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アナログ派の楽しみ/スペシャル◎へそまがり世界史(創作大賞2024応募作)

へそまがり世界史

  

きれいはきたない、
きたないはきれい。
 ――魔女の叫び(シェイクスピア著『マクベス』より)


ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙』

われわれはふたたび
神々の声と出会ったのか


自分は一体、何者なのか? その答えに少しでも近づくためにわれわれは本を読むのだろうが、米国プリンストン大学の心理学教授、ジュリアン・ジェインズが著した『神々の沈黙』(1976~90年)もまた、目からウロコの落ちる示唆に富んだ一書であることは間違いない。 

骨子は、はなはだシンプルだ。現生人類はおよそ40万年前に誕生したのち約3000年前に言語を獲得するまでのあいだ、みずからの意識というものを持たず、今日のわれわれとはまったく異なる精神構造のもとで生きていた。そこではすべてが神々の声によって支配され、あらゆる行動に対して命令をくだす「神々」とそれにしたがうだけの「人間」というシステムが成り立っていて、著者は〈二分心(bicameral mind)〉と名づけるのだが、やがて意識の発生にともなって崩壊のプロセスを辿っていき、人間は神々の声を聞くことができなくなったと主張するのだ。 

一見、オカルトめいた突飛な仮説のようだが、よく考えてみると、ごく当たり前の理屈を説こうとしていることがわかる。ただし、最大の難関は、そもそも言語を獲得する以前の人間の精神構造を言語によって説明しなければならないところにあろう。そこで、著者は専門の心理学や大脳生理学から、考古学、人類学、宗教学、文学・哲学の分野まで渉猟して根拠を示すために、日本語版の単行本で600ページ以上のヴォリュームを費やすことになったのだが、その労力に敬意を表しつつ、アタマが単純なつくりのわたしはこんなふうに考えてみたい。 

わが家には愛犬のチワワ犬2頭、ロク(オス)となな(メス)がいて、かれらと散歩中に別の飼い主の柴犬と行き交ったりすると、ロクは尻尾を巻いて逃げ腰になり、ななは自分より大きな相手に向かって吠えかかる。また、三叉路で右へ行っても左へ行っても甲乙ないときに、ロクが先に立って右に向かうと、ななもおとなしくあとをついていく。こうした気まぐれな行動について、われわれは本能や性格といったものを持ちだして理解しようとするけれど、むしろロクやななの脳内で神々の声が、こうしろ、ああしろ、と命じるのにしたがっただけと譬えたほうがずっとわかりやすいのではないか。 

そして、人間もその来歴のほとんどの期間を同じ状態で不都合もなく暮らしてきた。ところが、ほんのちょっと昔に人口の増加にともなって小さな狩猟採集集団から大きな農耕生活共同体へと移行する段階において、とうてい神々の声に頼るだけでは立ちいかず、みずからの言語と意識によって文明を構築していく道のりに踏みだした……(「エデンの園」からの追放)。 

こうして人間は地球上の覇者となりおおせるとともに、かつては知らなかった生と死にまつわる苦悩も背負うようになり、いまは失われた〈二分心〉の名残りが宗教や芸術の源泉となってきたことまでを論じる。そのうえで、ジェインズは未来のヴィジョンについても執筆を予定していたらしいものの、果たせないまま1997年に死去してしまった。したがって、続編は後世への宿題として残されたわけだが、わたしは21世紀のいま、デジタル革命がネットとAI(人工知能)の結合をもたらした結果、世界に新たな神々の声が出現しつつあるように見えるだけに、ここに問題提起された主題はいっそう重要性を増していると思う。そのひとつのヒントとなるかもしれない記述を、ジェインズは統合失調症との関連を分析した個所で書き残しているのだ。 

「たいていの人は生きている間に、現実の〈二分心〉に近いものにふと戻ってしまうことがある。〔中略〕自分を非難し、何をすべきか命令する、抗い難い力を持った声が聞こえる。それと同時に、自己の境界がなくなるように思われる。時間が崩壊していく。本人はそれを知らずに行動する。〈心の空間〉が消えていく。彼らはパニックに陥るが、パニックは彼らに起きているのではない。彼らはどこにもいないのだ。どこにも拠り所がないのではない。『どこ』自体がないのだ。そしてそのどこでもない場所で、どういうわけか自動人形になり、自分が何をしているのかわからぬまま、自分に聞こえてくる声や他人に操られ、異様でぎょっとするような振る舞いをする。気づいてみれば病院にいて、診断結果は統合失調症だという。だが、じつは彼らは〈二分心〉に逆戻りしているのだ」(柴田裕之訳) 

わたしは慄然とする。ここに描写されているのは、いまや「スマホ脳」と化したわれわれの精神構造そのものではないか!
 

