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アレックス・ガーランド監督 『MEN 同じ顔の男たち』 : 裏返されたフェミニズム・ホラー

映画評:アレックス・ガーランド監督『MEN 同じ顔の男たち』

映画マニアの間で評判の良い、映画製作会社「A24」の出資した作品である。
「出資した」というのは、この会社自体は、映画「制作」会社ではないからだ。つまり、直接、映画を作るのではなく、映画「制作」会社に出資するのである。日本で言えば「KADOKAWA」みたいなものか?(違うかもしれない)

「A24」の特徴は、「いかにもハリウッド的」な映画を、作らない点だ。

「A24」がこれまでに製作した、すべての作品をチェックしたわけではないし、なにしろ実際に作っているのはいろんな映画クリエイターであり映画制作会社なのだから、すべてが「非ハリウッド的」かどうかまではわからない。だが、私が見聞きした範囲では、そんな感じであり、大筋のところは、それで間違いではないだろう。

ちなみに、私が観た「A24」製作の映画とは、アカデミー賞作品賞受賞作である『ムーンライト』(タレル・アルヴィン・マクレイニー監督・2016年)と、『ヘレディタリー/継承』アリ・アスター監督・2018年)。そして、本作ということになる。

『ムーンライト』は、とにかく評判が良かったし、黒人差別問題にも興味があったので観ることにしたのだが、結果的には、あまりピンとは来なかった。作りが上品すぎるし、情感に訴えてくる作品なんだろうが、私の好みではない、という評価に終わった。

『ヘレディタリー/継承』の方は、「とにかく怖いホラー映画」だというので、怖いホラー映画が観たい私は、勇んで観に行ったのだが、結果としては、それほど怖くはなかった。
ホラー映画といっても、バケモノが突然、暗闇からバーンと(大きな効果音を伴って)飛び出してきて「驚かす」態のもの、私が言うところの「びっくり箱ホラー」が少なくないが、「そんなものは邪道である」と私は思っている。そうではなく、雰囲気と内容(哲学)で怖がらせる作品でなければならない、というのが、私の「ホラー映画」観なのだ。
で、そんな私のホラー映画観に合致した作品とは、まず何をおいても、かの『エクソシスト』ウィリアム・フリードキン監督・1973年)。それから、あとは『オーメン』リチャード・ドナー監督・1976年)だろうか。
「ホラー映画」という括りの中でなら、「エルム街の悪夢」シリーズが大好きなのだが、これは「怖い映画」ではなく、「メタフィクション的」な面白味の作品として好きなのだ。

ともあれ、以上のようなわけで、私は本作以前に観た2本の「A24」映画については、どちらも満足できなかった。
なるほど「絵的に美しく、芸術性が高い」とは言えるのだけど、私が求めているのは、そういうお上品な作品ではなく、観客に挑戦してくるような作品なのである。映画マニア的な(サブカル趣味の)観客が「わかるわかる」といって満足するような作品ではなく、観客を挑発し、その世界観を揺さぶるような作品なのだ。

だから、「A24」の作品は「私には合わないのかも知れない」と思い、評判の高かったホラー映画『ミッドサマー』なども「『ヘレディタリー/継承』系の作品ではないか」と疑って、結局は観に行かなかった。

しかし、本作『MEN 同じ顔の男たち』は、『ヘレディタリー/継承』のような「不穏だが地味なドラマで延々と引っ張って、最後に恐怖が訪れる」といったタイプではなく、言うなれば「傷心旅行」で訪れた田舎町の「男たちが、みんな同じ顔をしている」という、具体的かつ、あきらかに異常な状態が、ほぼ最初から提示される作品であり、「これは何を意味するものなのか?」というその「謎」において、私の興味を惹きつけたのだ。

予告編を見るかぎり、今回もまた、いかにも「A24」らしい、芸術映画的な「絵作り」になっているものの、この異常設定であれば、それなりに「謎解き」を楽しめるのではないかと期待したのである。

