堀間善憲

気がついてみたら60代のなかば。これまで出会った本や音楽、映画……からピックアップして…

堀間善憲

気がついてみたら60代のなかば。これまで出会った本や音楽、映画……からピックアップして、自分なりに解読してみたいと思います。めざすはあっと驚くような大発見ですが、果たしてどうなりますやら。みなさまもご一緒に楽しんでいただけますと幸いです。

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  • note クラシック音楽の普遍化を達成する

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    クラシック音楽の歴史や作曲家、作品について、哲学的な視点から分析し、その普遍性や深さを探求する和田大貴のnoteです。クラシック音楽について語り合えることを楽しみにしています。参加希望の方はマガジンの固定記事でコメントしてください。

最近の記事

アナログ派の愉しみ/ドラマ◎『ザ・パシフィック』

太平洋戦争の 最前線が炙りだしたものは 果たして戦争映画に対して傑作という言い方をしていいのか、ためらいを覚えつつも、それでもわたしの知るかぎり最高傑作と呼びたいのは『ザ・パシフィック』だ。ただし、厳密には劇場用映画ではなく、アメリカのケーブルテレビ局HBOが2010年に放映した全10回のドラマ・シリーズで、現在はDVDやビデオ・オン・デマンドにより視聴することができる。テレビ・ドラマとしては異例の規模の予算が投じられ、スティーヴン・スピルバーグやトム・ハンクスが製作総指揮

    • アナログ派の愉しみ/音楽◎ショスタコーヴィチ作曲『交響曲第15番』

      それは天才が 最後に眺める光景か 天才は一体、人生の最後にどんな光景を眺めるのだろう? そんなことを考えさせられるのが、ショスタコーヴィチの『交響曲第15番』だ。 ソ連の共産党独裁のもとで苛烈な状況を生き抜いた20世紀屈指の天才作曲家、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが1971年、65歳の年に完成した最後の交響曲である。それまでのとかく息苦しいほどの緊迫感を漲らせた作品とは趣が異なり、いまや権力の呪縛から解き放たれ、融通無碍の境地にあって、気ままに自己の精神世界を逍遥す

      • アナログ派の愉しみ/本◎嘉村礒多 著『崖の下』

        「私小説」とは ひとつの詩の形式ではないか 大正から昭和の戦前・戦後を通じて、文学史上のいちばんのキイワードは「私小説」だった。それが平成を経て、令和の時代を迎えたいま、ほとんど死語に等しい印象があるのはどうしたわけだろう。ありのままの自己をさらけだす方法論が説得力を失ったのか、それとも、だれもかれも自己をさらけだすのが当たり前になって、ことさら「私小説」を標榜する必要がなくなったのだろうか。 その事情はともかく、わたしは「私小説」といわれると、条件反射的に嘉村礒多(

        • アナログ派の愉しみ/映画◎藤山直美 主演『顔』

          マスクを外した 女性たちはそのとき 落ちない口紅「リップモンスター」が大ヒットしているそうだ。花王の化粧品ブランドKATE(ケイト)がコロナ禍の2021年春に発売した商品で、マスクに色移りしないことをアピールしたものだったが、あえて「欲望の色」や「地底探索」などの奇抜な色のネーミングをつけたことも評判となり、ようやくマスクから解き放たれたいま爆発的反響を呼んでいるとか。それは、女性たちがコロナ以前への回帰ではなく、まったく新しい生き方に立ち向かいつつあることを指し示している

        アナログ派の愉しみ/ドラマ◎『ザ・パシフィック』

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          アナログ派の愉しみ/音楽◎フルトヴェングラー指揮『ローエングリン』

          これはリマスタリングの 魔術なのか いやはや、こんなこともあるのだ。最近、そんな目からウロコならぬ、耳からウロコの落ちる思いを味わった。 地元の商店街でもう半世紀以上も営業しているというレコード・ショップでの話だ。小ぶりな店舗にはクラシック音楽を中心としたソフトがびっしりと並び、昔気質の主人がひとりで取り仕切って、滅多に来客がないのを気にするふうもない。わたしもかつては足繁く通ったものだけれど、いまやネットでの購入のほうが手っ取り早くてご無沙汰していたところ、少し前に