セシル・B・デミル監督『サムソンとデリラ』

イスラエルとガザが
舞台の狂おしい恋愛劇


往年のスペクタクル史劇、セシル・B・デミル監督の『サムソンとデリラ』(1949年)が、現代のCG技術に馴染んだ目には子どもだましの映画のように映るのも無理ないのかもしれない。しかし、わたしは最近久しぶりに鑑賞して、それはまったくの見当違いだと思い知らされた。舞台となっているのがイスラエルとガザで、しかも映画の公開が第二次世界大戦後に実現したイスラエル建国の翌年だったことを考えあわせると、70年あまりの歳月を隔てながら、ただちに今日的な意味を見て取ることができるのではないか? 

ときは紀元前1000年ごろ。イスラエル十二氏族のひとつ、ダン族の住むツォルハ村に神より怪力を授かった英雄サムソン(ヴィクター・マチュア)が現れて、異教徒たちに恐れられていた。一方、ガザの地に育ったペリシテ人の娘デリラ(ヘディ・ラマール)は、偶然出会ったサムソンにひと目惚れしたものの報われないと知ると、嫉妬と復讐心から領主の指図にしたがって相手を罠にかけ捕縛することに手を貸す。 

かくて、サムソンは両目をつぶされ、ガザの地下牢で巨大な石臼をひく奴隷の身に突き落とされるが、翌年の異教の祭典に見世物として引き出されることになり、当日、デリラの鞭にすがって神殿の要をなす2本の支柱のもとへ辿りつくと、ふたたび怪力を発揮してあっという間に神殿を崩壊させ、数千人の異教徒を生き埋めにしてしまう。勝利したのはイスラエルの神だった……。 

このストーリーは、旧約聖書が歴代の英雄たちの事績を伝える『士師記』にもとづく。もとの記述によれば、デリラはただの妓(遊女)でサムソンのほうが惑溺したようなのだが、それはともかく、ふたりのあいだのクライマックスは、彼女が執拗に怪力の秘密を知りたがるのに対してサムソンが口を割ってしまう場面だろう。 

「彼つひにその心をことごとく打明して之にいひけるはわが頭にはいまだかつて剃刀を当しことあらずそはわれ母の胎を出るよりして神のナザレ人たればなり もしわれ髪をそりおとされたばわが力われをはなれわれは弱くなりて別の人のごとくならんと〔中略〕婦おのが膝のうへにサムソンをねむらせ人をよびてその頭髪七房をきりおとさしめ之を苦めはじめたるにその力すでにうせさりてあり」 

つまり、サムソンの怪力の源泉はこの世に生まれて一度も切っていない髪にあり、デリラがそうと知って切り落としたことで怪力は消え失せ、敵方の手に落ちてしまったというのだ。もとより、頭髪とは生殖能力を表すセックス・シンボルに他ならず(だから、たいていの宗教で聖職者は剃髪する)、男がその秘密を打ち明け、女が奪い取るとは、おたがいに貪りあわずにいられない関係を意味しているのだろう。それも宗教を異にする同士ゆえの狂おしいばかりの……。 

映画では恋愛劇として脚色してみせる。デリラを貴族の娘とし、ガザの領主の寵愛を受けながら、ひそかにサムソンへの愛を貫き、その髪がよみがえると、最後には盲いたかれの目となって神殿の祭典ではみずから先に立って要の支柱へと導いたのち、カタストロフィのただなかでふたりはともに歓喜の死を遂げる。それらすべてをスタジオのセット撮影でこなした当時の映像がいかにも紙芝居めいているのは確かにせよ、だからと言って子どもだましと笑って済ませるわけにはいかないはずだ。 

