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#古典がすき

古典がすきだと感じたエピソード、学習の記録、勉強法など、古典にまつわる投稿を募集します!

人気の記事一覧

共鳴*能面の泣くも笑ふも秋思かな

☆能面作りは「彫り」と「塗り」。「塗り」は能面の化粧だそうです。  能面師 麻生りり子さんの記事です。 (岡田 耕)

『孫子の兵法』に学ぶX戦略⑪

この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます♪ 私の記事では約15回に渡り、『孫子の兵法』のポイント解説をしております! 今回は、「『孫子の兵法』をX戦略に生かしたらどうなるか?」のオリジナル記事第10 弾となります🌟 『孫子の兵法』とは何か?について特集した導入記事(無料)はこちらです。(過去記事のポイント解説はマガジン購入がお得です♪) まだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ参考になさってみてくださいね! 『孫子の兵法』は、現代のビジネスにも生

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『孫子の兵法』に学ぶnote戦略⑮(最終回)

いつも私の記事をご覧くださり、誠にありがとうございます。 久々に、『孫子の兵法』のポイント解説に戻ってまいりました……! 実は、孫子の本編解説は終わっており、残すところは、note戦略編とX戦略線がそれぞれあと僅かなのです……🌸 今回は、『孫子の兵法』をnote戦略に生かしたらどうなるか?のオリジナル記事第15弾となります🌟 これにて、note戦略編は完結!! わーい!! 長かったですが、無事に完成出来て良かったです😭🌟 皆様におかれましては、大変長期に渡り、ゆ

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歳時記を旅する55〔きりぎりす〕前*離れたる眼と眼さびしききりぎりす

土生 重次 (平成四年作、『素足』) 元禄二年(一六八九)七月二十五日(陽暦九月八日)、芭蕉一行は加賀小松の多太神社に参拝する。 ここで斎藤別当実盛の遺品である甲冑などを拝観し、「むざんやな甲の下のきりぎりす」の句を残した。 兜の持ち主だった斎藤実盛は、源平合戦で平家の武将だった。倶利伽羅峠の合戦で敗れ、加賀の篠原で再び陣を取り戦ったが、木曾義仲軍の前に総崩れとなった。そんな中、実盛は老体(七十三歳)ながら奮闘したが討ち死にした。 句のキリギリス、離れた両眼は八方を見渡せそう

 『孫子の兵法』に学ぶX戦略⑩

この記事をご覧くださり、誠にありがとうございます♪ 私の記事では約15回に渡り、『孫子の兵法』のポイント解説をしております! 今回は、「『孫子の兵法』をX戦略に生かしたらどうなるか?」のオリジナル記事第10 弾となります🌟 『孫子の兵法』とは何か?について特集した導入記事(無料)はこちらです。(過去記事のポイント解説はマガジン購入がお得です♪) まだご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ぜひ参考になさってみてくださいね! 『孫子の兵法』は、現代のビジネスにも生

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歳時記を旅する55〔きりぎりす〕後*秋風や二手を合はす千手佛

    磯村 光生 (平成八年作、『花扇』)  八月五日(陽暦九月十八日)、芭蕉は那谷寺を立ち寄り、「石山の石より白し秋の風」の句を詠んでいる。  那谷寺は、本尊は十一面千手観音で拝殿の奥の岩窟内に安置されている。千手観音は、胸の前で合掌する二本の手のほかにある千本(那谷寺は四十本)の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表しているという。  秋風は色なき風ともいい、空気が一際透きとおる感じがする。句の観音様の祈りも、身に沁みとおる

【読書の秋2024】〜 読書のスゝメ 〜

九條です。 錦秋の10月。少しずつ秋めいて参りましたね。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。 秋の夜長に読書などはいかがでしょうか? いきなりですが…。 想像してください。ここにひとつの文章があると仮定します。詩でもエッセイでも小説でも伝記でも論文でも…何でも良いと思います。 そこに「何が書いてあるのか」ということは大事だと思いますが、それよりも「その文章によって筆者は何を伝えようとしているのか?」を理解すること、すなわち「文字だけではなくて文字に書かれていないその背

