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権田萬治 『日本探偵作家論』 : レジスタンスとしての 「アマチュアリズム」

書評:権田萬治『日本探偵作家論』(双葉文庫・日本推理作家協会賞受賞作全集)

私が若い頃の、ミステリー小説の「文庫解説」者と言えば、中島河太郎権田萬治郷原宏のいずれか、という感じだったのだが、もしかすると、今どきの若いミステリー読者は、この三人の名前すら知らないかもしれない。

中島河太郎は、本職は「教師」だけれど、若い頃(戦前)から、「探偵小説」(いまで言う、ミステリ・ミステリー小説)を読んでいた結果、『1947年に探偵新聞に連載した「日本推理小説略史」で江戸川乱歩に注目され、ミステリー小説評論家としての本格的な活動を開始する。1955年、まだ書き下ろし小説を募集していなかった第1回江戸川乱歩賞を、外国・日本推理小説をまとめ評論した『探偵小説辞典』で受賞』して、日本初の「ミステリ評論家」になった人だと、おおよそそのように言っても良い人である。(※ 『』内は、Wikipedia「中島河太郎」より)
なお、引用文中の『探偵新聞』というのは、よくわからないが、「同人誌」的なものだと思われる。

権田萬治も、戦前から「探偵小説」に親しんだ人だが、下のような経歴を経て、ほとんど「日本初の専業ミステリ評論家」になった人だと言えるだろう。

『幼いころから本が好きで、子供のころは江戸川乱歩、海野十三山中峯太郎などの少年ものの探偵小説、科学空想小説、冒険ものなどに熱中。小学三年生の後半から終戦まで山形の小国町に縁故疎開したが、本屋がなかったため友人に頼んで、土蔵などに保存されていた円本や雑誌『新青年』などを借りて、戦前の乱歩や小酒井不木など大人の探偵小説を読みふけったという。しかし、東京に戻って高校に進学してからは海外ミステリーや内外の純文学と哲学へと関心が広がり、大学では文学だけでなく映画、絵画など幅広い前衛芸術運動に関心を抱くようになり、岡本太郎花田清輝から大きな影響を受けた。
東京都立日比谷高等学校を経て東京外国語大学フランス語科に入学するが、国際関係コースを選び、社会心理学を専攻。卒業論文は「流行現象の心理学」。
本や字を書く仕事に関わりたいという希望を持ち、大学卒業後に社団法人日本新聞協会に入社。編集部広報課に勤務していたが、1960年、昼休みに近くの本屋で推理小説専門誌の『宝石』がミステリー評論を募集しているのを知り、「感傷の効用―レイモンド・チャンドラー論」を書き上げると、同作が佳作に入選した。これをきっかけにミステリーを中心とした文芸評論に従事することになる。具体的には、推理小説専門誌『宝石』上に戦後の推理作家論を立て続けに発表し、1962年の11月からは当時すでに探偵小説評論・研究の第一人者とされた中島河太郎と、ゲストを挟んだ鼎談方式で新刊を取り上げるようになった。』

郷原宏は、「H氏賞(※ 日本現代詩人会が主催する、新人の優れた現代詩の詩人の詩集を広く社会に推奨することを目的とした文学賞。詩壇の芥川賞とも呼ばれる。)」受賞「詩人」として知られる人だが、その郷原が、どうして「ミステリー小説の解説」をたくさん書くようになったのかというと、郷原が『早稲田大学政治経済学部卒。読売新聞社に入社し、社会部記者、週刊読売編集部、出版局編集者を歴任。編集者時代は松本清張の担当を務めた。』人だったからであろう。つまり、詩人として知られた人だが、本職としては編集者であり、しかも松本清張を担当で、時代は「松本清張に始まる、社会派推理小説全盛」だったから、戦前からの「ミステリファン」だった中島河太郎や権田萬治とは少し違ったルートから、「ミステリー評論家」になった人だ。
しかしまた、そのために郷原は、「新本格ミステリ」勃興には対応できずに、その後はミステリ界での露出がすっかり減ったしまった、というようなことではないだろうか。

そんなわけで、私が「ミステリー小説」を読み始めた頃、つまり「新本格ミステリ」ムーブメントの数年前の時期というのは、粗製濫造されたが故の「社会派ミステリの衰退期」であったから、「社会派ミステリ」は避けていた私でも、「文庫解説」というと、この3人の名前ばかりが、やたらに目につき印象にも残ったのである。

だが、はっきり言うと、私のこの3人に対する印象は、あまり好ましいものではなかった。
その理由は、彼らの書く「解説文」が、「作者と作品内容の紹介文」ではあっても、「批評的な面白さ」に欠けていたからである。

たしかに、初めてその作家の本を読む読者には、親切な「情報提供」なのかもしれないが、同じ作家や同系統の作家を読む読者にとっては「わかりきったことを、また書いている」という印象を与えてしまう。
また、「内容紹介」というのは、その本を「読もうかどうか」と迷っている人には便利かもしれないが、作品を読んだ後に「解説」を読む者には「読めば、誰でもわかることを書いている」ということにしかならないのだ。

つまり、私としては、小説本編を読んだ後、「解説」によって解説され、そこで初めて「そうだったのか!」と感心させてくれるような「深い読み」というものを、「解説」に期待した。「解説」とは「読み解きによる説」なのだから、「読めば誰にでもわかること」など「読み解き」には当たらないので、そんなものなら「蛇足」に等しいと感じられたのだ。私は「解説」に、そんな「プラスアルファ」を期待していたのである。

そして実際、その当時すでに、そういう優れた解説にも接していたからこそ、そういうものを期待したのだが、そうした「優れた解説」として真っ先に思い浮かぶのが、例えば、中井英夫虚無への供物』(講談社文庫)の出口裕弘のそれであり、竹本健治匣の中の失楽』(講談社文庫、のちに双葉文庫)の松山俊太郎のそれなどであった。

今になってみると、この二人は、それぞれに「フランス文学(研究)者」であり「インド哲学(研究)者」であって、「ミステリ評論家」ではないし、「解説屋」でもない。だからこそ、ミステリー小説の枠内で終始するような、わかりきった「解説」や、平凡な「内容紹介文」など書かなかった。
彼らの「解説」は、まさに「作家論」であり「作品論」と呼ぶに値する「論文」であって、しかもそれが、非凡なレベルのものだったのである。