現下のイスラエルとガザをめぐる情勢のもとで、では、それぞれの宗教を異にする男と女が出会って狂おしく愛しあうことで歴史の歯車を押しとどめるという、新たな神話の生まれる余地はあるのかどうか? ことによったら、われわれは旧約聖書の時代よりもずっと不寛容な世界に生きているのかもしれない。

孟 郊 著『登科後』

一日で長安じゅうの
花々を見尽くした気が


尾籠な話で恐縮ながら、わたしにとって朝の出勤前のトイレ・タイムは貴重な読書の機会だ。余計な雑音に気を取られずに集中することができる。このところ友としているのは岩波文庫の『新編 中国名詩選』(川合康三編訳 2015年)なのだが、まことに相性がいい。約3000年の歴史が生んだ漢詩およそ500首を時代順に配列し、作者の紹介から原文と訓読・語釈・訳までを辿っていくことで、そこに込められた喜怒哀楽を味わえる仕組みになっている。毎朝さまざまな感興と巡り会うなかで、李白や杜甫といった巨大な存在を仰ぎみるのもけっこうなのだが、これまでまったく知らなかった詩人の作品にふと心惹かれたりするのも楽しい。 

先日、そんなふうにして出会ったのが、中唐の時代を生きた孟郊(751~814年)。若い時分から立身出世の登竜門、科挙にチャレンジしたものの落第を繰り返し、ようやく齢46歳にして進士に合格したという。そのときにつくった七言絶句がこれだ。 

  登科後
 昔日齷齪不足誇
 今朝放蕩思無涯
 春風得意馬蹄疾
 一日看盡長安花 

  登科の後
 昔日 齷齪(あくさく) 誇るに足らず
 今朝 放蕩 思い涯(はて)無し
 春風 意を得て 馬蹄疾(はや)し
 一日 看(み)尽くす 長安の花 

本書の解説を手引きに、わたしなりに汲み取ったところを記してみよう。題は、合格ののち。過去にあくせくと勉強に励んだのは誇りにならない。今朝こそ晴れやかに胸の思いがどこまでも広がっていく。春の風に心は満ち足りて、わが馬の足取りも速い。ほんの一日で長安じゅうの花々を見尽くした気がする……。

ついに宿願を遂げた得意満面の喜びがストレートに伝わってきて、こちらも孟郊の両肩を思いきり叩いてやりたくなってしまう。そりゃそうだろう、生を享けた時代や社会は異なるにせよ、わたしだってこれまで学業や仕事の試験のたぐいにあれこれと立ち向かっては、しばしば苦杯を舐め、そのあげくに合格ひとつを手にしたときの感慨はよく知っているからだ。 

それにしても、とふと思う。いささか感情の度合いが過ぎるのではないだろうか? 自己の内面だけならいかようにも喜びを嚙みしめればいいが、そこにとどまらず、わざわざ馬を繰りだして、日本の平安京の4倍の広さがあったという長安じゅうの花々を眺めてまわるなど、およそ地に足のつかないらしい昂ぶりには危うさを感じざるをえない。果たして解説によれば、その後、孟郊は50歳に至ってやっと溧陽県尉のポストを得たものの、狷介な性格が災いしてやめてしまい、世間を呪詛しながら不遇と貧窮のうちに一生を終えたそうだ。しかし、とわたしは考える。この詩が孕む不穏な兆しまでが琴線に触れてくるのは、自分のなかにも世を拗ねたくなる資質があるゆえではないだろうか、と――。 

その朝、わたしはトイレでそんな思いに耽ったあとに出勤したのだった。

ウンベルト・エーコ編著『醜の歴史』

ヨーロッパの闇の美術史を
ひもといてみたら


その本が世に出たとたんすぐに買い求めながら、ページを開かないまま月日が経ってしまうことがある。わたしにとって、ウンベルト・エーコ編著『醜の歴史』もそんな一冊だ。原著が2007年、日本語版(川野美也子訳)が2009年の刊行だから、かれこれ十余年も書棚で埃をかぶっていたことになる。