歳時記を旅する54〔西鶴忌〕後*秋澄むや殿の並びし寄進札 

磯村 光生 (平成七年作、『花扇』) 『日本永代蔵』(一六八八年)の菊屋の善蔵という質屋の話(巻三)。     人に情けをかけることをせず、神仏へ願いをかけることも考えそうにない男だったが、初瀬の観音を信心して急に通い始めた。菊屋は「戸帳がひどくいたんでいるので、私が寄進して新しく掛け替えましょう」と言って、古い戸帳を譲り受けた。この戸帳の唐織は貴重なもので、大切な茶壷の袋や表具切れとして売って、だいぶ金銀を儲けて家が栄えたが、後には、昔よりおちぶれて、京橋で、下り船を目

鑑賞*笛吹川の風美しき九月かな

佐野 聰     川の流れを眺めながらも対象物との間に時間の流れを置いて笛吹川を透かし見ている。     笛吹川、なんとも美しく一度聞いたら忘れられない名前である。     その名前の由来は悲しく、六百年ほど前、父を追って住みついた笛の名手の権太郎と母が秋の長雨による洪水で流されて…という悲話が言い伝えられている。     悲しい気持ちのときほど空や風の美しさが身にしみる。 (岡田 耕) (俳句雑誌「風友」平成二十四年一月号 「風友」五周年記念大会吟行記「笛吹川の風美し

どうして茅の輪をくぐるのか(その3)

【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その1) 【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その2) この菅貫神事は現在の宇佐神宮でも、7月31日、8月1日、8月2日に斎行される御神幸祭(夏越祭り)の中で行われています。 菅貫神事の流れは文字ではわかりづらいので動画でも確認しましょう。  菅貫神事は動画の8:05から3分程度収録されています。(宇佐市観光協会ツーリズムTV 平成25年8月2日収録) 動画に出てくる字幕を以下に書き出します。 ここで押さえておくべきは、「神

なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし。 うつくしきもの (枕草子 第百五十一段 清少納言) これ、イヤリングなのですよ。こんなに小さいのにすみずみまで完璧に はさみのカタチです。 小さくて精巧な物を見ると「可愛いーーー!!!」と気分が上がるのは 1000年前からずっと。

「平安オタク」だったJK時代は枕草子を漫画に二次加工していた

今は、まごうことなきBBAだが、私にも女子高生時代があった。白いシャツにネクタイを締め、ボックスプリーツのスカートをはいて、毎日赤い名鉄電車に乗って通学していた。 当時、流行していたのはアムロちゃんだった。はい、年齢がバレますね。 ギャル女子高生の多くはシャギーヘア。こんがり焼けた顔に、釣り上がった眉を乗せたメイクが流行していた。 私はというと、くせ毛で頭髪がもじゃっぴー。シャギーヘアを再現するのは不可能だったので、諦めてひっつめにしていた。 そんな流行に乗り切れない女子

11月1日は、古典の日。 『紫式部日記』の1008年(寛弘5年)11月1日の記述に源氏物語に関する記述があり、これが日本を代表する古典文学である源氏物語についての最初の記録であることから、この日に。 アバタローさんの古典の名著解説が好きで、よく聴かせていただいてます。

【漫画】平安時代の出産って? ー 大音響の中命を懸けて ー

医療のない平安時代、出産はまさに命懸け! 当時の人々にとって出産はどのようなものだったのでしょうか? 平安時代、出産で亡くなる女性も多く、母親の5人に1人が命を失ったと言われています。 また子が流れてしまうこと、産まれても幼くして亡くなってしまうことも少なくなく、母子とも健康は50%以下という説もあるようです。 当時、病気や死は物怪の仕業だと考えられており、邪気を祓うため数多くの儀式が行われました。 そうした儀式の中行われる出産はどのようなものだったのか、まずは上級貴族の

歳時記を旅する54〔西鶴忌〕中*灯火親し句集に栞る葉書かな

 佐野  聰 (平成三年四年作、『春日』)     一六七五年、西鶴は三十四歳で、結婚して十年近くともに生活をしてきた九歳年下の妻を疱瘡(天然痘)で亡くす。  この年に「脈のあがる手を合してよほととぎす」から始まる千句近い俳諧を詠んで、大坂俳壇の俳諧師の追善句も加えた『独吟一日千句』を刊行し、妻に手向けた。     句は、読み続けた句集に手を止めたところ。栞にする葉書もまた読み返したくなる。涼しく、長くなった秋の夜。 (岡田 耕) (俳句雑誌『風友』令和六年九月号「風の軌跡