また、当時は、気づかなかったが、この二人は澁澤龍彦グループの中心メンバーであったからこそ、そうした「個性」が文章にも表れていたのであろう。

そんなわけで、こういう「例外的に力作の解説文」と、ほとんど片っ端から書かれたような「解説文」を、同列に扱うのは酷なことだったのかもしれないが、しかし読者としては、そんなことは知ったことではない。
たくさん(本数を)書くから「薄い」文章しか書けないというのなら、たくさん書かなければいいだけの話で、それが「物書き」の倫理だからである。

したがって、本書『日本探偵作家論』の著者である権田萬治についても、さほど良い印象は持っていなかった。ことさらに悪い印象もなかったが、ほとんど興味を持てない存在だったと言えるだろう。
私の印象からすると、権田萬治もまた「中島河太郎と同様の、面白味のない研究家気質の人なのではないか」という感じだった。要は「よく調べて、よく知ってはいるが、常識的な読みを超える洞察力までは持たない、無難に便利な解説屋」というイメージだったのである。

実際、中島河太郎の代表的著作である『日本推理小説史』というのも、その名のとおりの「研究書」であって、「文芸評論書」ではない。
事実を丹念に収集して、それをまとめた「篤実な研究書」であり、それはそれで重要な存在意義を持つものなのだが、ただ、いちミステリ読者であった私は、「優れた小説」やその「優れた解説」が読みたいのであって、「日本の推理小説史」を知りたいわけではない。どんな歴史を経てなったものであろうと、とにかく私が求めるのは「結果としての優れた作品」であって、その「成立事情(背景)」ではなかったからである。

つまり、中島河太郎という人は、その代表的著作を見ても、多くの「文庫解説」(や、本書解説)を見ても、やはり「篤実な研究者」ではあっても、「優れた(鋭い)文芸評論家」ではなかったから、私は中島の著作を読もうとは、一度も思わなかったのだ。

もちろん、「松本清張以降、新本格ミステリ未満」の郷原宏についても、まったく興味が持てなかった。
詩人として有名だったのかもしれないが、あいにくと私は「詩オンチ」だし、郷原の「解説文」を読んでも「さすがは詩人、感性が違う」といったものは、まったく感じられなかった。
むしろ、今回この文章を書くために「Wikipedia」を参照したことで、初めて郷原が「読売新聞社出版部の、松本清張担当の編集者」だったと知り、そちらで「なるほど」と納得した。つまり、郷原の文章は、「詩人」の文章というよりも、「新聞記者」か「編集者」の「(個性を持たない)文章」という感じだったのである。

だが、権田萬治については、長らく引っかかる部分があった。
喉に引っかかったままの魚の小骨のようなものとして、本書『日本探偵作家論』は、私にとって、ずっと気掛かりな本だったのである。

 ○ ○ ○

本書が気になった理由は明白だ。要は、本書が、主に戦前の「探偵小説作家」を扱っていたからだ。

私は、『虚無への供物』『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』あるいは『匣の中の失楽』などの作品で、ミステリに魅せられ、その直後に勃興した「新本格ミステリ」ムーブメントで、自覚的なミステリファンになった人間である。

だから、その当時、すでに堕落の極みにあった「社会派ミステリ」にはまったく興味がなかった反面、澁澤龍彦が領導した「異端の文学」ブームや、桃源社の「大ロマンの復興」シリーズによって次々と再刊されて、当時は「古本」として容易に入手できた、戦前の「探偵小説」には強く惹かれていた。
江戸川乱歩小栗虫太郎夢野久作といった作家に代表される、戦前の「探偵小説」。今の言葉でいえば「変格ミステリ」色の濃い、異形の作品群の惹かれていたのだ。

しかし、戦前の「探偵小説作家」についての評論文というのは、前記、桃源社刊行の「大ロマンの復興」シリーズの作家別単行本の「解説」などはあったものの、1冊の本としてまとまったものはなかった。
だから、戦前(から)の「探偵小説作家」については、興味を持ったところから個別に読み、それに付された「解説」で、おおよそのところを知りはしたが、マイナーなところまで含めた「全体感」を持つには至らなかった。

(桃源社の本)

無論、戦前の作家を論じたものとしては、江戸川乱歩の著作があったのだが、乱歩の小説ファンである私は、あまり乱歩の手になる「研究・評論書」を読もうという気にはなれなかったし、その一因としては、乱歩もまた、そうした著作に関しては、「研究家」気質の人だったのではないか、つまり評論家気質の人ではなかったのではないか、という印象があったからだ。

というのも、乱歩のそうした著作として名高い「類別トリック集成」や、『貼雑年譜』といったものは、乱歩の「コレクター気質」と「整理癖」をはっきりと反映した「収集・分類」の書であり、私が期待する「読解批評」の書ではなかった。だから、乱歩の「評論」には、あまり期待できなかったのである。

そんなわけで、戦前(から)の「探偵作家」の作家論をトータルに知ろうとすれば、本書『日本探偵作家論』以外にはなかったから、これは是非とも読みたい本だったし、さらには本書が、戦前の「探偵小説」の再評価を強く打ち出した、ミステリ専門誌『幻影城』での連載をまとめ、同出版社から刊行された、当時数少ない「ミステリ評論書」だったためでもある。
私の世代のミステリファンにとっては、竹本健治連城三紀彦泡坂妻夫といった「現代の探偵小説作家」とでも呼ぶべき、反時代的な作家たちを生み出した『幻影城』誌は、特別な存在だったのだ。

そんなわけで、私は、この本を、たぶんこれまでに10冊くらいは買っているだろう。コレクションとしてではなく、読もうと思って買っては積読の山に埋もれさせるということを、30年以上繰り返してきた結果なのだが、これは、本書のような「過去の作家」を扱った本は「いま読まねければならない」というものではなかったため、どうしても後回しにしてしまったせいである。

だが、今回は、その30年来の懸案を、ようやく果たせたという次第である。

 ○ ○ ○

では、その結果はどうであったか?

