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今村昌弘 『屍人荘の殺人』 : 最後は〈泣き落とし〉 という弱点

書評:今村昌弘『屍人荘の殺人』(創元推理文庫)

本作は『『このミステリーがすごい!2018年版』、“週刊文春”2017年ミステリーベスト10、『2018本格ミステリ・ベスト10』で第1位を獲得し、第18回本格ミステリ大賞「小説部門」を受賞。』(「BOOK著者紹介情報」より)とあるように、刊行当時に、特にマニア層からのたいへん高い支持を得た作品であり、その勢いのままにベストセラーになり、映画化もされた作品である。

しかし、文庫版「解説」で有栖川有栖が『優れた作品だからこれほどの成功を収めたのだが、本格ミステリに限らず他のジャンルの小説でも映画でも、出来がよろしくて面白いからヒットするのではない。読者も観客もお代は先払い。まずは、面白そうだからヒットするのである。』と書いているとおりで、ベストセラーとしての「数字」を形成した読者のほとんどすべてが、本作に満足したというわけではないようだ。

だが、本作に関し、真っ二つとは言わないまでも、評価が割れた理由は、さほど難しいものではないだろう。
要は、「ミステリマニア」からは抜群に高い評価を受けたけれども、一般の「面白い小説を読みたい読者」には、さほど喜ばれなかった、ということだ。そして、その理由も、比較的簡単明瞭である。

本作が、ミステリマニアに受けた理由は、

(1A)本格ミステリとして、非常に凝っており、よく出来ている。
(2A)マニア心をくすぐる、古典的先行作品などへの言及が多い。

といったことだ。
一方、本格ミステリというジャンルに特にこだわりはなく、ただ「面白い小説を読みたい」というだけの読者にとっては、上の2つのプラス要因は、容易にマイナス要因へと転じてしまう。すなわち、

(1B)複雑すぎて、一読で充分な理解が得られない。
(2B)当然、マニアネタは理解不能。それよりも、もっとキャラクターを立たせて欲しかった。

といったことになってしまうのだ。

(1AB)について言えば、マニアは多くの先行作品を読んでおり、「教養」として、あらゆるパターンを熟知している。そのため、シンプルな「造り」でマニアを驚かせる(あるいは、騙しおおす)のは困難なため、後続の作品はおのずとその構造的複雑度を増すことになりがちだし、本作も、作中で語られているとおり「トリックは出尽くしたと言われているからこそ、合わせ技の工夫」がなされてもいるのだ。
言い変えれば、過去の作品をさほど読んでいない「非ミステリマニア」の読者にとっては、「前例のあるワントリック」だけで十分楽しめるのに、本作ではそれは乗り越えるべき前提でしかなく、その上に二重三重の工夫が施されるため、それを楽しむことはおろか、その複雑さについていくことさえ出来ない、ということになってしまっている。
喩えて言うなら、将棋を指したことがないにも等しい素人が、プロの対局を見せられるようなもので、そんなものを「楽しめるわけがない」のである。

(2AB)の問題について言うと、先行作品の言及というものは、ミステリに限らず、文学鑑賞の楽しみの一つである。古典をおさえているからこそ楽しめる「メタ・テクストの楽しみ」というのは、それが単なる「マニアに対するくすぐり」であったとしても、否定されるべきではないだろう。
ただし、これは「非マニア」にとっては、ほとんど雑音にしかならないものでもあろう。

だからこそ、作家がより多くの読者に読まれることを望むのであれば、つまり「マニアウケの傑作」に満足するつもりがないのであれば、「ジャンルを超えた、読みの楽しみ」を提供しなければならないし、それは単に「キャラクターを立たせる」とかいったことだけではなく、例えば「人間の内面を掘り下げる文学性」だとか「社会性」「哲学性」といったものも含まれてこよう。
つまり、「本格ミステリとして優れた作品」にとどまらず、「エンタメ性においても優れた作品」であるとか「文学性を有する優れた作品」でなければ、「一般性」は持ち得ないのである。

そして、そう考えた場合、本作は「ミステリマニアウケの傑作」ではあったけれど、「エンタメ性においても優れた作品」とまでは言えなかったし、ましてや「文学性を有する優れた作品」でもなかった。

端的に言って、作者自身も、そこまでは意図しておらず、単に「よく出来た本格ミステリは、面白い」という意識で本作を書いたのだが、想定していた以上の広汎なブームになってしまった、というのが偽らざるところなのであろう。

つまり本作は、如上のような作品であったからこそ、読者が「ミステリマニアか否か」という点において、評価が分かれがちなのである。

 ○ ○ ○

しかしながら、これは本質的な問題ではない。
将棋の喩えでも示したとおり、本作は「マニア的意識」において書かれたが故に、マニアは喜ばせたが、それ以外の一般エンタメ読者への配慮が充分ではなかったため、「肝心な部分」だけでは楽しんでもらえなかった、ということにすぎないからである。
つまり、本作を評価する場合、「一般エンタメ性」や「文学性」が足りないと注文をつけることは、さほど意味のある批判ではなく、基本的には「無い物ねだり」でしかない。

