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飴村行 『空を切り裂いた』 : グロホラー小説家の佳作

書評:飴村行『空を切り裂いた』(新潮社)


飴村行は、2008年に『粘膜人間』で、第15回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞しデビューした作家である。
日本ホラー小説大賞は、「大賞・受賞作なし」の回がけっこう多い、いまどき珍しい奇特な公募新人賞だが、そのぶん大賞受賞作には期待できるし、第10回の受賞作(2003年)、遠藤徹の『姉飼』は、歴史に残る「妖美変態グロホラーの傑作」として、私の大好きな作品だったから、おのずと、飴村のこのデビュー作にも、興味を持つには持った。

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だが、内容紹介や評判を見てみると、同じグロ・ホラーでも、『姉飼』のような「妖美さ」は無いようなので、飴村のデビュー作『粘膜人間』も、ながらく見送っていた。

だが、5年ほど前に会社の同僚が『粘膜人間』を読んでいたので、「どうですか?」と尋ねたところ「えげつないエログロだけど、面白いですよ」というので、1冊くらいは読んでおいても良いかと思って読んでみたところ、私には「単なる悪趣味なグロ小説」としか思えなかった。しかも、そのグロが、目を背けたくなるほどのものではない。
ゲテモノはゲテモノなりに、突き抜けていればいいのだが、この程度では、むかし何冊か読んだ、友成純一のエログロホラーと大差ないと、むしろ物足りなさを感じたのだ。無論、『姉飼』のような「妖美」さなどは、カケラも無かった。

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今回、ひさしぶりに飴村の小説を読んだのは、本書『空を切り裂いた』の帯に、次のような惹句(コピー)があったからだ。

(表側)令和の「ドグラ・マグラ」
(背側)読了してもなお、あなたは正気を保っていられるだろうか?

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このように、本書の惹句は、歴史的名作『ドグラ・マグラ』の権威に、全面的に寄りかかったものだった。

失礼ながら私は、『粘膜人間』の作家に『ドグラ・マグラ』級の作品を書くことは不可能だと思ったから、例によっての「ハッタリ惹句」だと「常識的な判断」を下して、本書を買うことはしなかった。しかし、「古本でなら買ってもいいかな」と思ったので、刊行後半年の今になって読んだ、というわけである。

また、その間に「令和の『ドグラ・マグラ』が出現した!」という評判を聞かなかったのは言うまでもなく、「やっぱりなあ」と思いつつ、つまり、多くを期待せずに本書を読み始めた。

一一で、どうであったか?

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本書は、雑誌連載された「連作長編」である。
架空の町・千葉県鷗賀(おうが)市を舞台に、この町に居住し自殺した芥川賞作家・堀永彩雲の残した小説をめぐる五つのエピソードが描かれている。

で、最初のエピソード「侵徹」を、お手並み拝見と、上から目線で読み始めたところ、途中で思わぬヒネリがあって「そう来たか、やられたな」と、うれしい驚きで、これはかなり楽しめた。
それで、この調子で、残りを盛り上げていってくれたらと期待したのだが、残念ながら、後の四つのエピソードは、よくある「サイコホラー」でしかなかった。

いちおうは、鷗賀市を舞台にし、堀永彩雲の小説に関係づけられてはいるのだが、それが全体の「背骨」というほどのものではなく、あくまでも「関連づけられているだけ」でしかない。比較的それぞれのエピソードの独立性が高く、長編小説としては結構が弱いと言わざるを得なかった。
つまり、本書を読むのなら、第1章の「侵徹」を読めばそれで十分、という感じだったのである。

そこで、この程度の作品を、よくもまあ『令和の「ドグラ・マグラ」』だなどと言ったものだと、読了後に、下の著者インタビューを読んでみた。

これぞ令和の『ドグラ・マグラ』!? 飴村行さんの新境地「空を切り裂いた」インタビュー(『読書好日』「朝宮運河のホラーワールド渉猟」)
https://book.asahi.com/article/14642080

すると、『令和の「ドグラ・マグラ」』云々という惹句は、担当編集者が勝手につけたものであって、作者にその意識はなかったそうだ。
それに、それぞれに短編の関連づけも、単行本化にあたって補強された部分のようで、もともと「長編」意識は薄かったようである。

したがって、本作は「読むと気が狂う小説」を扱ってはいるものの、それだけで即『ドグラ・マグラ』を意識した作品だとは言えないだろうし、たぶん、作者のインタビューでの言葉に嘘はないだろう。(下は、インタビュアーと、飴村のやりとり)

『一一第1話「侵徹 シンテツ」では伯父の家に滞在する作家志望者が、第2話「曳光 エイコウ」では役者を目指す青年が、彩雲の小説によって運命を大きく変えられます。単行本の帯に「令和の『ドグラ・マグラ』」とありますが、たしかに狂気を描いた夢野久作の世界を連想させます。

 そう言っていただけると嬉しいですけど、これは担当さんが書いてくれたコピーで、自分ではあまり意識しなかったんです。「全然違うだろ!」と怒り出す人もいそうですが(笑)、あくまで『ドグラ・マグラ』とは別物なので。似ているか似ていないかは、読んだ人それぞれで判断してください。』

編集者が「売らんかなで、派手な惹句をつけただけ」というのはわかるが、その編集者さんが『ドグラ・マグラ』を読んだうえで、臆面もなく本作に『令和の「ドグラ・マグラ」』という惹句をつけたのか、あるいは「読んでいない」からこそ、無責任につけたのかは、少々気になるところである。

だが、いずれにしろ「ネトウヨ本を出すくらいに貧せれば鈍するで、文芸書の新潮社も落ちぶれたものだ」という感慨は、この「安易な惹句(コピー)」においても禁じ得なかった。

「正気」を保てなくなったのは、読者ではなく、新潮社の方だったようである。

(2022年9月8日)

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