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太平洋戦争末期、信濃毎日新聞のコラム「信山風」の提案は、現代にも通じる名コラム

 いやな世の中である。道理を引っ込ませ無理を押し通す連中が跋扈しています。インターネットのなかったころ、普通の人の集まりなら「関東大震災の朝鮮人虐殺はなかった」と話したところで、論破されるか「何をばかなことを」と一蹴されて終わりだったでしょう。しかしネット社会では、同じことを言う者同士が固まりやすく、緊密な結合を形成していきます。
 さらに、こうした集団の中で目立とうと、突飛なことや過激なことを口走るようになるのです。「朝鮮人虐殺はなかった」とか「朝鮮人の暴動があってその結果殺害されただけ」など、被害者を加害者に仕立てるような言動まで表れています。そんなネット社会に受けるように書かれた種本が出たせいでもあり、そんな種本ですべてを知ったようにふるまうのです。

 そのような中で、道理を貫くのは容易ではないかもしれませんが、しかし、物の道理を一度曲げると際限が効かなくなる恐れがあり、また同じような、あるいはもっとひどい事を引き起こしかねないのです。当方が余技の関東大震災研究で得た「事実関係」を何度も発信したのは、道理に従った事実関係のみが、荒唐無稽な暴言、妄言を葬る唯一の道だと信じるからです。
           ◇
 さて、太平洋戦争末期の1944(昭和19)年10月1日付信濃毎日新聞に掲載されたコラム「信山風」(筆者は不明)は、こんな社会を見通していたかのような実に予言的な内容であり、また日本人の思想的な弱点を突いて、克服方法を示唆している点で注目に値します。以下、著作権切れを受け、転載させていただきます。
(転載ここから)

1944年10月1日付コラム「信山風」

 ◇…日本人の性格として、集団心理的にみて、極端から極端へ走る場合があり、また個々の立場をみても、極端と極端が対立することがある。それゆえに、和を以て貴しとなすとされ、大和一致が説かれる。
 ◇…例えば明治維新当時の思想界をみる。新旧の対立が実にやかましかった。旧来の武士的立場に立つものは、頑固であり、固陋であって豪も譲ろうとはしなかった。これに対し、現在打破者は、極端なる自由思想を振り回し、これまた退かぬ。そこに激烈なる対立がかもし出されて、犠牲者の出たことは人の知るとおりだ。
 ◇…どちらも自己の信ずるところが、愛国的だと考えているからコト面倒である。愛国的情熱と信念の帰するところ、ますます自己の思想を、主観的理想的なものにとつくりあげてしまう。かような場合、いかにして大和一致の境地を造成せしむるか。それには、各自が主観と理想を一応捨て、できるだけ客観的な現実把握的立場を深めるよう努力してもらうことだ。
 ◇…愛国的熱情は強烈だが、惜しむべし、それがふかい現実認識に立脚していないというのが、日本人の性格であり、大和一致の呼ばれる根底をなすものであった。現実認識の不足は、ときに客観的評価をあやまり、見透かしにソゴを来し、問題を六かしくしてしまう。そのことは、最近の経験と試練が物語るところでもある。現実を直視せば、公正妥当な認識に帰一するのである。
(転載終わり)
           ◇
 関東大震災の時に朝鮮人、中国人、そして日本人も一般人や警察、軍隊に殺されたという一大事件。できるかぎり真実に迫ることは、地道な調査の積み重ねの上にのみ、立つことができるでしょう。虐殺否定論は、そうした真実に近づく姿勢とはかけ離れた、「愛国心」をくすぐって一儲けしようというだけの本に踊らされた、101年前の蔑視感情に通じる底の浅いものです。
 千葉県で地元の中学生が古老から聞き取りをした通りの場所から、証言通りの朝鮮人の居たいが発掘され、お寺に納められて慰霊されるようになったのも、事実に迫りたいという信念を事実を知る人が受け止めた結果なのです。今回、千葉県知事が慰霊祭に初めて弔辞を送ったことは、こうした地道な積み重ねへの敬意にほかならないでしょう。それは、受けんがための言辞を振り回し、振り回されている人には、決して到達できない境地です。

 ゆえに自分は、できる限り知りえた事実関係の発信に、今後も務めていく所存です。戦争の時代のことについても、全く同じです。そこにある戦時資料が発するものを、整理して伝えていくのが、未来を開く道と信じています。


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