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祝百寿 ・ 村上芳正(村上昂)画伯 : 画集『薔薇の鉄索』の頃

今日5月11日は、三島由紀夫の遺作「豊饒の海」四部作や沼正三『家畜人ヤプー』などの装幀画で知られる、村上芳正画伯の百歳の誕生日。

意気軒昂とは言えないまでも、画伯はこれという持病もなく、現在も施設で静かな生活を送っておられます。

私は、縁あって、村上さん(と書かせていただきます)の画集『薔薇の鉄索』(2013年・国書刊行会)の刊行に関わらせていただいた、幸運な村上ファンです。

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今から10年ほど前の私は、一人の本好きであり幻想絵画の愛好者として、当たり前のように村上芳正のファンでした。

その頃の私は、村上芳正という画家は「昔の人」であり、すでに故人であると勝手に思い込んでいたのですが、旧作の展示ながら、「幻影城の時代展」(2008年・ギャラリーオキュルス)に村上さんが参加なさっていることを知り、そこで村上さんがご健在であることを知らされました。

その後、知人の紹介で、ほとんど「伝説の人」であった、村上さんご本人に直接お会いして、お話をうかがう幸運に恵まれたのですが、そのお話の中で、村上さんがそれまで画集を出したことがないばかりでなく、個展も開いたことがないと聞かされて、心底驚きました。
画集がないというのは、言われてみればそのとおりで、かなりの古本マニアであった私も、村上さんの画集というのは聞いたことがなかったので、そうだったのかと妙に腑に落ちる感じでした。
ですが、それにしても個展を開いたことがないというのは、なんとも不思議な話です。村上さんほどの仕事をなさっている方なら、当然、個展くらいは何度も開いているはずだ、そうでなければおかしい。

しかし、ご本人にお話をうかがうと「僕は好きで絵を描いている人間だから、個展を開こうとか、絵を売ろうとか考えたことはなかったのです」と、じつに恬淡として欲のない話をなさる。
当時、九十前だった村上さんは、血色もよくお元気そうで、話ぶりもしっかりなさっており、しかも大変お洒落だったので、私は、稼がなくても生活ができるほどのお金持ちなのかと疑ったのですが、どうやらそういうことでもない。
むしろ、長い人生の大半は貧乏生活であり、はっきりはおっしゃらなかったものの、私がお会いしたその当時も、決して金銭的に余裕のある生活をなさってはいなかったようでした。

その後、画集の刊行に向けて何度か村上さんとお会いする中でわかったのは、村上さんという人は、ちょっと浮世離れしたロマンチストであり、自分の愛する人と愛する花一輪があれば、生活は貧しくても平気という、そんな人だということでした。

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しかし、私は、そんな村上さんの、これまでの人生と生活のお話をうかがっているうちに「この人に画集の一つもないというのは、どうにも理不尽な話ではないか。絶対このままで良いわけがない」と、怒りに似た感情がフツフツと湧いてきました。
そしてその後、時に村上さんから「やっぱり、画集の話はなかったことにしてください」などと言われたりしながらも、出版業界に身をおく友人の協力を得て、村上さんの画集の刊行を目指すことになったのでした。

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本稿末尾に、ご紹介するのは、村上芳正画集の刊行を目指した私たち有志が開設した、村上芳正のホームページです。

画集を刊行したいと言っても、すでに村上芳正は「知る人は知る」だけの画家であったし、今ほどではないにしても、当時すでに出版不況に突入していましたから、まともな画集を出そうと思えば、話が右から左に進むというような状況ではありませんでした。
だから、すでに「過去の人」になっていた村上芳正の素晴らしさを、あらためて多くの人に知ってもらうことから始めなければならない。そして、そのためにはまずホームページを開設して、そこで代表作を紹介し、またそれを、出版社へのプレゼンテーションに使おうと考えたのです。

現在、このホームページは、画集刊行という目標を達成してお役御免となり、長らく更新は途絶えても当時の記念として残されておりますが、村上さんの百寿のお誕生日に合わせて、その当時を知らない方にも見ていただきたいと思い、この文章を書かせていただきました。

今でこそ「知る人は当然知っている」画家になった村上芳正ですが、10年前の私には「このままいけば、いずれ忘れ去られてしまう」という危機感がありました。
しかし、幸いなことに、多くの方の力添えで、すごく立派な画集を刊行することができました。
版元である国書刊行会さんを喜ばせるほど売れたという訳ではありませんが、この画集の刊行によって、村上芳正の名前は決して忘れ去られることのないものになったと、私は確信し自負しています。

村上さん自身には「名を遺そう」なんて気持ちは、これっぽっちも無かった。でも、これは村上さん個人の問題ではなく日本の文化の問題であり、村上芳正の絵を後世に遺すというのは、その美の光に照らされた者の務めだったと、私は今もそう思っています。

戦争体験者であり、苦労多き人生を、それでも小さな美を愛し、その美意識に生きた村上さんも、なんと百歳。
私は、画集の制作に手弁当でたずさわってくれた友人たちに時々「村上さん、俺より長生きしそうだな」なんて冗談を、それこそ10年前から口にしていましたが、今や、まんざら冗談でもないんじゃないかという気もしています。

ともあれ、村上さんのこれからの一日一日が、ささやかでいいから、美と幸福に満ちてあることを祈らずにいられません。

村上さん、これまでも、そしてこれからも、本当にありがとうございます。

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(撮影・竹上晶)

村上芳正HP「薔薇の鉄索〜村上芳正の世界〜」http://barano-tessaku.com

(2022年5月11日)

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