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「つらい真実 虚構の特攻隊神話」を読むー戦中派で特攻隊に自分も行くのが当然と考えていた筆者がたどり着いたのは、腐敗し官僚化した軍隊の姿でした

祖父や叔父らの戦歴を知りたい、戦死の状況を知りたいー第一歩は軍歴照明書の取得から

日中戦争が始まった1937(昭和12)年の11月ごろ、各地にこんな年賀はがき印刷見本が届いていました

太平洋戦争末期、信濃毎日新聞のコラム「信山風」の提案は、現代にも通じる名コラム

「自分たちが行かないと国を守れない」と信じた青年が敗戦を迎え、悩みを打ち明けた青年学校教師の返信

日独防共協定に1937年、イタリアが参加したことを受け、森永製菓は何をしたか

米陸軍製作の爆撃用地図の精密さに、総力戦の実力の違いを感じる

太平洋戦争下の唯一の衆議院選挙、翼賛政治体制協議会推薦候補が圧倒的だった選挙の一端を見る

アナログ派の愉しみ/本◎獅子文六 著『自由学校』

日中戦争、太平洋戦争で召集され、ビルマの戦場で看護を続けた長野県の日赤看護師・竹内静子(旧姓・宮本)さんの話

長野県の松本市役所が1942年ごろ備えた防空用の冊子を見るーおいおい、やはり精神頼みかよ(松本市のせいではない)

敗戦の現実をいかに後世に伝えるかー被害者意識ばかり高じていないか憂える

こんなところにも戦争があった:延岡の特攻艇「震洋」格納壕

8時間前

【沖縄慰霊の日6・23】~沖縄の心を私は忘れない~

戦時下一切報道されず、消されていた特攻隊員・奥原英孝伍長(戦死)は長野県安曇村(現・松本市)出身者と判明

太平洋戦争下の衆議院議員選挙、権力側は、あの手この手で動員や宣伝を図るー隠れた翼賛選挙の実態

防空壕と呼ばず「待避所」と強調して臣民に空襲の消火を義務付け、浸透を図っていたのが大日本帝国でした

【終戦記念日】怒りの灯火

2か月前

空襲の後、命をつないだ罹災証明書ー地域によってバラバラだった

中部軍司令部監修の月刊誌「国民防空」を読む(中)ー科学が登場するも、結局は精神。そして自己犠牲の称揚

尋常小学校・国民学校で精神鍛錬で女児が使ったとみられる小型のなぎなた入手ー何のためそこまで精神に拘泥したのか

東京ーロンドン間の飛行に世界最速で成功した神風号の操縦士、飯沼正明氏は太平洋戦争開戦直後に亡くなりますが…

歴史を知りたいなら、やはり本は欠かせない

小野寺百合子『バルト海のほとりにて』 太平洋戦争に反対した武官の話

1か月前

空襲に対する臣民の覚悟は、隣組を通じて伝達ー既にバケツも不足の時期、火を消すことを徹底

終戦記念日だし玉音放送の最終原稿をバージョン1と比べてみよう

太平洋戦争末期、特に1945年4月以降、米軍は「紙の爆弾」を大量にまきましたー政府が報道を禁じたポツダム宣言も

[書評] 「超」入門 失敗の本質 - 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ -

戦時下、新聞社が作った防空対策本を読むー大手紙は政府迎合、骨を示した石橋湛山

1945年8月13日、長野市と上田市が米軍艦載機の本格的な空襲を受けます。多くの調査の積み重ねが実態を明らかに。

アナログ派の愉しみ/映画◎熊井 啓 監督『海と毒薬』

2か月前

終戦詔書を掲載した信濃毎日新聞は1945年8月16日付だが15日に配布したもようー版違いで発行

【人生で迷ったら】知覧特攻平和記念館へ行け【日本人】

2週間前
再生

オリジナル・コラボ「I'm a Baby」

90歳近い親戚がふと話す”戦”中の話。洗い替えなく太平洋戦争を最後としたい

戦争が終わった頃の話(遠野高女の学徒動員)

『戦争ミュージアム』 ─記憶の回路をつなぐ 梯久美子

映画『オッペンハイマー』を観て。

1か月前

多数決での多数を追いかけても世界は変わらない❣️

戦争短歌21首 祖父の思い出 クレソンさんに出した短歌⑧

終戦日戦争招く無関心

2か月前

負けるとわかっていても引けなくなるのは「何かを得たいから」ではない。「自分がしてきたことが無駄だった」と認められないから。

2か月前

子どもや学生から作品を募集し盛り上げるのは戦時下も変わりませんでしたが、より政治的意味合いが強かったようです

中部軍司令部監修「国民防空」を読むー番外編ー戦時下防空商品の広告推移に時世を見る

『香港陥落』 松浦寿輝

岸田首相のバラマキ政策!?日本が直面している、本当の危機とは!!?

10か月前

あの夏、私はコーヒーカップを埋めた

2か月前

太平洋戦争の歴史 第二巻 第五章 第二次世界大戦の勃発と日本

¥100〜
割引あり
1か月前

松代大本営、戦後間もなくの姿と「無駄な穴」の話