だから、本作を本質的に批判するとすれば、それは本作を「本格ミステリ」として批判しなければならない、ということになるのだが、そこを批判した人は多くないはずだ。
なぜなら、「マニアは絶賛、非マニアは無い物ねだり」になりがちだからである。

本作の「本格ミステリとしての欠点」は、その「人物描写」にあると言えるだろう。
つまり、トリックそのものや作品の造りの巧緻さは素晴らしいものの、「登場人物」の「心理」描写に無理があり、その点で「そんなことはやらないだろう」とか「そんなやつはいないだろう」といった「本格ミステリとして無理」が生じているのである。
また、その無理を押し通したからこそ、こうした複雑な作品に「いちおう破綻のなく、辻褄を合わせることもできた」のだが、やはり「心理的な無理」は、「本格ミステリとしての欠点」と言わねばならないものなのだ。

具体的に書くと「ネタバレ」になってしまうので、一般的な書き方でご勘弁願うが、要は、犯人を含め登場人物が「きわめて不自然で極端な(人格分裂的)行動」をするおかげで、本作は成立し得た作品であり、この「心理的な極端さ(無理)」は、本作に描かれる「フィクショナルな極限状況」のせいにすることはできない、「それ以前のもの」なのである。

本作では「なぜそんな極端なことをしたのか」という部分については、「じつはこんな哀しい過去があって、どうしてもそうせざるを得なかったのだ」という、「後づけの説明」が何度かなされる。
もちろん、多少の伏線は敷かれていて、完全な「後出しジャンケン」にはなっていないものの、そうした伏線だけでは、読者はその「不自然な行動の理由」を論理的に推測することは不可能であり、その意味でこの点が「本格ミステリとしての弱点」となっている。

しかも、この「後づけの説明」における「じつはこんな哀しい過去があって、どうしてもそうせざるを得なかったのだ」というパターンの説明は、本稿のタイトルにも示したとおり、ほとんど「泣き落とし」であって、読者に対し「この理由説明で納得しないのは、心が冷たいからだ。これを聞けば、そこまで極端な行動に走ったのも、やむを得ないところだと、納得できるはずだ」という、一種の「脅迫」になってしまっているところが「問題」なのである。

要は「納得させればいい、というわけではない」のだ。
真に優れた「本格ミステリ」であるためには、「心理の自然な動き」が描くことで、読者を「論理的」に説得させなければならない。

無論、ミステリは「人間心理を描くための小説ではない」から、木偶人形のような登場人物でしかなかったとしても、それがその描かれた世界に矛盾・違和のないもの(としての構成要素になっているの)なら、それはかまわない。
しかし、本作の場合「そんなことはやらないだろう」とか「そんなやつはいないだろう」と、一般読者に感じさせてしまうところで、あきらかな「無理」がある。

その一方、ミステリマニアというのは、マニアというのが往々にしてそうであるように、自ジャンルの好意的な者に対しては、過剰に好意的になりやすい。「この作家は、こちら側の人間(仲間)だ」と思うからであるし、だから「あばたもエクボ」といった評価に流れてしまったりもする。
そして本作の場合だと、この「心理的な無理押し」に対しても「本格ミステリの論理としては、許容範囲内」だと認めてしまう。
たしかに「許容範囲内」ではあるかもしれないが、しかし、それはそもそも、「傑作」と呼ぶべき作品への評価ではないのである。

坂口安吾の『不連続殺人事件』が、この「心理の不自然さ」という一点を正確かつ論理的に描いて、「本格ミステリ」の名作として名を残した作品であるとすれば、本作『屍人荘の殺人』は、その点において、大きな欠点を抱えた作品であり、その同じ点で一般読者の反感を買ったとも言えるだろう。
「むだに暗い(陰鬱だ)」とかいった評価は、確かに主観的で幼い評価だとはいうものの、それは本作の「(泣き落としの)無理」を言い当てている部分もあったのである。

文庫解説で有栖川有栖が言ったような、本作が、綾辻行人の『十角館の殺人』や山口雅也の『生ける屍の死』に匹敵する、時代を画する傑作だと評価するためには、この「本格ミステリとしての、心理的な無理」は、やはり問題とせざるを得ない。
読者を自然なかたちで説得して「納得」させるのではなく、言わば「最後は泣き落とし」の無理押しというのでは、「美しき(スマートな)論理性」を愛する「本格ミステリ」というジャンルにおいては、やはり瑕瑾と言わざるを得ないのである。

初出:2020年11月23日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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