結論としては、「なかなか良かった」し「勉強になった」。点数をつければ「85点」といったところだろう。読んで損のない「良書」だと保証してもいい。

ただし、満足いく「評論書(作家論書)」であったかというと、そこまでは言えない。
「とても良心的で、的確な評論」書なのだが、「それ以上」のものが無い。「評論」としての「わくわく感」というか「目から鱗が落ちる」というようなものは、残念ながら無かったのである。

本書の内容は、次のとおりである。

『 目次
序説 深海魚の夢ー戦前の探偵小説の特質
解剖台上のロマンチシズム一小酒井不忘
閉じ込められた夢一江戸川乱歩
理化学実験室の悪夢一甲賀三郎
残酷な青春の鎮魂曲一大下宇陀児
田園の夜の恐怖一横溝正史
黒き死の讃歌一水谷準
美しき錯覚の詩学一葛山二郎
美女と野獣の残酷劇一橘外男
漆黒の闇の中の目撃者一山本禾太郎
宿命の美学一夢野久作
秘められた科学恐怖の夢一海野十三
三角関係の殺人劇一浜尾四郎
廃墟の美一渡辺啓助
迷宮の世界一小栗虫太郎
探偵小説と詩的情熱一木々高太郎
蒼き死の微笑一大阪圭吉
死霊の群れを呼ぶ風景一蒼井雄
海底散歩者の未来幻想一蘭郁二郎
対談「探偵小説」の時代一紀田順一郎権田萬治
あとがき
解説 中島河太郎 』

著者自身、「あとがき」で、

『 いずれにしても、本書は日本の戦前の探偵作家論として第一歩を踏み出したに過ぎない。(※ 本書で採り上げた)十八人以外にも久生十蘭角田喜久雄など論すべき戦前作家が多いが、こちらについては、松本清張以後の現代推理作家論の試みと合わせて今後別の機会に改めて論じてみたいと考えている。』(P350)

と書いているとおりだが、しかしこれだけの面子が並んでいるだけでも、戦前の「探偵小説」が好きな者にはたまらない一冊だというのがわかるだろう。

たしかに、たかだか350ページほどの本にこれだけ詰め込まれているのだから、個々の作家についての割り当ては20ページにも満たないわけだが、しかし、だからといって内容が薄いわけでは決してない。
たったそれだけの分量に、

・作家の代表作
・そこにあらわれた個性と長所
・作家の経歴
・どういう「名探偵」を作ったのか、作らなかったのか
・「本格(ミステリ)」に対する態度
・作風の変化とその評価
・作家の軌跡から学び、継承すべき今日的な問題

といったことが詰め込まれており、それぞれがじつに的確なのである。

したがって本書は、「戦前の探偵小説作家」についてひと通りの知識を得るためには、じつに便利で手堅い一冊なのだが、言うなればまたここでも、「それ以上のもの」が無いのだ。

「誠実」「的確」「手堅い」のだから、「それ以上のもの」を求めるのは、ある意味で酷な話だというのはわかっている。だが、この「誠実な優等生による模範解答」の如きものに、私としてはやはり、物足りなさを感じずにはいられない。

本書を読めば、著者の「能力」は疑うべくもないし、その「人柄の良さ」までもが容易にうかがえて、個人的につき合うには「とても望ましい人」だというのがわかる。一一だが、私個人としては、それだけでは物足りない。

芸術作品がそうであるように、ただ「よく描けている」だけではなく、やはり、ちょっとクセがあっても良いから、普通ではないところ、つまり非凡なところがあって、その意味で「面白い」人間の方が好ましい。むしろ、少々クセのある方が「面白い」と、私は感じる。

しかしまた、だからこそ本書著者の「意見」には、共感できるところが多々あった。著者の誠実な人柄に発する「正論」は、誰人なりとも容易に反論を許すものではないし、著者が危惧し指摘したことについては、こんにちにもそのまま当てはまるからこそ、その危惧に、強く同意しないではいられないのである。

例えば、次のような箇所だ。

『 偶像破壊者の悲劇は、歴史の歩みとともに自らが偶像と化してしまうことである。
 自らを「探偵小説一年生」として、勇敢に自己の所論を吐露した木々高太郎を嘲笑する者は大勢いたが、今はだれもいない。氏自身が今や探偵文壇の大家となってしまった。恐らく氏の功績は、日本探偵小説史の上に永久に刻まれるであろう。
 しかし、われわれが求めるのは大家ではない。われわれが求めるのは風車に向かって突進するドン・キホーテであって、すでに名声の確立した人物ではない。氏はあふれるばかりの情熱を持って探偵小説芸術論を語り、詩作し 探偵小説ばかりでなく、「人類の黄昏」(『改造』同(※ 昭和)二十七年十一月号)「AD二〇〇〇の殺人」などの未来科学小説や演劇を書いた。時折、氏の自信過剰が問題になったが、おそらく傲慢に見えた氏はだれよりも謙虚であった、少なくとも探偵小説の女神に対しては。
 現在必要なのは、氏の築き上げてきた古典的な世界を徹底的に破壊するような新しい作家が生まれることであろう。
 合理主義者の氏は透明で清新な秩序ある世界を作り出したが、人間の非合理な側面をとらえることはできなかった。もちろん、『折芦』や「自殺を保留する男」(『オール読物』同三十年三月号)にはドストエフスキーの影響を感じさせる人間像が描かれていないことはないが、不気味な世界、神秘の世界を描くことは、合理主義者の氏には到底不可能であった。「死人に口あり」(『名作』昭和十四年十月)「幽霊宙に充つ」(『オール読物』昭和十二年七月号)の詰まらなさは、この欠陥を物語っている。
 氏の流れをくむ、大下宇陀児にしても、松本清張や水上勉の社会派にしても、社会の暗黒を描いたかも知れないが、人間に潜む、恐るべき本能の領域までじゅうぶんに描きつくしたとはいえないのだ。おそらく、このような世界をとらえるには、ドストエフスキーのように賭博者になる必要はないかもしれないが、氏がわが国に紹介したサドが持っていたような、冷酷な目を持たなければならないのかもしれない。F・デュレンマットの『嫌疑』はそのような目でわれわれの閉じこもっている日常的世界を徹底的に踏みにじり、明るい日ざしの下に悪夢のような世界を現出させた力作であるが、あるいは日本でもこのような作品が近い将来に生まれるかもしれない。
 われわれの求めているのは、日常性のベールをはぎとった赤裸々な現実を描く探偵小説である。サドの目には、この現実の世界がちょうど超現実主義者サルバドル・ダリが描き出したような残酷で滑稽な現実に映るであろう。
 氏がもとめて得なかった未知の土地 Terra incognita を得るものは果たしてだれであろうか。古きものに対しては限りなく傲慢であるが、探偵小説の女神に対しては限りなく謙虚であるような、たくましい新人の誕生を私は心から期待する。』

(P265〜267、「探偵小説と詩的情熱一木々高太郎論」より)

