山野辺太郎 『こんとんの居場所』 : 完全にハズしました。
書評:山野辺太郎『こんとんの居場所』(国書刊行会)
いかにも怪しい装丁。
なんだかヌメヌメした感じの、妖怪とも怪物とも異星生物ともつかぬモンスターの絵が表紙を飾っている。マタンゴとナメゴンの「合いの子」みたいな感じだ。しかも、タイトルが『こんとんの居場所』というのだから、この絵の怪物が「こんとん」に違いないし、「こんとん」を探しに行く、B級SF的な作品なのだろうか?
それに、作者の名前も聞いたことがない。もしかして、素人の自費出版かと疑い、出版社名を確認すると、「世界幻想文学体系」などのマニアックな本の刊行で知られる国書刊行会。クセはあるけれど、ちゃんとした志のある出版社であり、自費出版の刊行をしているという話は聞いたことがない。同社なら、完全な素人作品の刊行は、社名に傷がつくからやらないだろう。したがって、著者はそれなりに書ける人なのではないだろうか?
それにしても、「山野辺太郎」なんて聞いたことがない。「山野辺・太郎」なのだろうか? それとも「山野・辺太郎」なのだろうか? 「辺太郎」だったら、かなり変だ。
イメージとして「変太郎」かと思ってしまうが、「山野辺・太郎」なら本名なのだろうか?
著者が何者なのだろうと、プロフィールを確認してみると、
「東大の独文」なのだそうだ。
いちおう、純文学系の公募文学新人賞を取っている人である。
ならば、それなりに書ける人なのだろう。だが、聞いたことがないということは、やはりさほどの活躍はしていないのかもしれない。すでに何冊か著作があって、それなりに作家業を続けているようだから、飛び抜けた才能はなくても、それなりの力量はあるのだろう。
だが、こんな怪物が出てくるような作品を書きたがるような人なら、純文学方面で冷遇されても仕方ないのかも知れない。いかにも「キワモノ」くさい。
ずば抜けてうまいというのなら、また話も別だけれど、「なかなか書ける」という程度の人が、こんなのを書いても、たとえば芥川賞の候補になったりすることはないだろう。
つまり、それなりに力量はあるんだけど、変なものを書きたがるから、純文学の方では冷遇され、かと言って、書き方が純文学的で、SFにもなりきれなければ、エンタメにもなっていないから、そっち方面からもお呼びがかからない、中途半端なところで、変な小説を書いている、といった感じの人なのだろうか? 一一だとしたら、ちょっと気になる。
もしかして、「拾い物」の悪趣味変態小説だったりしたらうれしい。だけど、文学賞をとっているくらいだから、とんでもなく変というところまではいってくれない、中途半端な「変」なのかもしれない。
けれども、まあ、中編が2本のようだから、さくっと読んでみるか。一一そう思って、買ってみたのである。で、どうであったか?
「変態装丁賞」受賞作、だった。
装丁の怪しさが、すべて。この装丁の怪しさには遠く及ばない、「やっぱり、こんな感じなのかあ」というような作品であった。表題作の「こんとんの居場所」が、である。
この作品を、赤坂真理とラランド・ニシダが「推薦」しているらしい。
赤坂真理に言いたい。「もう少し、ましな小説を読めよ」
ラランド・ニシダが何者かを知らず検索してみたら、ラランドというお笑いコンビの片方だったが、ニシダにも言いたい。
「もっと、本を読めよ。こんなの褒めてて、『読書の喜びの根源』など語れると思うな」
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作品について、簡単に触れておく。どこがどんなにダメなのかを、詳しく説明する気にもならないのだ。
「こんとんの居場所」
彼女にフラれた後、やる気を失って食い詰めていた青年が、怪し気なアルバイト募集に応じる。面接に行ってみると、小さな島ほどもある謎の生物、仮名「こんとん」の調査だというのだ。このアルバイトには、語り手の青年と、もう一人、同年輩の女性も採用され、雇用者側の年長女性と高齢の博士を含めた4人が、船で一路南を目ざし、ついに「こんとんの島」に上陸する。
地面とも呼べる「こんとん」の皮膚を傷つけないように、アルバイトの2人は、素っ裸で「こんとん」に上がって、その上を歩き回る。それで感じたことを、後でレポートにまとめてくれたら良いと、そういう説明だった。
しかし、「こんとん」に直に触れると、そこには独特の快感があって、二人はいつの間にか、安らぎの中で「こんとん」と融合してしまう。
簡単にいうと、前半は「純文学系」の若者の失恋体験小説。
後半は、諸星大二郎の名作「生物都市」と『新世紀エヴァンゲリオン』の「人類補完計画」を、足して薄めて凡庸化したもの。
書き下ろしの「白い霧」は、「パンデミックもの」の「終末もの」と言えるかも知れないが、作りがチャチで、描写が「ふざけているのか?」と言いたくなるような作品。
すこし、横田順彌のハチャハチャSF(古)を思わせるのだが、作者に笑わせようという意図はなさそうで、「こんとんの居場所」と同様、大真面目に「消滅してしまうことへの憧れ」を語っているようだ。
そんなわけで、肝心の小説は、どこもかしこも「既視感」のあるもので、しかも「薄っぺらい」。
これで、よくも本を出せたものだと、かえって感心した。作家的才能以外の何かを持った人なのか?
ともあれ本書は、「変態装丁賞」受賞作と考えるべきであろう。
当然のことながら、装画にあるような怪物は、「こんとんの居場所」には登場しない。
「表紙画は、あくまでもイメージです」ということなのであろう。そうですか。そんなんですね。
(2024年3月7日)
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