いつの時代も家は、シンプル・イズ・ベスト!エッセイ書くなら、好意的に思いを巡らせてみるのも大事

住まいは、現世の仮の宿にすぎないけど、住む人にふさわしい家は、いいと思う。 立派な人の、ゆったりと住みならした家なら、差し込んでくる月の光も心に沁み入るように見えるものだろう 皆さんは、どんな家にお住みでしょうか? 兼好さんは、人工的にあれこれ作り上げた家がお好きではないようです シンプル イズ ベスト! 確かに、個性的な家は、ちょっと引くかな 「ステキ〜」とか、言いながらもね 以前、テレビでバイオリニストの古澤巌さんがおっしゃってました ご自分の美学で、家の中にト

「かしこさ」 VS 「こざかしさ」

「明哲保身」は、 という意味である。賢明で安全な身の処し方を言う。 「明哲保身」は、儒家的見地からも、道家的見地からも、古代中国人の賢い生き方の典型であった。 歴代の文献から「明哲保身」の用例をいくつか拾ってみよう。 北宋・司馬光は、『資治通鑑』「漢紀」高帝五年の論讃で、漢の高祖劉邦に仕えた功臣について、次のように述べている。 「漢初三傑」と並び称される張良・蕭何・韓信ら三人の功臣の中で、とりわけ張良が「三傑之首」として尊ばれるのは、「功成りて身退く」を実践した彼の

どうして茅の輪をくぐるのか(その2)

夏の祓は平安時代には行われていた。 『拾遺和歌集』に「水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶといふなり」という歌があり、平安時代中期には宮中で行われていたようである。 菅貫という草の輪は、夏の祓の道具として用いられていた。 平安時代の年中行事を描いた『年中行事絵巻』の「六月祓」にも、その菅貫の場面が描かれている。 手前左の池に面して案(机)が置かれ、その上には幣串(白木の棒に紙を挟んだ串で、祓に用いる)が立てられている。案の前には円座(丸い形の敷物)が置かれ、祓をする

【古文】古文だからこそ分かること/『紫式部日記』を読んで

 これは、『紫式部日記』が如何なる本なのかという全体像を紹介するものでございます。  『源氏物語』は、光源氏を中心にした物語が展開いたしますけれども、光源氏が死んだ後も子や孫たちの物語として続いて参ります。光源氏の何か意志を継ぐとかの生き方が語られるのかと申しますと、そうでもございませぬ。人として同じ情欲に囚われ、同じ葛藤を懲りることなく繰り返していくのでございます。人物が誰であるかの性格は勿論重要ですけれども、物語の後半になるに従い、個人の物語よりも「時の流れ」の中で「人

古事記を楽しむ・・・朗読劇で? 2. 素人プロ ?

突然ですが  古事記の中身 知ってますか これは  一瞬の連続が人生でしょ 今が大事なの!充実していたいのよ! と考える大人たちに起きた  自分がたのしむ活動話です。 あるとき ふとしたことから 古事記って知ってる?  という質問を誰かが投げたところ ???となりました じゃあ、イナバの白ウサギ 知ってる? と聞くと  知ってる知ってる  アホなサメがウサギに騙されて  アタマきて皮むく話でしょ 大きな袋を担いだ神さまが助けるのよね あの人は優しいわあ となる

どうして茅の輪をくぐるのか(その4・完)

【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その1)  【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その2) 【スキ御礼】どうして茅の輪をくぐるのか(その3) どうして茅の輪をくぐるのか。  その由来と神話とのかかわりについて、歴史学者・東洋古代思想史研究家 村上瑞祥さんのコラムに興味深い説明があったので、これまでの疑問ごとに結論の部分を抜粋、要約する。 1)なぜ「茅」なのか。 ⇒中国では古くから茅は魔除けとして、また神前に備える供物として使われてきた。漢字の「茅」の文字は、「草

