岡田耕

(おかだ こう) 俳人。 平成八年『扉』主宰:土生重次に師事。平成十八年『風友』(主宰…

岡田耕

(おかだ こう) 俳人。 平成八年『扉』主宰:土生重次に師事。平成十八年『風友』(主宰:佐野聰、磯村光生)入会、同人。

マガジン

  • 雑感

    俳句などに関するよしなしごとを書いた記事をしまってあります。note書き下ろし。不定期投稿です。

  • 一句鑑賞

    所属する結社誌で発表した句の鑑賞文。

  • 一句鑑賞~noteの森から~

    noteを通じて出会った句の中から、心に留まった句を鑑賞しました。(不定期投稿)

  • 選評・共鳴

    自身の句に関する記事です。選評とは、結社誌で主宰から選をいただいた講評のこと。共鳴とは、結社誌や他の句会、noteなどで自身の句を鑑賞や講評をしていただいたものです。

  • 歳時記を旅する

    土生重次とその師系の主宰の句を足掛かりに、季語の現場を時空を超えて訪ねる旅のエッセイ。〔毎月投稿〕

最近の記事

  • 固定された記事

俳書紹介 今瀬剛一『芭蕉体験 去来抄をよむ』

 「現代俳句はあまりにも痩せすぎていはしまいか。自分の本当の内部から出た言葉ではない言葉の遊び、没感動的な作品が横溢してはいないか。その原因はいろいろあろうが、私はその一つに芭蕉を忘れているということがあるのではないかと思っているのである。」という問題提起から、いまだからこそ芭蕉が大切なのである、と本書は説く。                    『去来抄』は、芭蕉の門人である向井去来の著になる俳論書。「先師評」「同門評」「故実」「修行」の四部から成る。本書では、芭蕉や門

    • 朝廷に献上された和菓子「七嘉定」

      【スキ御礼】和菓子を献上する「山王嘉祥祭」 嘉定喰は陰暦六月十六日に行われた行事。 今年(2024年)ですと七月二十日が陰暦の六月十六日にあたります。 江戸時代に宮廷で行われた嘉定は七種のお菓子を献上する(七嘉定)というものでした。 この七種の内訳については特定されていなかったようです。 この七種の嘉定菓子は現在でも虎屋さんで販売されています(写真)。 それぞれに菓銘があり、 写真真ん中が、 ・豊岡の里 上から時計回りに ・武蔵野 ・源氏籬 ・桔梗餅 ・伊賀餅 ・味噌

      • 鑑賞*北江・耕・紫乃の歩めば蜻蛉生る 

        秋山巳之流 句集『うたげ』所収。二〇〇三年 北溟社。  昭和十六年岡山県倉敷市に生まれ。俳誌「河」(角川照子主宰・角川春樹副主宰)同人。角川「短歌」「俳句」編集長を歴任。  「俳句倶楽部銀座」「ぴあ俳句会」(平成十三年時点)。 銀座「卯波」での句会、俳句倶楽部に参加していたご縁で、名を詠み込んでいただいた。個性的なメンバーに揉まれて、大いに刺激を受けた。思い出に残り、感謝。  これからは大きく空を飛べという、熱いメッセージ。 花の宴末座の隅を汚しけり  耕 (岡田 耕

        • 【スキ御礼】「共鳴*二階より二階へBonjour巴里祭」 記事の中で、過去にも巴里祭の句があるように評者に言われています。 その巴里祭を詠んだ自身の句は、noteにも投稿してます。 https://note.com/okadakou/n/n46142a463e22 https://note.com/okadakou/n/nc92a8c360890

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        俳書紹介 今瀬剛一『芭蕉体験 去来抄をよむ』

        • 朝廷に献上された和菓子「七嘉定」

        • 鑑賞*北江・耕・紫乃の歩めば蜻蛉生る 

        • 【スキ御礼】「共鳴*二階より二階へBonjour巴里祭」 記事の中で、過去にも巴里祭の句があるように評者に言われています。 その巴里祭を詠んだ自身の句は、noteにも投稿してます。 https://note.com/okadakou/n/n46142a463e22 https://note.com/okadakou/n/nc92a8c360890

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          50本
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          168本
        • 句集・俳書紹介
          21本

        記事

          鑑賞*泳ぎ来てわが家の匂ふバスタオル

          鈴木紗恵子 2024年6月21日発行「句具ネプリVol.15春分」所収。 海かプールか。 芋を洗うような、というほどの人の数。 波の崩れる音や子供達の歓声が溢れる。 家族のいるところがようやく見つかる。 潮の匂いや塩素の匂いの中で、 日に熱くなったバスタオル。 家の匂いは家族そのもの。 (岡田 耕)

          鑑賞*泳ぎ来てわが家の匂ふバスタオル

          共鳴*二階より二階へBonjour巴里祭

          ☆フランス映画『巴里祭』(1933年)。ai さんからそのテーマ曲です。 貴重な音源をご紹介いたします。 ♬ Ils habitaient le meme faubourg   La meme rue et la meme cour   Il lui lancait des sourires   Elle l'aimait sans lui dire ♬ 彼らは同じ地域に住んでいた。   同じ通りで同じ中庭   彼は彼女に沢山頬笑んで   彼女も口に出しては言わないけれど