イタリアの小説家で記号学者のエーコが、持ち前の博覧強記ぶりを発揮した大著だ。序論で、「いずれの世紀も、哲学者たちや美術家たちは美の定義を提起してきた。彼らの証言のおかげで、美の観念の通史は、再構成が可能である。ところが、醜に関しては事情が異なる。醜はほとんどずっと、美と対立するものとして定義されてきた」「醜の歴史はまず、何らかの形で『醜い』とされた物や人間の視覚的・言語的表現のうちにその史料を探してみなければならない」と書き出して、この本の編纂意図を論じたのち、シェイクスピアの『マクベス』第1幕の魔女たちの叫び、「きれいはきたない、きたないはきれい……」の引用で結んでいる。

そのうえで、本編は「古典世界の醜」からはじまり、「受難、死、殉教」「黙示録、地獄、悪魔」と続き、中世・ルネサンス・近代を経て、「アヴァンギャルドと醜の勝利」「他者の醜、キッチュ、キャンプ」「現代の醜」までの全15章により、ざっと2500年間におよぶ「醜」のイメージを辿っていく。ときには目を背けたくなるほど血なまぐさかったり、つい下半身が疼くほど猥褻であったり、おいそれとはお目にかかれない図版が一堂に会した、いわばヨーロッパの闇の美術史なのだけれど、しかし、わたしは首を傾げずにいられない。それらがちっとも醜いとは感じられないのだ。

つらつら考えてみると、上記の章立ても示すとおり、ここに構想されているのは、あくまで古代ギリシアの神話的世界からローマ帝国以降のキリスト教世界へと接続していく座標軸のうえに設定されたものだ。その先に階級闘争や宇宙人到来となっても、つまりは人間の外側に価値判断の基準があって、そこから美と醜が立ち現れてくるのに変わりはない。かつてエーコの世界的ベストセラー『薔薇の名前』(1980年)の翻訳を読んだときも、また、ショーン・コネリー主演による映画を観たときも、もうひとつぴんとこなかったのも、中世の修道院を舞台に繰り広げられる殺人事件や異端裁判では、その倫理的な価値判断の基準がすべて人間の外側に設けられているため、人間の内側の醜さとそれがもたらす恐怖がまったく感じられなかったらではないだろうか。

そうした意味で、多数の図版のなかで最もインパクトがあったのは、第5章のルネサンスの時代に収められたリエージュ作『フランドルの三連祭壇画の風刺画』(1520年)だ。それは、赤い帽子をかぶった男がアカンベーをしているだけの他愛のない絵ではあるが、ようやく人間が神の手から解放された時期ならではのものだろう、自分の手で自分の顔を歪める、つまり外側からではなく内側から醜さを取りだすという、ただそれだけのことで世界の座標軸自体を無化しようとする底意が滲みでているのだ。

ただし、おそらく日本人の目から見れば、醜さにおいて、近年ブームとなっている伊藤若冲、岩佐又兵衛ら江戸時代の奇想画家の作品のほうがずっと魅力があろう。西洋と東洋の精神風土には、21世紀のいまなおこれだけの懸隔が横たわっているのに違いない。さらにもっと親しい例を挙げるなら、われらが大衆文化の大いなるアイコン、怪獣ゴジラこそ、シェイクスピアの魔女たちがうたう「きれいはきたない、きたないはきれい」を体現しているように思うのだが、どうだろう?

ベートーヴェン作曲『ウェリントンの勝利』

楽聖の傑作と駄作
その差とは?

 
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが生前、最も華々しい喝采を博した作品は『ウェリントンの勝利』(1813年)といわれている。しかし、われわれは今日、この楽曲をコンサートで耳にすることはまず不可能だろう。 

フランス革命後に頭角を現しヨーロッパ大陸を席巻したナポレオン・ボナパルトが、ロシア遠征で頓挫して、ようやくその威光に濃い影が差したころ、1813年6月に今度はスペインのビトリア戦線で、ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリーの率いるイギリス軍がジュールダン元帥のフランス軍と戦って勝利を収めた。これを記念してベートーヴェンに作曲の仕事が依頼されたのだが、かつてナポレオンに肩入れして失望を味わった過去があるだけに、ことのほか勢いづいたらしく、わずかふた月ほどで演奏時間約15分の楽曲ができあがって『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』と名づけられた。 