王心斎「明哲保身論」

「明哲保身」は、 という意味である。賢明で安全な身の処し方を言う。 「明哲保身」は、古来、知識人の処世態度を示す言葉として、しばしば詩詞文章に引用されてきた。 明・王心斎の「明哲保身論」は、「明哲保身」を自らの思想の中核をなす概念の一つとして取り上げた文章である。 王心斎は、明代後期、王陽明の門下で致良知説を継承し、のちに泰州学派を形成して思想界に大きな影響を与えた人物である。 「明哲保身論」の冒頭に次のように言う。 まず、「明哲保身」が、陽明学の基幹となる概念で

「拙」(一)~潘岳・陶淵明

「拙」「拙」は、「つたないこと」「不器用であること」を言う。 『老子』第四十五章に次のような一節がある。 「大成」「大盈」「大直」「大巧」「大弁」は、その逆である「欠如」「空虚」「屈曲」「拙劣」「訥弁」のように見えるという。 この中で、「拙」は、「巧」と対峙して置かれている。 「拙」は、俊敏さを欠き不器用であること、人や物の性質が劣っていることを表す。 「巧」(たくみ)に対する「拙」(つたなさ)であるから、「拙」の原義は、一般通念の上では貶義である。 ところが、

鯉は龍門に登ったか?

後漢の清流派の重鎮李膺は、厳正で剛毅な人物として声望が高かった。李膺に認められることは将来が約束されることに等しいとされ、世人はこれを「龍門に登る」と称した。立身出世の関門をいう「登龍門」の語源である。 龍門は黄河上流にある峡谷の名前で、この急流を登り切った魚は化して龍となるという言い伝えがある。通説ではこの魚が鯉であるとしているが、実はこれが少々疑わしい。 『後漢書』李膺伝で注に引く『三秦記』には、 魚鼈の属、能く上るもの莫し。江海の大魚、龍門の下に薄り集うもの数千、

日本の古典文学がおもしろい。ということに気づいた。

本を読みたくてもその時間がない。というのは忙しい現代人の共通の悩みかもしれません。 *通勤時間に本を読む → 車通勤なので無理 *昼休みに読む → 職場では落ち着かないので無理 *朝早起きして読む → 起きれないから無理 *寝る前に読む → 興奮して寝れなくなるから無理 休日は休日で何かと忙しい。 うーむ、読めない理由しか浮かんできません。 オマケに自分は遅読なもので、長編小説に手を出すと相当な時間がかかってしまいます。 ですので明らかに分厚い本や、上下巻に分かれている

【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 藤壺は源氏を愛していたか

源氏の初恋の人にして生涯の想い人であった藤壺。彼女は源氏のことをどう思っていたのでしょう? 藤壺は源氏の5歳年上の継母。源氏の母・桐壺更衣が亡くなった後、源氏の父・桐壺帝に入内した人です。 源氏との二度の密通の上妊娠し、不義の子(のちの冷泉帝《れいぜいてい》)を産みました。 度々忍んでくる源氏に冷たい態度を取り、源氏との不倫の関係を断つため出家までした彼女ですが、それは源氏を嫌ってのことだったのでしょうか? 藤壺と源氏の関係 ー 継母への禁断の行為 源氏と藤壺の出会い

THE男の涙!決断! 陸魯望「離別」。

またまた「中国古典名言辞典」より。 只今、「古文真宝」のところ。 「泣くな!男だろ!」 って言葉よくあるねー。 歌とか多そう。調べたら面白い。 昔ほどその傾向が強そうな。 今なら、 時代錯誤的? そんな価値観の中で 生きてきたから、 もう泣き方分らんくなったな笑 あと「決断」ね。 ズバッ!とね。 難しいね。 ちな「決断」の語源は、 昔の中国での洪水対策で、堤防を壊し、 どこかの村を犠牲にさせることを決めたことかららしい。 サクリファイス。 やっぱ、 何かを得るには

【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 源氏を苦しめた「女三の宮」というキャラクター

「『源氏物語』は「若菜」からー」と言ったのは、故・国文学者で歌人の折口信夫氏だそう。 『源氏物語』は第34帖「若菜」から第二部に入るわけですが…そこでは中年となった光源氏の人生の苦みや悲哀が色濃く描かれ、キーパーソンとして女三の宮という人物が登場します。 藤壺まで紹介した前回の記事から少し話がとんでしまうので(後でまた戻りたいと思っていますが)まずは「若菜」までの『源氏物語』のあらすじをざっくり確認いたしましょう。 『源氏物語』の第1部は、栄華の物語です。 葵の上や藤壺と