まったくの「正論」である。(例えばここに、綾辻行人などと当てはめてみると良い)

さて、ここで付言しておかなくてはならないのは、権田萬治は、決して「探偵小説芸術(文学)論者」ではない、ということである。
権田は、決して「探偵小説はパズル小説であってはならない」とか「最終的には、芸術としての文学でなければならない」と主張したのではない。そう主張したのは、木々高太郎であって、権田萬治ではないのだ。

(木々高太郎)

しかし、権田は、木々がどうしてそこまでの極論を口にしたのか、批判の多いであろうことを承知で、それでも言わずにはおられなかったというのを理解した上で、「探偵小説は、それまでの探偵小説に安住していてはいけない」と主張しているのだ。そうでなければ、腐っていくだけだと。

実際、この文章が書かれたのは「社会派推理小説」の全盛期であったし、推理文壇の「大家」である木々高太郎も存命であった。
そうした時代に、権田萬治は堂々とこうした「正論」を語ったのであり、そんな彼を突き動かしていたのは、間違いなく「探偵小説の女神に対する愛」だったのであろう。

最初に紹介したとおり、権田萬治という評論家は、決して「尖った」人ではなかったし「毒舌」でもなかった。その点で、私には少々物足りないとさえ感じられるほどの「バランスの取れた常識人」であった。

だが、それでも「探偵小説」への愛は、損得抜きで掛け値なしのものであったからこそ、時にこのような熱い言葉が出てくるのである。

実際、権田自身、自分が「尖った」タイプだとか「毒舌」だなどとは思っていなかっただろう。その文章の構成からしても、バランスを大切にした人ではないかというのが窺えるし、例えば、橘外男の処女長編『太陽の沈みゆく時』に寄せた有島武郎の序文を『型破り』のものだと評して、次のように紹介している。

『 この処女長編の第一巻に有島武郎が序文を書いているが、この序文たるやまことに型破りのもので、この作品について「極めて冗漫で、而して不必要な挿話が至るところに挟まれてゐます。或るところでは、それはお伽話のやうに単純で、或るところでは調子外れにしちくどく思はれます」と述べ、さらに「若し私があの題材を取扱ったら、恐らく全量の三分の一で片付けてしまったらうと思ひます。それから文章は綿密にこなれてゐますけれども、その割合に作家の気稟を現はすやうな確実なスタイルが見出されません。だから立体的といふよりは平板な感じを所々で味はされます」となかなか手厳しいことを書いている。その上で、この作品の優れた点として、「真実無比な童話といふ気持ちがします。自然でも人間でもが、急がしげな早口の間に、少しもゆがめられずに、見られたまま、感じられたも現れ出ます。而して凡ての事件や人間が奇妙に生きてゐます」と(※ 橘外男の)独特の語り口の魅力を挙げているのである。』

(P144、「美女と野獣の残酷劇一橘外男論」より)

ここに表れているのは、権田萬治の、有島武郎の真面目さへの「共感」である。
「よく、こんなこと書くよなあ。俺には絶対にこんなこと書けないよ」と言いながら、こんなことを書いてしまう有島の馬鹿正直で真面目なところに、共感を抱いているのだ。

だから、権田本人としては、自分が「毒舌」だとか「遠慮呵責がない」などとは思っていないのだが、側から見れば、必ずしもそうとばかりは言えない。
本書「解説」で、中島河太郎は権田を、次のように評している。

『 著者は戦前の探偵小説を考えてみると、深海魚の孤独な姿が浮かび上がってくるといい、著しい特質は社会的現実に背を向けた怪奇幻想や猟奇的な夢幻の世界に遊ぶ作品が圧倒的に多い。このことを裏返せば論理的なパズル的興味を中心とするいわゆる本格探偵小説がきわめて少ないということを意味すると指摘した。
 こういう日本の戦前の探偵小説の独特な性格はどのような理由で形作られたのであろうかと問いかけ、第一に、日本人の非論理的な性格、第二に絶対主義天皇制という非民主的な国家構造があったこと、第三に乱歩らが谷崎潤一郎佐藤春夫芥川龍之介など 芸術至上主義的な傾向の文壇作家の影響を強く受けて出発したこと、さらに短編中心に発表したことをつけ加えている。
 そして「要するに戦前の日本の近代探偵小説は好むと好まざるとにかかわらず、本格と変格という二つに大別される要素を持っており、そこに共通するのはある種の暗さと夢幻性なのである。こういう特質は、一面ではロマンの香りの漂う世界として評価されるが、反面、不健全な退廃として非難される傾向を持っているともいえよう」と鋭く弱点をついている。
 そういいながらも「戦前の探偵小説の魅力は、何はともあれ、歴史的現実から背を向けたところで、時代の暗部を象徴するものとして、妖しく暗い夢の花を開いている点にあるのである」と、救いの手を伸ばしている。』

(P354〜355、中島河太郎「解説」より)

つまり、権田萬治という人は、どんな好きなものであったとしても、それを「批評する」場合には、私心を抑えて「弱点は弱点と正直に認め、指摘した」その上で、不公正にはならない範囲で、その「愛」を語ろうとした人だ、ということなのである。

そしてたぶん、今の出版界全体に足りないのは、こうした「作家的良心」であり「無償の愛」であろう。

なぜ、今の作家たち、小説家や評論家は(もとより、ライターや編集者や推薦文を書いたりする書店員といった人たちは)、例外なく「提灯持ちの褒め屋」になってしまったのだろうか?

無論それは、「本が売れなくなったから」であり、要は「貧すれば鈍する」ことになってしまったのだ。
言い換えれば、稼ぎのために「作家的良心を売った」のである。

だが、そもそも、戦前戦後の小説家や評論家たちは、筆一本で「食えた」のだろうか?

