「拙」(一)~潘岳・陶淵明
「拙」
「拙」は、「つたないこと」「不器用であること」を言う。
『老子』第四十五章に次のような一節がある。
「大成」「大盈」「大直」「大巧」「大弁」は、その逆である「欠如」「空虚」「屈曲」「拙劣」「訥弁」のように見えるという。
この中で、「拙」は、「巧」と対峙して置かれている。
「拙」は、俊敏さを欠き不器用であること、人や物の性質が劣っていることを表す。
「巧」(たくみ)に対する「拙」(つたなさ)であるから、「拙」の原義は、一般通念の上では貶義である。
ところが、中国には、古来、貶義の文字に褒義の意味を認める伝統、つまり元来は否定的なものを肯定的に捉え、そこに新たな積極的な価値を認めようとする伝統がある。
「拙直」は、「愚直」と同様に、多くは褒義で用いる。
「拙朴」は、飾ることなく質朴であることを言い、プラスに解釈される。
「拙誠」は、拙くとも誠実であるさまを言い、「巧詐」(ずる賢い)と相対するものである。
こうした「拙」には否定的なニュアンスはなく、「巧」や「智」よりもむしろ良しとされるのである。
詩語としての「拙」
潘岳
中国の歴代詩文において、「拙」は、文人精神を担う詩語としてしばしば用いられてきた。
詩語としての「拙」を論じる際、とかく陶淵明の「歸園田居」が注目されるが、実は、西晋・潘岳の「閑居賦」がこれに先立つ。
「閑居賦」は、潘岳が50歳の年に都の洛陽に隠棲した際に詠じたもので、「拙」字に始まり「拙」字に終わる。
序文で自らの経歴を記し、官途に不遇で何度も左遷されたり免職されたりしたことについて、次のように述べている。
出世できるか否かは時の運とは言え、畢竟、自分の「拙」なる性分が招いた結果であると語る。
そして、さらに続けてこう述べる。
和嶠から与えられた「多を用うるに拙し」という人物評をはじめ、繰り返し「拙」字を用いて、自分が官界では役立たずの存在であることを語る。
続いて、「閑居賦」本文においても、その冒頭で次のように語る。
「道有るも仕えず」であるゆえに蘧伯玉に恥じ、「道無きも愚ならず」であるゆえに甯武子に恥じるという。
字面の上では自虐的な口吻で語っているが、実はこれら一連の「拙」字は、決して謙遜の辞ではなく、自らを卑しめているわけでもない。
そのことが、「閑居賦」の末尾の句によって明らかになる。
役人としての世渡りが下手であることを、むしろ誇らしげに語っているさまが行間に現れている。
「養拙」は、「拙」なる自らの性分を大切に養い育てるという積極的な志向の語である。
中国の古典詩文における「拙」の系譜を考える上で、潘岳の「閑居賦」は、見過ごすことのできない重要な作品である。
とりわけ、「閑居賦」によって「隠棲」という行為と「拙」という概念が結びついたことに意義がある。「拙」は、後世、官界から退いて隠棲する際に、文人がしばしば口にする常套語となるのである。
陶淵明
隠棲と「拙」の関係は、東晋に至って陶淵明に受け継がれる。
「歸園田居」五首は、陶淵明42歳の年、彭沢県令を辞して郷里に帰った翌年の作である。
官界での不本意な生活と訣別し、郷里の田園に帰って自適の生活を送る喜びを歌っている。
「拙」は、世渡りが下手なことを言う。愚直で要領の悪い生き方であるが、小賢しい知恵を働かさない、世俗におもねらないという信念を持った生き方であり、これは謙遜というより、むしろ自己主張の言葉である。
「守拙」は、そうした生き方を貫くことによって人間本来の純朴な在り方を保つことをいう。
生き方が不器用だというのは、世俗に合わせることができないのではなく、合わせようとする意志をそもそも持たないのである。
「拙」なる自分の姿をそれで良しとし、そうした生き様を大切に守っていこうとする態度である。
「感士不遇賦」では、次のように歌う。
ここで「取拙」というのは、拙い生き方を選択するということである。
頑なに己を屈することなく貧窮を守り通し、官界における栄達を棄て、粗末な生活に甘んじる。それが見当違いの了見であると自ら認めつつも、自分はあえて「拙」なる生き方を選ぶと詠じている。
「歸園田居」のみならず、陶淵明の詩の中で「拙」の用例が見られるのは、いずれも隠遁後の作である。
前述の通り、「拙」を隠棲と関連づけて詠じたのは潘岳の「閑居賦」が最初である。
しかし、潘岳は生涯一貫して貴族的生活を維持しており、「閑居賦」を書いた後も出仕している。「拙」は、いわばポーズであったように思える。
それに対して、陶淵明の場合は、きっぱりと官界を辞して郷里に帰り、自然豊かな田園で隠遁生活を送る中で、「拙」を選び「拙」を守らんとした。
それゆえ、陶淵明が歌う「拙」は、「拙」であることを気取るような表面的なポーズではなく、現実味があり、内面性、思索性が認められる。
詩語としての「拙」は、潘岳から陶淵明へ受け継がれる過程で、より精神性の高いものへと深化を遂げているのである。
そして、唐代に至ると、杜甫や白居易らの詩に歌われて、さらに新たな展開を見せるようになる。
杜甫・白居易の「拙」については、次回の記事で述べたい。
*本記事は、以前投稿した以下の記事の一部を簡略に改編したものである。
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