大河「光る君へ」〜安倍晴明と須麻流の最期〜

こんばんは。 ミュルアです。 今夜も、大河ドラマをリアルタイムで観てしまいました。 稀代の陰陽師・安倍晴明が従者の須麻流を連れて宙(そら)に帰ってしまいました。 瞳に星を宿し、天文博士らしい最期でした。 道長にとっては、未来を示唆する陰陽師というより、良きメンターであったように思います。 それにしても、未だ謎なのは、従者の須麻流の正体です。 危篤の晴明の側で必死で阿弥陀如来の真言を唱えていましたが、一緒に旅立つとは…。 須麻流(すまる)の名は、プレアデス星団の和

日記8/10-11🏖️ ・体調も含めていろいろとリラックスできている休日✨ →睡眠、食事、散歩もバランス良し👍 ・長期的な目標ほど、強い意志が必要💦 →資格勉強、投資計画など自分に厳しくせなあかん🔥 ・「ご縁を大切に」できる人に →習慣を変えれば、結果として運命も変わってくる🌟

大河「光る君へ」〜月の下で〜

こんにちは。 ミュルアです。 「光る君へ」(31)【月の下で】を観ました。 あまりに夢中になって、あっという間に終わってしまいました。 今まで、ずっと道長とまひろを見守ってきましたが、今回が一番見ていて、やっとこんな関係に昇華したと安心しました。 道長は、まひろの必要とする情報も高価な越前和紙も気前よく差し出してしまう。 恥も弱い所もまひろになら打ち明けてしまう。 まひろは、こんなに愛され必要とされているのに妾にはならず、宣孝と結婚しました。 時が経ち、今回、作家と

「拙」(二)~杜甫・白居易

詩語としての「拙」(続)杜甫 唐代に至ると、「拙」は、古典詩の詩語として定着する。 杜甫の詩にも「拙」字は多用されている。 「自京赴奉先縣詠懷五百字」では、冒頭で次のように歌う。 官途に意を得ず、何ら成すことなく年を重ね、老いてますます世間から遠く離れていく、そうした自分自身の心境を「拙」の字を以て表している。 ここでは、世間と調子が合わないことを歎いているわけではなく、むしろ、もはや調子を合わせようとする気がないことを表白している。 そして、不遇な状況にありなが

「明哲保身」

儒家の「明哲保身」「明哲保身」の原義は、 である。賢明で安全な処世の法を言う。 「明哲保身」は、『詩経』「大雅・烝民」篇に見える詩句に由来する。 仲山甫が周の宣王を輔佐し、王命を正しく執り行い、諸侯の国々によく対処したことを讃える詩である。 この中の二句「旣明且哲、以保其身」は、仲山甫が「明」(物事の理に明るい)であり且つ「哲」(知恵が優れている)であり、それゆえ「身」を無事に「保」ったことを褒め称えるものであり、これを4文字に縮めたものが「明哲保身」である。 こ

【雑記】文化保護の視点(&最近の近況など)

■はじめに(近況) ここ1ヶ月ほど、noteをお休みしていました  意識して休んだというより、季節の変わり目で少し忙しかったことや、なかなか筆が進まなかったこともあり、結果的にお休みしていたという感じです。  この間、自分の記事を書くこともさることながら、フォローしている方々の記事も、あまり読めていなくて、すみません。また、少しずつ再開していきたいと思います。  今日は、雑記を少し記載します。 ■雑記:文化保護の視点 私は、文楽を観ることがあるのですが、文楽は歌舞伎よりも顧

【和歌】赤染衛門/『紫式部日記』登場の歌人(2/4)

赤染衛門(天暦10年(956年)頃~- 長久2年(1041年)以後)  大隅守赤染時用の娘とされる。夫は文章博士大江匡衡、子は、少なくも2子女(大江挙周と江侍従)、源雅信邸に出仕、藤原道長の北の方源倫子、その娘の藤原彰子に仕えて、「匡衡衛門」<紫式部日記>とも呼ばれていたようで、紫式部、和泉式部、清少納言、伊勢大輔と親交あり、良妻賢母と伝えられる。 <『日本古典文学大辞典』(岩波書店)> 『赤染衛門集』  成立年時未詳(西暦1041年以後、1044~1053年の間)  『古