全体は二部構成で、前半ではイギリス軍とフランス軍の戦いを、それぞれの民謡の旋律を交錯させることで描写し、後半では勝利したイギリスの栄光を国歌も引用して高らかに謳いあげるというもの。何よりの特徴は、ベートーヴェンの作品として最大規模のオーケストラを必要とするばかりか、賑々しく軍楽隊やマスケット銃、カノン砲のたぐいまで持ち込むという、前代未聞のスペクタクルが企図されたことだ。かくして、同年12月にウィーンで、作曲家本人の指揮により交響曲の『第7番』『第8番』とともに初演されたコンサートでは凄まじい熱狂を巻き起こしたという。 

このとき43歳のベートーヴェン自身、よほど感きわまったのだろう。親しい貴族の友人に宛てた手紙のなかで、ウェリントン侯爵の戦争の勝利とわが身の音楽の勝利を重ねあわせて、こんなふうに書きつけている。 

「おそらく君は勝利のすべてを――僕の勝利も喜んでくれているのだろう。――今月27日大レドゥーテンザールで2回目の演奏会を開く。――やって来ないか。――今初めて聞くのだろうが。――僕はこうしてだんだんと貧乏から自分を脱け出させるのだ。〔中略〕そうだ、なんとわが王国は大気の中にある。しばしば風のごとく音が響きわたる。魂のなかでも響きわたる。――君を抱擁する」(小松雄一郎訳) 

ところが、である。以後、めまぐるしく失脚と復権を経たナポレオンが、ベルギーのワーテルローでふたたびウェリントン侯爵のイギリス軍に大敗を喫して、ついに歴史の表舞台から退場し、1821年に西大西洋セントヘレナ島で世を去る。ベートーヴェンもまた、1827年にウィーンで波瀾の生涯を終え、大きく時代が移り変わっていくなかで、『ウェリントンの勝利』の人気が凋落するのも必然的な流れだったろう。のみならず、偉大な楽聖の名誉を汚す駄作と見なす風潮さえ生じて、あえて手を触れないようになった結果、コンサートのプログラムにのることもすっかり絶えてしまったのだ。 

ただし、幸いにもレコード録音はわずかながら存在して、そこにはカラヤンとベルリン・フィルの組み合わせで、しっかりとマスケット銃やカノン砲の音響も取り込んだ演奏も含まれて、楽曲のオーソドックスな姿を知ることができる。なるほど、ベートーヴェンの光輝ある傑作の数々に較べたら旗色が悪いのは確かだとしても、わたしは楽器の音と武器の音がぶつかりあう破天荒な音楽のバトルゲームに思いのほか胸躍らせた。 

つまり、こういう事情ではないか。われわれは映像メディアの出現によって、現実の戦争であれドラマの戦争であれ、人間同士が殺しあう戦闘シーンをふつうに目撃するようになった。しかし、それまではいかに重大な戦争であっても、戦闘の現場から遠く離れた人々にとっては見ることも聞くこともできず、雲をつかむような次第だったわけで、したがってベートーヴェンが初めてコンサートで戦闘シーンを再現して空前の成功を収めたのは当然の成り行きだろう。そのとき、聴衆にとってオーケストラはエキサイティングなニュースメディアに他ならなかったはずだ。 

現代の視点に立って、そんな『ウェリントンの勝利』を駄作と見なし、当時熱狂した人々の感性に首を傾げたところではじまらない。むしろ、いまやテレビやスマホがもたらす過剰な刺激にすっかり慣れ親しみ、自宅にいながら世界各地の戦争や紛争のシーンを目の前にして食事の手を休めることもない、われわれの感性の鈍麻のほうを案じるべきではないだろうか。

イサク・ディネセン著『アフリカの日々』

人類が発祥したときから
女性は女性だった

 

「文明化した人間は静止する力を喪失しているので、野生の世界に受けいれてもらうためにはまず沈黙を学ばねばならない。だしぬけでない静かな動作の技術が、狩猟家にとっての第一教課である。〔中略〕ひとたびアフリカのリズムをとらえれば、それはアフリカのすべての音楽に共通していることを体得する。この国の動物から学んだことは、私がアフリカ人とつきあうのに役にたった」(横山貞子訳) 