そんなことはない。
探偵小説家(ミステリ作家)であれ純文学作家であれ、筆一本で食えた人はごく一部であり、ましてや、評論家としての仕事だけで食えるようになったのは、ごく最近の話でしかないのである(と言っても、1980年代以降の話であり、現在では再びそれが困難になっている)。

なお、下に紹介する対談は、本書文庫(「日本推理作家協会賞受賞作全集」版)の刊行された「1995年」時のものと考えていいだろう。言うなれば、対談中でも言及されているとおりで赤川次郎西村京太郎内田康夫といった人たちがベストセラー作家として一般的な圧倒的人気を誇る一方で、マニア受けではあるものの、すでに「新本格ミステリ」ブームが大変な盛り上がりを見せていた時期のものである。

権田 (前略)世俗的なことをいいますと、とにかくさっきも紀田さんがおっしゃった通りなのですが、探偵小説というのは好きで読むというのがメインでしたから、戦争中は田舎に疎開していまして、その家の土蔵とか納戸とかに置いてある古い本を読めたということがあって、そういうことが推理小説に対する関心というものに繋がっていったと思うんですね。ですけど推理小説の評論をやるといっても、少なくとも私が始めた頃は、全くコマーシャルベースにのるものではなかったですね。
 推理評論が少しは経済的な意味で採算が取れるようになったのは昭和五〇年代以降じゃないでしょうか、そんな気がしますね。というのは、文庫本が非常に多く出始めて、解説だとか、新聞の書評欄などが拡充され出したのが、遅いところでは、昭和六〇年代にかけてでしたね。そういうわけですから、それまでの昭和三五年から一五年くらいの間は完全持ち出しだったわけですよ。最近では、推理評論をやっている新保博久さんとか、山前譲さんなどがおりますけれども、生活が物凄く楽ということではないというのが実態ですね。ただ、それだけで食べられる時代がきたというのは、むしろ驚きですね、ちょっと話が脱線しましたけどね。
(中略)
紀田 私は権田さんが「感傷の効用」(※ 公募評論賞受賞作である、レイモンド・チャンドラー論)を、お書きになった昭和三五、六年ころ、あの時代のことは昨日のように覚えていますね。今からは考えられもしない時代だったんですね。同人誌的といっては、当時の読者には申し訳ないんですが、私はそういう気持ちで書かせてもらってたんですよ。当時、虎ノ門に『宝石』の編集部がありまして一一。
権田 いやいやあそこも思い出がありますよね。
紀田 電灯のついていない穴蔵のような暗い階段があって、その階段の手すりを持つと向こうに泳ぐんですね、危ない階段だなと思って上っていって、編集長に会って雑談をして帰ってくる。『ヒッチコックマガジン』という雑誌にもコラムを書いたり……。
権田 小林信彦氏が編集長やってましたね。後に作家になりますけども一一。
紀田 ほんの時たま、今原稿料が出ているからと言って、小切手をくれるんですよ。小切手なんて当てにして行っているわけじゃないから、貰うことに違和感を抱いていたことさえあったな一一。
権田 ただ戦後の推理専門誌の『宝石』、戦前の『新青年』、それから島崎博さんの『幻影城』、この三つの雑誌というのは何と言っても日本の探偵小説、推理小説を語る場合に名前を忘れるわけにはいかない。そういう意味でやはり私は文学の社会学というのかな、要するにいろいろなジャンルを育てるものとして出版ジャーナリズムの存在が実に大きいと思いますね、今はもう推理小説の研究評論を載せる場というのはほとんど皆無ですね。
『文芸』、『文学界』、『新潮』とか、『群像』、こういうもの(※ 純文学誌)が創作と並んで研究評論というものが載るし、賞も与えているわけだけだけど、エンターテインメントの雑誌では批評というものはやらなくなってしまった。 解説と紹介というようなものが軸であって、推理小説を研究する場所というのがすごくなくなっちゃっている様な気がするんですよね。
紀田 また以前の評論研究の角度や主題というものは、現在の推理小説の状況では当てはめにくいですね。
 例えば、類別トリック集成のようなものが考えられますけれども、現状ではトリックの独創性その他がどうもあまりみられなくなっているから、そこまで情熱を燃やして集成するのは難しいし、かりに出来たとしてもデータベース的なものになりますよね。そうすると評論の本質から外れてしまう。その他、社会的、文明的な主題を探そうとしてもあまりにもその大衆現象としての推理小説になってしまっているから網のかけ方がちょっと戸惑うといいますか、純粋な文学的表現になりにくいという訳ですよね。
権田 おっしゃる通りですね。いまの日本の推理小説のブームは、赤川次郎、西村京太郎、内田康夫というベストセラー作家に象徴されているわけですが、本当に推理小説の好きな人は、また別の作家の作品を読んでいるところがある。
 日本のベストセラー作家はそれなりにミステリーの愛好者を拡大した功績があるわけですけど、問題は新人作家などの扱いですね。この点アメリカと日本の出版ジャーナリズムの構造というのは違うんじゃないかなという気がするんです。向こうの出版ジャーナリズムというのはハードカバーで出版する場合、エージェントがシビアですよね。それで売れるとわかると、今度本当に一〇万とか一〇〇万とかいう単位でペーパーバックを出すとか、映画化権をとるというような手続きになる。これは言葉の問題で、国際的に読者層が広いからというようなこともあるんでしょうけれど、そういう体制になっていく。しかしそこまで出ていくのが非常に大変で、いわゆるフルタイムライター(※ 専業作家)というのが少ないと思うんですね。ところが日本じゃね、一冊何処かで書いたらもうすぐにマガジンライター(※ 雑誌連載持ち作家)ということで食っていけるような状態になっている。それほど生活レベルが高いとまではいかなくても一一。そこで作品のレベルという問題がやはりある様な気がしますよね。
紀田 こういう世界に入ってくるという、入り口の所で、あまりトレーニングが行われていないということを、感じることがありますよね。今売れている作家の中にも、最初の作品は非常に文章的に問題があったり密度が低かったりすることがある。書いているうちにややよくなってくるというのはそれだけ苦心もされるでしょうし、編集部の方でも手を入れるなどしているからです。しかし、昔はいろんな意味でもトレーニング場があったと思うんですよ。デビューするまでが大変だったから、それまでの間に蓄積したと思うんですね。
 蒼井雄の『船富家の惨劇』など、本質的にはアマチュアの作品ですよね。当時はだいぶ文章を幼いとか言われたけれども、今から見ればかなりこれはよく書けている。
権田 本当ですよ、私もそう思います。私は最近つくづくと思うんですけども、江戸川乱歩とか、夢野久作だとか、小栗虫太郎だとか、そういう作家は、自分の世界、スタイルをもっていて、それはもう本当に自分の生き方と切り離せないものとしてあったと思うんですよ。だから乱歩が鳥羽の造船所に勤めていた時に、押入れに入っちゃって、呼びにきても会社に行かなかったわけですね。そういう生活をしていて、『屋根裏の散歩者』とか、一つの閉所愛好というのかな、そういう嗜好が作品の中に入ったり、彼の人間としての本質というようなものが作品の中にはっきりと際立った形として出てくると思うんですね。
 そういう特徴は文芸評論として捉えうる要素が非常に強いと思いますよ。だからそういうものがあったから逆に言うと戦前の探偵作家というのは、割と論じやすい部分があったんじゃないかと思う訳です。江戸川乱歩という人は谷崎潤一郎とか、宇野浩二などの影響を強く受けているし、横溝正史も谷崎、宇野らの影響を受けたと言ってますね。一番大きいのは谷崎潤一郎の存在だろうね。乱歩にしても横溝にしても自分の好きな作家とか、他の作家の文学的なものを自分の中に取り込みながら自分の世界を作っていった。そういう確固たるものを持った作家が今残っているんだと思うんですよね。
 今ブームの担い手である作家が、これからどのくらい読み継がれていくんだろうと、ふと思うときがありますね。甲賀三郎なども、昔は随分読まれたと思うんですけど、戦後はほとんど読まれていませんね。やはり、文学的な要素があって、推理小説も読み継がれるんじゃないでしょうか。』