今日の短歌

「光る君へ」を毎週見ていると、何となく短歌を詠みたくなってくるんですよね~。 #今日の短歌 #相聞歌 #古典がすき

「過ぎたる」と「及ばざる」。どっちにも軍配を上げない孔子の価値基準とは―「中庸」

「中庸」の考え方がわかる、『論語』のある問答 かたらずほどよく、平凡普通でコンスタントなこと。それが「中庸(ちゅうよう)」。 いついかなるときでも、バランス感覚をもって対処できる。 それは孔子が理想とした生き方ですが、現代に生きる私たちにとっても、同じです。    孔子が『論語』で、「中庸」という言葉を述べているのは、1章句しかありません。そのうえ、そこには中庸がどういうことが述べられていないので、前回は『荀子(じゅんし)』で孔子が語っている「宥座(ゆうざ)の器」のエピソー

仕事ができる人はどんな難問・要求にも「ノー」とは言わない―『論語』

無茶ぶりの要求がきたらどう対応するのか  教科書、マニュアル、ビジネスのテキストには、正解や解決法がわかりやすく示されていて、そのアドバイス、指示通りにやれば、スムーズにいくことが多いです。  ChatGPTは未体験ですが、対話型の解決ツールなら、知りたいことや政界の近くにまで導いてくれます。公開されている情報や知識には、それなりの検索スキルがあれば、かなりの精度でアクセスできるといっていいかもしれません。  しかし、世の中の事象をみてみると、予測不能のこともあれば、対応

釜の中で泣く豆、、、厳しい現実ヨ。 曹子健「七歩詩」。

またまた「中国古典名言辞典」より。 只今、「古文真宝」のところ。 同胞が争いあうなんて馬鹿げてる、的な? または、 それぞれ役割がある、的な? まあどっちも厳しいぃぃ現実! で、 これは三国志・曹操の子、曹植のやつなんだ。 曹植って気になるやつよのー、たぶん好き。 あー、 定期的に読みたくなる「蒼天航路」。。。 ★\(^^)/☆

私訳『菜根譚』⑬~苦楽も美醜も気持ち次第

世人為榮利纏縛,動曰塵世苦海。 不知雲白山青,川行石立,花迎鳥咲,谷答樵謳。 世亦不塵,海亦不苦,彼自塵苦其心爾。 世人は栄利の為に纏縛せられ、動もすれば塵世苦海と曰う。 知らず、雲白く山青く、川行き石立ち、花迎え鳥咲い、谷答え樵謳うを。 世も亦た塵ならず、海も亦た苦ならず、彼自ら其の心を塵苦にするのみ。

春秋左氏伝。国政に関与する者は皆左伝を読まねばならぬと渡部昇一さんは言っています。大国が小国を武威で圧倒する春秋時代の小国は連合して大国の圧力に対抗するしかなかったのです。国内でいくら繁栄を享受しても民主国家アテネは軍事国家スパルタに攻め滅ぼされたのです。歴史に学ばないと危険です

組織運営の五大要件とは

組織運営に正解はないと思いますが、目指すべき方向性は時代を超えて不変の真理があり、そのことを端的に述べている中国古典の兵法書があります。 今回紹介するのは『尉繚子(うつりょうし)』。中国古典の兵法書である孫子や呉子とともに武経七書の一つとされています。 著者は「尉繚」という人物で、戦国時代の兵法家であり、主に戦略や軍事の指導に関する知見をまとめています。尉繚子は、戦争や政治における実践的な知恵が詰まっており、特に国家の存続や強化、軍隊の運営方法などが詳細に述べられています

私訳『菜根譚』⑪~水清ければ魚棲まず

地之穢者多生物, 水之清者常無魚。 故君子當存含垢納汚之量, 不可持好潔獨行之操。 地の穢れたる者は多く物を生じ、 水の清き者は常に魚無し。 故に君子は当に垢を含み汚を納るるの量を存すべく、 潔を好み独り行うの操を持すべからず。