イサク・ディネセンの『アフリカの日々』(1937年)のなかで、わたしが最も気に入っている個所のひとつだ。本名カレン・クリステンツェ・ディネセンは1885年デンマークに生まれ、28歳のときに又従兄弟と結婚してブリクセン男爵夫人となり、夫が所有するケニアのコーヒー栽培農園へ赴き、女遊びの絶えない夫と離婚後も滞在して、1914年から31年まで第一次世界大戦の時期をはさんで経営に当たる。その間の見聞をまとめたのがこの著作だ。そこには、無垢な詩人の魂とアフリカの大自然の出会いによって磨かれた珠玉の言葉が輝いている。 

わたしはときに、文明とは「ぬか床」のようなものではないかと感じる。人類みずからの管理による社会で暮らしていると、なにくれと便利で居心地よいものの、つねにざわめいて、みなが馴染むにつれ発酵現象が生じて異臭を放つようになる。それは文明のもとで生きていくうえに必然的な成り行きだろう。したがって、おたがいの臭いに対して鈍感になり、必要に応じて鼻をつまむ技術がなければならない。反対に、こうした文明の「ぬか床」を脱け出して、人類の管理の手を離れた大自然のなかへ飛び込んでいったときに出会えるのがディネセンの書き留めた世界であり、そこでは心ゆくまで清冽な空気を深呼吸できる。著者の言う「静止する力」だろう。 

ヨーロッパの文明社会から隔絶して、彼女の目には、無辺の大自然に抱かれた野生動物と人間たちはひとつながりの生命をなしていると映る。「アフリカ人と近づきになるのは容易なことではなかった。彼らは耳ざとく、じきに姿をかくす。おどろかせたりすると、彼らは一瞬のうちに自分たちだけの世界へと身を引くことができた」と記したあとに続けて、しかし、実のところ、かれらはいっこうに白人を恐れていないのかもしれない、そもそも自分たちに較べて生命の危険に対する感覚がはなはだ乏しいと報告して、その理由をこう解き明かす。 

「おそらく彼らは、生命あるものとして、われわれにとってはそこにとどまることのできない固有の領域にいるので、水底で生きている魚が人間の溺死の恐怖を理解できないのとおなじことなのだと。アフリカ人たちはこの自信、つまり泳ぐすべを身につけている。われわれが最初の祖先以来失ってしまった知識を、アフリカ人たちはもち伝えていて、それが彼らの自信となり、泳ぐすべとなっている。さまざまの大陸があるなかで、アフリカこそが教えてくれるもの、それは、神と悪魔とは一つのものであり、ともに永遠性を分かちもつ偉大なるものであり、原初から在る二つの存在なのではなく、原初から在る一つのものだということである」 

わたしは頬を張られたようなショックを受けた。まったく、なんという洞察! ここに言及されているのは、文明という「ぬか床」に取り込まれる以前の人類の姿だろう。水底を自在に泳ぎ、神と悪魔をひとつに見て取る能力はもはやとっくに失われてしまったにせよ、そんなアフリカ人に憧憬を覚えるのは、われわれのDNAにも同じものがインストールされているからに違いない。今日の分子系統解析によれば、現生人類(ホモ・サピエンス)は約16万年前にアフリカのひとりの女性「ミトコンドリア・イブ」からはじまって世界じゅうに拡散していったという。ディネセンは知らなかったとはいえ、彼女の筆が活写するはるかな後裔たちのありさまは、その原初の母親の姿さえ彷彿とさせるものだ。 

「服装はソマリの娘たちの人生で大きな役割を占める。これはあたりまえのことなので、つまり衣裳は娘たちの武器であり、戦利品であり、同時に敵の軍旗をうばうのとおなじく、勝利のしるしでもあるからだ。彼女らの夫となるソマリの男たちは禁欲的なたちで、食事や飲みものに関心がなく、安楽な暮しを求めず、その出生地の風土とおなじようにきびしくて無駄がない。女だけが彼らのぜいたくである。〔中略〕女たちは男の柔弱さを仮借なく責めたて、また一方では大変な個人的犠牲をはらって、女としての自分の価値をつりあげる」 

地球上に現生人類が発祥したときから、女性は女性だったのである。

 

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