          アナログ派の愉しみ/音楽◎フルトヴェングラー指揮『ローエングリン』

          アナログ派の愉しみ/本◎ガルシア=マルケス著『予告された殺人の記録』

          ラテンアメリカ文学が 忠臣蔵のミステリーを解き明かす ラテンアメリカ文学の奇才、アルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘスは短篇集『汚辱の世界史』(1935年)のなかで「傲慢な式部官長」として吉良上野介を取り上げている。かれによれば、浅野内匠頭が刃傷沙汰を起こしたのは上野介の沓(くつ)の紐を結び直すように命じられたのがきっかけであり、切腹を申し渡された内匠頭は腹を十文字にかっさばくと臓腑を取り出し、大石内蔵助が介錯して首を斬り落としたのであり、内蔵助以下47人の家臣たちは森のな

          アナログ派の愉しみ/本◎ガルシア=マルケス著『予告された殺人の記録』

          アナログ派の愉しみ/本◎吉村 昭 著『羆嵐』

          美意識を拒否して 獰猛な現実そのものと向かい合う 歴史小説の大家は、固有の美意識を持っているようだ。司馬遼太郎が政治的人間の行動原理に向ける眼差しも、また、山本周五郎が織りなす倫理観や、藤沢周平が滲ませる諦観もそれぞれの美意識によるものだろう。したがって、かれらの作品はその規矩のなかに収まって逸脱することがないから、どんな出来事を題材としても、読者は安心して文章の成り行きに身を任せられるのだ。しかし、わたしの知るかぎりではただひとり、吉村昭はそうした美意識を拒否したところに

          アナログ派の愉しみ/本◎吉村 昭 著『羆嵐』

          アナログ派の愉しみ/映画◎ブライアン・シンガー監督『ボヘミアン・ラプソディ』

          極東の島国で 大ヒットを記録した理由とは? いまから振り返ってみると、ブライアン・シンガー監督の映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)について日本でのフィーバーぶりは常軌を逸していたように映る。公開から75日目(2019年1月22日)で興行収入100億円(約727万人)を突破し、インターナショナル第1位(全米を除く)を占めたことがニュースとなり、クイーンの母国イギリスをはじめ世界から驚嘆の目を向けられたものだ。かく言うわたしも、妻に誘われて最寄りのシネコンへ出かけ、満

          アナログ派の愉しみ/映画◎ブライアン・シンガー監督『ボヘミアン・ラプソディ』

          アナログ派の愉しみ/音楽◎レオンカヴァッロ作曲『道化師』

          かれがナイフを振りかざした 本当の相手とは 「黄金のトランペット」の異名を誇ったイタリアの伝説的なテノール歌手、マリオ・デル・モナコの持ち役を眺めていて面白いことに気づいた。ヴェルディ作曲『イル・トロヴァトーレ』(1853年)のマンリーコと『オテロ』(1887年)のタイトル・ロール、ビゼー作曲『カルメン』(1875年)のドン・ホセ、プッチーニ作曲『マノン・レスコー』(1893年)のデ・グリュー……と、いずれも愛する女性への激しい嫉妬心から身を持ち崩す役柄なのだ。こうしてみる

          アナログ派の愉しみ/音楽◎レオンカヴァッロ作曲『道化師』

          アナログ派の愉しみ/音楽◎ラフマニノフ作曲『ピアノ協奏曲第3番』

          アシュケナージの ピアニズムが意味するもの ロシア音楽を19世紀から20世紀へと橋渡しした作曲家、セルゲイ・ラフマニノフには四つのピアノ協奏曲があって、とりわけ有名なのは『第2番』(1901年)と『第3番』(1909年)だろう。どちらも噎せ返るほど濃厚な「ロシアの憂愁」を湛えて聴く者を陶酔へといざなうのだが、わたしが臍を噛む思いを禁じえないのは、歴代の大ピアニストが残した録音を振り返ってみると、リヒテルやルービンシュタインは『第2番』のみ、ホロヴィッツやアルゲリッチは『第3

          アナログ派の愉しみ/音楽◎ラフマニノフ作曲『ピアノ協奏曲第3番』

          アナログ派の愉しみ/映画◎倉田準二 監督『十兵衛暗殺剣』

          波瀾万丈のチャンバラ劇 ここにあり! 波瀾万丈のチャンバラ劇という言い方をするなら、おそらく倉田準二監督の『十兵衛暗殺剣』(1964年)こそ随一の作品に違いない。なぜなら、実際に琵琶湖のまっただなかで、文字どおり逆巻く波と風に弄ばれながら死にもの狂いの剣戟が展開されるからだ。 ときは寛永19年(1642年)、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の治世。柳生新陰流の総帥・十兵衛は将軍家剣術指南役として威勢を張っていたが、その眼前に突如、幕屋大休と名乗る荒武者が立ちはだかる。かれ