大河「光る君へ」〜陰陽師・安倍晴明〜

こんにちは。 ミュルアです。 今朝方、大阪で停電があったようですが、大丈夫でしたか? この暑さの中、大変だったと思います。 お見舞い申し上げます。 また、台風も関東に迫っております。 地震も気になりますし、我が家では、防災の備えを見直しました。 前から買うか迷っていたポータブル蓄電池とソーラーパネルを購入しました。 皆様も、防災グッズの見直しをお勧めします。   ところで、遅ればせながら大河ドラマ「光る君へ」(30)【つながる言の葉】を観ました。 ドラマの中で、貴族も

【読書】『能の本』

 2024年9月、シテ方宝生流の能楽師、辰巳満次郎さんが監修した『能の本』を読みました(と言いつつ、4分の3くらい読んだところです。)  記録を残したいと思います。 ■本の概要・文  :村上ナッツ ・マンガ:つだゆみ ・監修 :辰巳満次郎(シテ方宝生流能楽師) ・発行日:2016年11月25日初版第一刷発行 ・発行所:西日本出版社 ■メモと感想(1)メモ  本の帯などから、本書の構成・特徴として、以下のような点が読み取れます。 能の入口として、「厳選20曲」 詞章が

サツマイモと大黒柱と大国主と

私は夢中になると食事が抜ける 中途半端な時間に お腹が空いて 先ほど蒸したサツマイモを温め直した。 信心深い友人に  食事は毎回箸を置き30回噛むこと  ご先祖様に感謝すること その意味もとくと説かれたことがある。 なのに私はサツマイモをかじりながら 狭い茶の間を行ったり来たり考えるヒグマになっている これはアウトだ この動線に大黒柱があって  その柱に神社のお札を貼っている ここもアウト。 ただアウトには理由がある 頭の整理には 歩いた方がスッキリするし 神棚がない

五丈原の詩 〜星落秋風五丈原〜

九條です。 今日の大阪はよく晴れて、空が高く青く輝いていました。大阪平野を吹き抜けるそよ風も涼しくて、秋の到来を感じます。 少しずつ秋めいて参りましたね。 今夜は、私が好きな詩をご紹介したいと思います。たまに、ゆっくりとしたテンポで口ずさみます(以下 約1,200文字)。 その詩とは、土井晩翠 作『星落秋風五丈原』(ほしおつしゅうふうごじょうげん)です。『三国志』で有名な諸葛孔明を歌った七五調の新体詩。 この詩は発表されるや否や評判となり、明治期には多くの人に暗誦さ

和歌の世界に、涼をもとめて。

連日、気がつけば、「暑いなぁ…」ということばがこぼれ落ちてばかりいます。 なにか、涼を感じるものにふれたい。 ただ冷たいだけではなくて、気持ちが凪ぐようなもの、森閑とした空気をまとったものが良いな。 本棚から「新古今和歌集」を取り出して、冬歌を眺めわたします。 上の一首は、高校生のときに古典の教科書のなかで出会って以来、ずっと好きなうた。 凍てついた月の冷たさ、美しさに指先がしびれるような感覚をおぼえました。ことばの連なりを見ていると、今いる場所から離れて、モノクローム

【漫画】和泉式部ってどんな人? ー 恋多き女性の隠れた魅力 ー

平安時代中期の歌人・和泉式部。 2人の夫をもち、2人の親王と恋仲になった”情熱的”な女性と評されますが、それだけでない、隠れた魅力がありました。 実を言うと、私は和泉式部がかなり好き。 彼女の人生をたどり『和泉式部日記』を眺めることで、華やかな恋愛遍歴の奥にある人間的な魅力に迫りたいと思います。 為尊親王との出会いで花開く、和泉式部の和歌の才 和泉式部といえば、まずその和歌の才に目がいきます。 『源氏物語』の作者であり、和泉式部の先輩女房であった紫式部も彼女の才能に一目

私訳『菜根譚』⑫~人に一歩譲るメリット

處世讓一步爲高, 退步即進步的張本。 待人寬一分是福, 利人實利己的根基。 世に処するに一歩を譲るを高しと為す、 歩を退くは即ち歩を進むるの張本なり。 人を待つに一分を寛くするは是れ福なり、 人を利するは実に己を利するの根基なり。