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村上芳正追悼展 ・ 小樽文学館にて

2023年11月3日から2024年1月24日まで、小樽文学館で開会されている、正式名称「異端と正統の装丁画家 追悼・村上芳正展」に来ている。

昨年の11月8日に、村上が百歳で天寿を全うしたので、その一周忌記念の展覧会が開催されているのだ。

私はいちおうのところ、村上芳正の側の人間なので、最初だけ「村上」と敬称略で書いたし、それなら、この展覧会を、小樽文学館に「開催していただいた」と書いた方が良いのかもしれない。

ただ、村上さんに関して言えば、勝手ながら、私の使命は2013年の『薔薇の鉄索 村上芳正画集』(国書刊行会)の刊行をもって終わっており、あとは一人のファンに戻ったつもりなのだ。
その後の展覧会等の実務については、画集の編集作業でも実質的なリーダーであった本多正一さんに、丸投げして押しつけてしまった。

画集についても、本当は、私は編集関係者の一人でしかなく、監修編集人として本多さんの名前を筆頭にしたかったのだが、本多さんから、是非とも「言い出しっぺとしての責任を負え」と言われたので、観念して監修者などという、似合わない肩書きを引き受けたのである。

万事そんな調子だったので、画集が完成するまでの、デモンストレーションとしての展覧会には、言い出しっぺとしての責任もあって、ほとんど顔を出したが、画集が出て以降のイベントについては、ほとんどサボらせていただいた。
展覧会をはじめとしたイベントが、基本、関東中心、時に北海道でだったからということもあったが、私としては、画集を出してしまえば、あとはもう何もしなくてもかまわないというのが、正直なところだったからだ。画集を出すためのデモンストレーションとして、各種のイベントは必要なものだったのだが、私はもともとイベント的なものは、主催するのは無論、個人としては参加することも好まない人間だったからである。端的に言って、面倒なのだ。大人数で、みんな連れ持ってというのが好きではない。

今回の展覧会でひさしぶりに義理を果たしたのも、じつは前々から「退職したら、身軽になるから、小樽にもまた行きますよ」と約束していたからで、一周忌の展覧会だからというわけではない。

今はもう、たまに映画を観に出かける以外は、家で本を読み、レビューを書く生活に、心から満足しているので、もしかすると、飛行機に乗るのはこれでおしまいになるかも知れないし、そう願いたいものだと思っている。

村上芳正追悼展というタイトルのわりには、展覧会の中身について何も書いていないが、これも正直なところ、いまさら何も書くべきことはない。「画集を見てください」とそれだけ言えば、それで十分。村上芳正のすごさ、すばらしさは、わかる人にはひと目見てすぐわかるし、わからない人は生まれ変わらないかぎりわからない種類のものなのだから。

ただ、こんなやる気のない私だが、しかし、村上芳正の画集を作ったことだけは、誰にも誇れる仕事であったと自負している。私が「村上芳正の画集がないなんて、絶対おかしい!」などと、素人っぽいことを言い出さなければ、村上芳正の仕事は散逸して、忘れ去られたに違いなかったからである。

しかし、画集が成ったのは、もちろん本多正一さんをはじめ、堀江あき子さん、竹上晶さん、国書刊行会の竹中朗さんなど、多くの方の無償のご尽力とご協力があったからである。
何でも一人でやりたがり、他人の力を借りるのが嫌いな私一人では、決して、この仕事は成し遂げられなかったというのは、あまりにも明白な事実だ。
その意味で、ずっと本多正一さんには頼りきりの任せきりだったので、唐突だがここであらためて感謝の意を示しておきたいと思う。

今や、人気画家の画集でも、ソフトカバー版が当たり前だし、A4版の小さな画集さえ、よく見かける。出版界に限ることすら出来なくなった、とても侘しいご時世だが、2000年頃までにはほとんど完璧に忘れられていた画家の、あんなに立派な画集が出せたというのは、やはり、ひとつの奇蹟なのではないかと、そう思わずにはいられない。
また、そう言ったとしても、謙虚で欲のない村上さんは、決して怒ったりはしないことを、私はよく知っているのだ。

(2023年11月17日)

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