(P322〜325、紀田順一郎・権田萬治「対談「探偵小説」の時代」より)

このやり取りの中では、いくつかの問題提起がなされている。

まず、ここでわかるのは「小説家にしろ評論家にしろ、それを書くこと自体が喜びだから、専業作家にはなれなくても、喜んで書いていた」という事実である。

それが、高度経済成長後の文庫本ブームなどによって、小説家も評論家も、にわかに食えるようになった。評論家の方は、それで悠々自適とまでは言えないにしても、ひとまず「専業作家」になることが可能になった。一一これが、色々な意味で「大きい」という話だ。

今の若い人は、あまりよく知らないかもしれないが、紀田順一郎という人は、ミステリはもとより、恐怖小説(ホラー)や、SFを含む幻想文学、それから広く書物や出版物についての該博な知識において、本当にあちこちで見かける(連載を持っていた)「評論家」であった。

(紀田順一郎)

しかし、そんな人ですら、最初は『同人誌』に書くノリで原稿を書いていた。つまり、原稿料をもらうなんてことは念頭になく、ただ「好きだから書く」という気持ちで書いていたのだ。
まただからこそ、たまに原稿料がもらえると、なんだか『違和感を抱いていたことさえあった』のである。「書かせてもらえ、それが雑誌掲載されて、広く読んでもらえるだけでありがたいことなのに、そのうえ原稿料をもらえるなんて、なんだか申し訳ないな…」という感覚だったというが、私には容易に推察できる。

だが、そういう「アマチュアリズム」に立っていたからこそ、彼らは「出し惜しみ」するというような「ケチな」ところはなかった。
とにかく、人に読んでもらえ、感心してもらえれば、それが純粋に「うれしかった」から、彼らは、原稿料が安くても、時には原稿料が出なくても、だからといって「手を抜く」というようなことはなかったのである。

ところが、今はどうであろうか?

今では、「追悼文集」に寄せる文章でさえ、平気で原稿料を受けとって恥じない時代なのである。
「俺はプロの物書きなんだから、当然だろう」というわけだ。

私も何度か紹介しているように、この対談が行われた時代(30年弱前)とは違って、「出版不況」の現在は「1冊本を出したら雑誌連載が持てる」などという、甘い時代ではなくなってしまった。
言い換えれば「デビューすることはできても、作家を続けていくことは困難な時代」になっている。

私がレビューを書いた、吉田親司『作家で億は稼げません』や、平山瑞穂『エンタメ小説家の失敗学 ~「売れなければ終わり」の修羅の道』で、くどいくらいに語られているのは「作家というのは、基本的に儲かる仕事ではないし、苦労の多い仕事で、決して楽でもなければ楽しいばかりでもないから、そんなイメージを持っているのなら、それを改めなければならない。その上で、それでも作家になりたいというのなら、覚悟を持っておなりなさい」という助言である。

しかし、こういう「助言」がくどいくらいになされるというのは、それだけ多くの人が「作家(文筆業者)」というものに「夢の職業」的なイメージを抱いているということであり、なぜそうなるのかといえば、ひとつには「素人さんは、華やかな側面しか見ない」ということがあろう。
つまり、最近の話題で言えば、ジャニーズ事務所所属の人気タレントの華やかな活躍の部分は見ても、ずいぶん昔から言われた「ジャニーさんに尻を掘られる」といった側面からは、あえて目をそらす、といったようなことだ。

だがまた、そればかりではなく、上の対談で語られているとおり、バブル期へと向かう経済的好況によって、出版業界も「1冊本を出したら連載が持てる」くらいに、一時は盛り上がっていたという事実があり、その頃のイメージがいまだに残っているということだ。

例えば、いったんは豊かになった経験を持つ日本においては、作家一人を売り出す(宣伝する)にしても、「有名作家だが貧乏」ということでは売りにくいから、たいした稼ぎはなくても「作家先生」らしい、たいそう立派そうなイメージで宣伝をすることになる。
また、作家の方も、そういうイメージを持って作家になったので、作家になった自身の現実は、そんな立派なものではなくても、意地でも見栄を張って「作家先生」らしい「イメージ」を保とうとするだろう。
作品自体は大したことなくても、「作家である」という事実を持って「人々の羨望の的でありたい」という「欲望」くらいは満たしたいのである。

だが、そうしたことが相まって、実際には、多くの作家が「平均的サラリーマン以下」の収入しかないにも関わらず、なんとなく「それなりに稼いでいて、しかも羨望の的でもある」という、虚構のイメージが流布されてしまう。
その結果、多くの人が「専業作家」というものの現実を知らないまま、それに憧れてしまうという事態が再生産されて、今に続いているのだ。

だが、こうした問題は、何も「作家の待遇」問題で済むことではない。
むしろそちらは、前述のとおり「当人の覚悟」の問題だから、大した問題ではないとも言えるのだが、真の問題は、そのように作家(文筆業者)というものが「実態を欠いた虚業」となってしまったがために、小説家であれ、評論家であれ、ライターであれ、彼らの多くは、その「肩書き」に固執するしかなくなり、「作家的良心」を失うことになってしまっている、という現実なのである。

つまり、昔のように、最初から「金にはならない」と分かったうえで、それでも「好きだから」と思って書いている人は、損得抜きで一生懸命に書くかわりに「書きたくないことは書かない」という矜持を持っていた。
大切なのは「書きたいことを書くこと」であって「専業作家であること」ではない。そんなものには、大した魅力を感じないし、価値もおいていなかったのである。