          アナログ派の愉しみ/映画◎倉田準二 監督『十兵衛暗殺剣』

          アナログ派の愉しみ/本◎楠 勝平 著『彩雪に舞う…』

          ドラマの主役は 時間の流れそのものだ 天才、という言い方はあまり使いたくない。それを使ったとたん話のケリがついてしまう気がするから。だとしても、ときにはどうしたって、天才、と呼びたい存在にめぐり会うことがある。楠勝平もそのひとりだ。わたしがかれの名前を知ったのは、ちくま文庫のササキバラゴウ編『現代マンガ選集 日常の淵』(2020年)の巻頭に置かれた『暮六ツ』による。扉込みで31ページの短篇だが、帰宅途上の電車で吊革につかまりながら一読して、天才、と口がつぶやいていた。

          アナログ派の愉しみ/本◎楠 勝平 著『彩雪に舞う…』

          アナログ派の愉しみ/映画◎木下恵介 監督『日本の悲劇』

          70年前の「人身事故」が われわれに突きつけるのは 「本当に重大な哲学の問題はひとつしかない。それは自殺である」――。木下恵介監督の映画『日本の悲劇』(1953年)を前にすると、このアルベール・カミュの言葉を思い出さずにはいられない。 太平洋戦争の終結から8年が経った当時、東海道本線の湯河原駅でひとりの中年女性が列車に飛び込むまでの足跡を、ドキュメンタリータッチでつぶさに追った内容だ。その井上春子(望月優子)は酒屋を営んでいた夫を戦争で失ったのち、ふたりの子ども、姉の

          アナログ派の愉しみ/映画◎木下恵介 監督『日本の悲劇』

          アナログ派の愉しみ/音楽◎『ヨウラ・ギュラーの芸術』

          美貌のピアニストが 最後に辿り着いた境地 われわれオトコには想像の外にあるのだが、一体、女性にとって顔かたちとは人生にどれだけの価値を意味するのだろう? ふとそんな疑問が浮かんだのは、ヨウラ・ギュラーという存在を知ったからだ。ことによったら、これまでクラシック音楽界に現れたなかで最高の美貌を誇るピアニストだったのではないか。いま手元に彼女のCDがあるのだけれど、そのジャケットには20代から30代のころと思われるポートレートがあしらわれていて、まったくもって女優と見紛うばかり

          アナログ派の愉しみ/音楽◎『ヨウラ・ギュラーの芸術』

          アナログ派の愉しみ/本◎プラトン著『国家』

          われわれの眼前の壁に いま映っている影は プラトンの『国家』で、語り手のソクラテスが開陳する「洞窟」の比喩は広く知られているものだ。わたしも高校の時分、倫理・社会の授業で(いまはなんという科目かしらん?)教師が黒板で図解してくれて、目からウロコの落ちる気分がしたのを覚えている。 こんな具合だ。地下の細長い洞窟のなかに、われわれは幼いころから囚人となってずっと閉じ込められている。しかも、地上への出入口を背にして、顔を奥の壁面に向けた姿勢のまま、手足を縛られているので身動

          アナログ派の愉しみ/本◎プラトン著『国家』

          アナログ派の愉しみ/本◎梶井基次郎 著『檸檬』

          黄金色の爆弾が 表すものは果たして? わたしが通った中学校の英語の授業では、いつも教師がオープンリールのデッキを運んできてアメリカの流行歌をかけてくれ、試験の課題には歌詞の暗唱や書き取りが出されたりした。こうしてボブ・ディランの『風に吹かれて』やマイケル・ジャクソンの『ベン』、アンディ・ウィリアムズの『ゴッドファーザーの愛のテーマ』などとともに出会った曲に、ピーター・ポール&マリーの『レモンの木』があった。父親が息子に向かって「女性の愛を信じてはならない」と教え諭す歌の、さ

          アナログ派の愉しみ/本◎梶井基次郎 著『檸檬』