。

しかし、そこまでしても、下のような結果。
この文庫版に協力した、名前の明記されてる学者たちこそ憐れと言うべきかも知れません。

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