ところが現在は、「専業作家」であることの方に価値をおいているから、「売れるためなら何でもする」「魂だって売る」のが「プロの作家」だということになってしまった。
したがって、自ずとその文章は『自分の世界、スタイルをもっていて、それはもう本当に自分の生き方と切り離せないもの』になっている、といったようなものではなくならざるを得なくなったのだ。

とにかく「注文に応じて」「書きたくないことでも書く」ことで「専業作家」であり続け、自身の存在価値を固守しているのだから、「文章上ではご立派なことを書いていても、それは実の伴わない綺麗事であり、嘘でしかない」ということになってしまう。
だからこそ、それを読まされた方も「なるほど、そのとおりですね」とは思っても、そこに「胸を打つ力や熱さ」のようなものを感じることができなくなってしまう。

純文学であろうと、エンタメ小説であろうと、それはまったく同じことで、外見上は「それらしい形」をとってはいるけれども、そこに書かれているのは、所詮「筆先三寸の小理屈」でしかなく『本当に自分の生き方と切り離せないもの』なんてものではないから、読者の方も、その形式を確認し、その表面を搔いなでにして消費するだけになってしまうのである。

つまり、今の「作家(文筆家)」の多くがダメになってしまったのは、「出版不況」のために「保身に走った」からではなく、じつは、業界総体として、いったんは甘い汁を吸って「贅沢と見栄を身につけた」その上で、今ではそれを、実質的に失いかけているからこそ、かえってそれにすがりついている未練のため、とでも言うべきなのである。

言い換えれば、純文学であれエンタメ(大衆文学)であれ、それだけで「食う」のは難しくとも、「好きだから」それをやっていたという「アマチュアリズム」の時代であったなら、「作家であること自体」は、大した意味も価値も持ち得なかった。むしろ「ヤクザな家業」だとさえ見られていたのだ。

だから、そんな彼らにとって重要なのは、「良い作品を書く(残す)」ことだったのであり、その妨げとなるような「金儲けや社会的地位への固執」などというものはなかったし、それに固執することは、むしろ恥ずべきことだった。
そうした姿勢を、彼らは「作家的良心(あるいは、筆極道など)」と呼んだのである。

例えば、本書でも、紹介されているように、江戸川乱歩の代表作は、初期の短編に集中している。そして、そういう時期の乱歩は「専業作家」ではあり得なかった。

(江戸川乱歩)

だが、いったん人気が出て、原稿依頼が次々と舞い込んでくると、乱歩はその注文に応じることができなくて、姿を暗ますことまでする。
これは「とてもそんなペースでは、これまでのような、自分でも納得できる作品など、書けるわけがない」ということを、乱歩自身がよく知っていたからで、彼の「作家的良心」として、そこから逃げ出さざるを得なかったということなのだ。

だが、奥さんに下宿を経営させ、その上がりで何とかしようとしても、そんなことには限界がある。かといって、もともと、いろんな職業を渡り歩いて、安定的な勤め人になんかなれなかった乱歩としては、今更、勤めに就くわけにもいかず、最後は、節を屈して「通俗長編」を書き飛ばすことになり、それがまた売れに売れたのだが、かえってそのことでも、自己嫌悪に苦しまなければならなかったのである。

つまり、江戸川乱歩ほどの偉大な天才作家であったとしても、本意ではない作品を書き飛ばしたこと、それでも売れっ子作家であったということは、むしろ恥ずべきことでしかなく、そこまでして「専業作家であり続けること」というのは、困難なことではあっても、そもそも、そのこと自体には、意味や価値など無いこと、人に自慢できないこと、だったのである。

(映画化された『蜘蛛男』)

ところが、今の時代には、「専業作家になれれば良い」「売れっ子になれれば良い」ということでしかない作家(文筆業者)が、むしろ「当たり前」になってしまっている。
後世に残らないどころか、3年ももたないような読み捨て作品であろうが、ひとまず「売れたもん勝ち=売れれば官軍」という、あまりにもさもしい心持ちの作家ばかりになっている。
本書で語られた「戦前の探偵小説家」たちが、今の状況を見れば、いったいどのように思うことだろう。

無論、彼らの中にも、「専業作家」になったがために、初期作品以外は、今やまったく見向きもされなくなった作家が少なからずいる。
乱歩のような「何を書いても、乱歩じるし」といったような、強烈な個性を持った作家など「少数例外」であり、それこそ奇跡的にしか存在せず、かの小栗虫太郎だって、大阪圭吉だって、「通俗性を意識しだした」つまり「広く売れて、専業作家として食っていくことを意識した」途端に、かつての輝きを失っていったのである。

だが、乱歩の「通俗長編」が、初期の傑作短編よりも「売れた」という事実、あるいは、社会派ミステリが「粗製濫造」されることによって「社会派ミステリブーム」を成立させたという現実は、決して、過去のものではない。

現在だって、本当に「新しいもの」を書こうとするような作家なんていないに等しいし、「自分にしか書けないものを書こう」とするような作家なんて、ほぼいない。
要は、「本当に斬新だとか、個性的だとかいった作品は、売れないでしょう」ということなのだ。

だから、誰も彼もが「社会派ミステリ」が流行ったといえば、それ(もどき)を書き、「新本格ミステリ」が流行ったといえば、変な館で連続殺人が起こって名探偵が登場するような叙述トリックものを書き、「ラノベ」が流行ったといえば、そのノリを取り入れた結果、「特殊設定ミステリ」が流行ることにもなる。

「特殊設定ミステリ」というのは、「ミステリ」や「SF」や「ファンタジー」や「キャラクター小説」などのジャンル的要素を、美味しいとこ取りで片っ端から取り込んだメタ・ジャンルとしての「ラノベ」から、その成果を逆輸入ものであり、そうした時代の趨勢から生まれたものなのである。

で、また一一それが流行れば、猫も杓子も「特殊設定ミステリ」を書く。
綾辻行人の「館」に止まらず、元来は、SFやファンタジーの舞台であったところに、本格ミステリの「ロジック」を持ち込んで、いかに「目新しい舞台でミステリをやるか」というのが、わかりやすい売りになってしまう。