          共鳴*二階より二階へBonjour巴里祭

          歳時記を旅する52〔夕立〕前*狛犬の口濡れのこし初夕立

          土生 重次 (昭和五十七年作、『扉』) 墨田区向島の三囲(みめぐり)神社の雨乞の話。元禄六年は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていた。ちょうど三囲神社に詣でた俳人其角が、このありさまをみて、「夕立や田を見めくりの神ならは」と詠み、翌日に雨が降ったと伝えられている。(榎本其角『五元集』) 其角の句は、能因法師が伊予国一之宮大山祇神社での雨乞いの和歌「天の川苗代水にせきくだせ あま下ります神ならば神」(『金葉和歌

          歳時記を旅する52〔夕立〕前*狛犬の口濡れのこし初夕立

          茅の輪くぐりと夏越の祓

          【スキ御礼】夏越の大祓 茅の輪を詠むには、夏越の祓い全体を理解しておきたいです。出題を機会に神田明神の夏越の祓いに参列してきましたのでご紹介します。 茅の輪くぐりは夏越の祓の一部であることが分かります。 夏越の祓のそもそもの起源は『延喜式』(九〇五年)に規定されています。大祓の次第は次のようです。 宮中の行事としては、その後、廃れたようですが、明治になって大祓いの行事が復興したそうです。神社では大祓を年中行事として行っていたそうです。神田明神の夏越の祓いの神事も

          茅の輪くぐりと夏越の祓

          共鳴*真白な前歯こぼれて夏帽子

          (岡田 耕)

          共鳴*真白な前歯こぼれて夏帽子

          鑑賞*サングラス夫より借りてよく似合ふ

          千野千佳 2024年6月21日発行「句具ネプリVol.15春分」所収。 夫の愛するサングラスはOAKLEYかRay Ban。 あまりの日差しの強さに掛けてみる。 サングラス越しの夫は、似合うよと言ってくれた。 どれどれ鏡をみれば、あらまあ、GUCCIのポスターのような素敵な私。 (岡田 耕)

          鑑賞*サングラス夫より借りてよく似合ふ

          句集紹介 秋山巳之流『うたげ』

          句集『うたげ』 秋山巳之流  二〇〇三 北溟社  作者は昭和十六年岡山県倉敷市に生まれる。俳誌「河」(角川照子主宰・角川春樹副主宰)同人。角川「短歌」「俳句」編集長を歴任。  後の月角川照子の背後より 「俳句倶楽部銀座」「ぴあ俳句会」(平成十三年時点)。  頬被とりて卯波の客となる  句集に『萬歳』、著書に『魂に季語をまとった日本人』『わが夢は聖人君子の夢にあらず―芭蕉遊行』。  義仲寺に香手向けをり破芭蕉  タイトルの「うたげ」は、長年にわたる編集者としての仕

          句集紹介 秋山巳之流『うたげ』

          夏越の大祓

          夏越の大祓は、七月の盆まつりを控えた六月の晦日(30日)に罪や穢れを払う神事。 各所の神社では、氏子中に形代を配って生年などを書かせ、大祓を行ってから船で近海に運んで海中に流したそうです。 現在では、神社の鳥居などに茅の輪をつくり、くぐることによって悪疫を免れるという風習があります。 昔は茅の輪をくぐるたびごとに次の歌などを誦えながらお参りしたそうです。 みな月の夏越の祓する人は千歳の生命延といふなり   (読人不知) 写真は、新橋の烏森神社で授かりました御朱印です。

          夏越の大祓

          和菓子を献上する「山王嘉祥祭」

          【スキ御礼】俳諧にみる江戸期の「和菓子の日」 全国和菓子協会は6月16日を「和菓子の日」と制定しています。 なぜこの日なのかを改めて全国和菓子協会の資料で確認します。 この嘉祥は明治時代には廃れてしまったといいます。 「和菓子の日」が制定されたのは、昭和54年。当時は甘味離れが一般に言われていたこともあり、和菓子業界では、なんとか和菓子に対する理解を深めたいという思いがあったようです。  当時の「和菓子の日」の行事としては、紅白饅頭一万個を配布したり、千代田区永田町の

          和菓子を献上する「山王嘉祥祭」

          選評*ぱんと割る竹の割箸夏料理

          (岡田 耕) 【スキ御礼】選評*軽鳧の子のお手玉七つ草の上

          選評*ぱんと割る竹の割箸夏料理

          共鳴*引きこもる悩みの渦の蝸牛

          ☆選評を書いてくださいました皆様、ありがとうございました。 (岡田 耕)

          共鳴*引きこもる悩みの渦の蝸牛

          梅雨という「季節」

           この原稿を書いている六月中旬は、暦では立夏を一カ月以上過ぎて夏も盛りだが、世間では今の季節は何かと問うと、梅雨という答えが多い。民間気象情報会社の「梅雨の季節感調査」によると、九十七%の人が梅雨は「季節の一つ」と思っているとの結果がある。春と夏の間に梅雨という季節を置いているのが社会通念のようだ。テレビの気象情報でもこの季節、「夏が待ち遠しいですね」などとアナウンサーが言っている。  梅雨はこれだけ季節の一つに定着しているようだが、どういう訳だか「春梅雨夏秋冬」「五季折々」

          梅雨という「季節」