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中井英夫 『戦中日記 彼方より』 : そこにこそ 詩の故郷はある

書評:『中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉』(河出書房新社)

【旧稿再録:初出「アレクセイの花園」2005年6月29日】

※ 再録時註:本書については、年来の中井英夫ファンとして、当然のごとく初版本を所蔵していたが、この段階では未読であった。縁あって、この新版を編者から贈っていただいたのだが、私のようなアマチュアが当たり前のように受け取るものではないと思ったので、その代わりに自費で5冊くらいは購入して埋め合わせをした)

『中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉』(河出書房新社)を読んだ。
『彼方より』の、初めての通読である(初刊は、1971年・深夜叢書社『彼方より 中井英夫初期作品集』)。

中井英夫の熱心なファンだとはいうものの、私の場合、「日記」にはあまり興味がなかったし、これからもたぶん同様であろう。
私は、決して「義理堅い」ファンではないから、「ファンならば、全部読んでいないと」などとは考えない。もっとも、一一コレクターだから「全部持っていないと」とは考えてしまうのだが…。

今回、この「完全版」の刊行を待って通読することになったのは、編者の心遣いに「義理」を感じたからなどでは毛頭なく、「せっかく完全版が出たんだから、この機会にでも読もうか」と考えたからにすぎない。
私は、ある意味、「完全主義者」である反面、「いらち」の「効率主義者」で、世間並みの「覗き見趣味」をかなりの部分みごとに欠いた「個人主義者」(他人の事はどうでもいい)でもあるから、端的に言って、「日記」というものが、読物としては効率の悪い、ただただ読むに面倒な「資料」としか思えなかったのである。

しかし、そうした意味で「日記」に興味がないということと、中井英夫個人の伝記的事実に興味がない(小説にしか興味がない)ということとは、同じではない。
じじつ、拙論「中井英夫の「晩年」――「幻想文学者」という生」(※ リンク切れ)にも明らかなとおり、私の興味は、「小説」作品を通して望見される、中井英夫という個人にこそ向いているのだ。

ホランドくんが前回(※ 「アレクセイの花園」への前回の書き込みで)(「『中井英夫戦中日記 彼方より〈完全版〉』刊行 (上)」 6月26日)、

 今、この本を手にしながらボクは、なぜだか、この本を紹介するための贅言を費やそうという気にはなれないでいます。・・・これは、「面白い」本じゃない。たしかに「面白い」本じゃないんですが、読めばきっとその人に、忘れられない、曰く言いがたい、暗く重い印象を残す本だと思います。そして、それはとても貴重な、大切な読書体験だと思うんです。だから、多くの人に読んでほしいし、「今、読まなければダメなんだ!」とさえ言いたくなります。

と書いていたが、こういう「感じ」については私もまったく同感で、『戦後60年特別出版』などと添え書きされ、「古びない反戦本」だとでも言いたげな売り込みがなされいていたりすると、序文を寄せた鶴見俊輔や解説者の川崎賢子のそれであれ何であれ、とにかくもう、そんな型どおりの売り込みは御免だ、という気になる。
また、だからといって、それをもう一捻りして、そこに中井英夫という「作家の資質」を読み取ってほしいなどと望むのも、いかにも賢しらな「わざとらしさ」が感じられて、それはそれで厭だ。

そんな気難しい注文をつけた挙げ句、私に何が言えるのか。
それは、「反戦」でも「作家」云々でもない、ひたすら「怒り」「嘆き」「憎み」「抗う」中井英夫の「度しがたい偏固ぶり」を賞揚して見せたうえで、くるりと読者の方を振りかえり「でも、そんな中井英夫が好きだという貴方は、ずいぶん物わかりのよい常識人ですよね」などと、皮肉な告発をすることくらいなのだ。

『(※昭和十九年)十月三日

新しい小学校の三階。校庭では体操の時間で二百名ぐらいの女の子男の子が騒ぎ立ててゐる。水色、赤、黄、華かな彩どりのいきものが、この二三日、兵器ばかりいぢくつてゐた眼にいとほしい。
 集つて、あしぶみして、歌を唄い出す、「予科練」を「七つ釦は桜に碇」を。ふいに先生の鋭い声がする。じつと指さされてゐる、一人の子が。
 一一あの子はうたつていない。

その子よ、わづかにめぐみ出した嫌悪の心を、ひとりしづかにつちかふがよい。やがて咲く不幸の花にいくたび涙させられることがあつても、そこにこそ詩の故郷はあるのだから。そこにこそおまへが、詩人の名を得られるのだから。
 このさはやかに晴れわたつた秋のひとひ、空には飛行機雲がいくすぢか糸をひいてゐる。賑かに、邪気もなく(?)、群れてゐるみんなの中でたつたひとり、歌をうたはなかつた子供、万歳。
 あの子はうたつてはゐない、その声にたじろいではならぬ。
 ヘイ、おかしくつてうたへません、ト。
 わたしはひとりでゐたいのです、ト。
 必要ならいつでも列を離れてしまへ。』(P125~126)

私は、今こそ「戦争反対」を叫べ、と言いたいのではない。そんなことなら誰にでも言えよう。私が言いたいのは、今こそ「日の丸・君が代の強制」に抗え、ということですらない。

私はただ、「日の丸・君が代の強制」という我々目前の現実に対しさえ、さしたる興味も示さないような「普通の人」が、ここに引用した中井英夫の文章を読んで、共感したような気分になったり、あろうことか自身を『群れてゐるみんなの中でたつたひとり、歌をうたはなかつた子供』に擬するなどというのは、滑稽この上ない勘違いだと、嘲笑したいだけなのだ。

むしろ私が言いたいのは「君らは分相応に群れておればよい。ただし、中井英夫の眷属を僭称したりするな」ということなのである。

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