つまり、これらの現象は、結局のところ「いま何が流行っているのか=何が売れるか」ということでしかないのだ。

「自分が書きたいものなのか否か」とか「自分にしか書けないものなのか否か」なんてことなど、もはや眼中にはない、(所詮はサラリーマンでしかない編集者はもとより)「専業作家であり続けること」自体に意義を見出しているような作家たちは、「優れた作品」よりも「売れる作品」を目指して書き、また、そんな作品が、流行り物が好きな「流行り物が面白い」と感じる程度の能力しかない「読者大衆」に、それなりに売れてしまう。

これは、乱歩の通俗作品が売れに売れたのと似たような状況だ。
「一般大衆」とは、いつの時代だって、その程度の(審美眼しか持たない)ものでしかないし、「売れっ子作家」というのも、その程度の「作品」しか書かない作家のことなのだ。

いま、『赤川次郎、西村京太郎、内田康夫』が、いったいどれだけ売れているか、読まれているかを、少し考えてみればいい。
彼らを馬鹿にするわけではないけれども、しかし、彼らの作品で、残る可能性があるのは、せいぜい初期作品の数冊ほどであろうというのは、もはや衆目の一致したところであり、言い換えれば、ベストセラー作家になった後の作品は、もはや誰も顧みることのないものになってしまっている。

だから、現在、芥川賞や直木賞などを受賞し、「売れっ子作家」として編集者や一般読者からチヤホヤされている作家も、10年先、いや5年先ですら、どうなっているか、まったく保証のかぎりではないし、また、客観的には、その程度の作品しか書いていない、ということなのだ。
所詮、彼らは、出版業界を「回す」ための「消費財」であり「燃料」に過ぎない。彼らや、彼らの作品自体が、後世に残る必要などないのである。

しかし、そうしたことの結果、作品点数だけはどんどん増えていっても、長くの残る作品はいっこうに書かれないということになり、文学の世界は貧困化を深めていく。

だが、それで、本当にいいのだろうか? こんな「粗製濫造の自転車操業」の中で書かれる作品に、満足していていいのだろうか。

それで満足できる人は、道端に捨ててあるゴミでも何でも拾って食べればいい。
だが、私は、こと小説に関しては「安かろう美味かろう」では満足できないから、なんとか昔のような、『本当に自分の生き方と切り離せないもの』の表現された作品を読みたいし、そうした作品が生まれてほしいと思う。

そして、そのためにいま必要なのは、「アマチュアリズム」の復権なのではないだろうか。
「売れるため」ではなく「他にはない優れた作品を描きたい」から、損得抜きで書くという「アマチュアリズム」の復権である。

それでなくても、今は誰だって、その作品をインターネットにアップすることができるのだから、「売れ筋」の作品ばかりではなく、「反時代的」に優れた作品が書かれるならば、たとえ「専業作家」にはなれなくても、その作品だけは、後世に残すことだって、まんざら不可能というわけではないだろう。
「売れ筋」ではなくても、本当にすごい作品なら、それを評価する人は必ず出てきて、それを世に出そうと思うものだからで、仮にその「発見」が、作者の死後になってもである。

以上書いたことは、無論「小説(家)」だけの話ではない。上の「対談」の時代ですら、すでに権田萬治が、

『エンターテインメントの雑誌では批評というものはやらなくなってしまった。 解説と紹介というようなものが軸であって、推理小説を研究する場所というのがすごくなくなっちゃっている様な気がするんですよね。』

と言ったような状況だったのだから、まして「出版不況の現在」となれば、なおさら「専業作家としての批評家」などというものは成立しなくなって、今ではそのかわりに「注文どおりに何でも褒めあげる、太鼓持ちとしてのライター」たちが、その穴を埋めている。
だが、これも近い将来、「チャットGPT」のようなAIが、とって変わることになるだろう。その程度のものだということである。

(権田萬治)

ともあれ、もはや彼らには、権田萬治や紀田順一郎が持っていたような「ジャンル小説への無償の愛」などというものは無いし、読者に対する「誠実」として「(作品や作家の)欠点は欠点として、公正に指摘する」なんていう「作家的良心」も、すでにして失われている、と言っていい。
今の出版業界は、おおむね「偽者や三流作家が、お互いに褒め合うことで、なんとかその虚名を保っているだけの、張子の虎」にすぎないと、そう言っても良いだろう。

そして、その「悪影響」は、これも「流行り物の猿真似」しかできないような「ど素人」が、自分の文章で、少しでも「収益」を得ようなんて考える「さもしい世界」として、ここ「note」でも全面展開している。

書きたいことを書くのではなく、「小銭稼ぎ」が可能になるような、世間に迎合した流行り物の、自分を持たない文章を、「アマチュア」が「プロごっこ」として、嬉々として書いているのである。
一一これは、資本主義的堕落もここに極まれりという、恥ずべき「醜景」なのではないか。

無論、本当に生活に困っていて、小銭でも稼げるものなら稼ぎたいというような人まで貶そうとは思わない。
だが、「文芸の歴史」に泥を塗るだけでしかない「ど素人の専業作家ごっこ」に対しては、嫌悪以外の何ものも感じ得ない。

映画にもなった『三丁目の夕日』ではないが、私は何も「昔は、貧しかったけれど、心は豊かだった」などと、ことさらに「過去」を美化しようとは思わない。

しかし、なまじ「経済大国」であることを経験して、ピノキオの鼻を高々と伸ばしたために、私たち日本人は「金では買えない」多くのものを、失ってしまったのではないだろうか。

そして、そうして失ったものが、本書の中では「反時代的な暗い光」を放っているのではないか。

いったんは贅沢を知り「社会的承認を得て、チヤホヤされる快感」を知ってしまった私たちは、もう、かつてのような、つまり、「戦前の探偵小説家」のような、「初期の江戸川乱歩」のような、「同人誌気分で原稿を書いていた紀田順一郎」のような、あるいは「持ち出しで原稿を書いていた権田萬治」のような気持ちで、愛するもののために「無償の愛」を捧げることが、出来なくなってしまったのではないだろうか。一一今の私たちに作れるのは、ただ「商品」だけ、になってしまったのではないか。

最初の方でも書いたとおり、私は、本書の著者である権田萬治を、「批評家」としては、さほど高く評価してはいない。
けれども、彼の「ミステリ」に対する「誠実」な向き合い方は、もう今では見ることのできなくなった「稀有な宝石」として、その点において、高く評価したいと思わずにはいられないのである。

われわれはもはや、深海魚のささやかな輝きさえ、失ってしまったのであろうか?


(2023年5月28日)

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