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【 ※ ストーリーの詳細な紹介の後、私の解釈を示します。未鑑賞の方はご注意ください】

上のような「注意書き」になったのは、結局のところ、この映画も「なぜ、男たちの顔は同じなのか?」という「謎」についての、ハッキリとした「説明」も無ければ、「象徴的な含意」の説明も無く、その解釈は、完全に観客個々に委ねられている作品だったからだ。

したがって、以下に示す解釈は、あくまでも私個人のものでしかない。ただし、その「解釈」の性格からして、あまり多くの人の指摘するものではないだろうと思う。
しかし、この「ちょっとヤバ目」な解釈なら、しっくりくると思えるのだ。

ともあれ、まずは「あらすじ」から。

『夫の死を目撃してしまったハーパーは、心の傷を癒すためイギリスの田舎町へやって来る。彼女は豪華なカントリーハウスの管理人ジェフリーと出会うが、街へ出かけると少年や牧師、警官に至るまで出会う男すべてがジェフリーと全く同じ顔だった。さらに廃トンネルから謎の影がついてきたり、木から大量の林檎が落下したり、夫の死がフラッシュバックするなど不穏な出来事が続発。ハーパーを襲う得体の知れない恐怖は、徐々にその正体を現し始める。』

ここでは『夫の死を目撃してしまったハーパーは』と簡単に紹介されているが、この夫の「死に方」が、まず尋常なものではない。

パーパーは、夫との生活がもう続けられないと、夫に離婚を申し出るが、夫は「自分の何がいけないんだ。説明してくれなければわからない」という趣旨のことを言って、なんとかハーパーとの和解を望んでいる。

だが、ハーパーからすると、説明を求めるということ自体が「何もわかっていない」「なんでも説明できると思っていることが、夫の間違い」「説明を強要するところが我慢ならない」といったふうで、離婚に応じようとしない夫を、一方的にマンションの部屋から締め出して、自分の部屋にこもる。ハーパーが泣きながら、友人宛の、夫を非難するメールをスマホで打っていると、ハーパーの態度に激昂した夫が、部屋に押し入ってきて、「何をしているんだ!」とハーパーのスマホを取り上げ、その文面を見てさらに激昂し、ハーパーを殴り倒してしまう。

倒れて鼻血を流しているハーパーを見て、夫はあわててハーパーに謝罪するが、今度はハーパーが激昂して、夫からスマホを取り返すと、夫をマンションの部屋から追い出してしまう。

そして、ハーパーが泣きながら、ベランダの窓から夕陽を見ていると、その目の前を、夫が落下していくのを、もろに目撃してしまう。
スローモーションで表現されたこのシーンでは、二人の視線は交わった感じだが、夫の表情は「驚いた」ような感じで、覚悟の自殺という感じではないし、ハーパーを憎いんでいるとか、怒りを感じているとかいう感じではない。ただ、落下している自分に「驚いている」という感じなのである。

どうやら、夫は自殺したのではなく、上の階の部屋に入れてもらい、そこから二人の部屋のベランダへ降りようとして、足を滑らせて落下したようなのだが、しかし、結果としては夫は死んでしまう。
階下に様子を見に行ったハーパーは、右脚が脛から折れてねじ曲がり、落下の際に、侵入防止用に鉄柵に引っかかったのであろう、左腕が二の腕から二つに裂けた、夫の無残な姿を見ることになる。

ハーパーの夫は、見るからに「人の良さそうな黒人」であった。

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そんなわけで、ハーパーは、心の傷を癒すために、自家用車をとばして田舎町へやって来る。豪華なカントリーハウスを借り切って、そこで仕事もこなしつつ、2週間滞在する予定だった。

ところが、このカントリーハウスの管理人であるジェフリーは、親切な男ではあるのだろうが、しようもない、ちょっとお下品なユーモアの持ち主であり、およそ「女心の繊細な機微」などわからない「田舎者」であった。
だが、ハーパーも「イマイチだなあ」という感じではあれ、まあ「田舎者だから仕方ない」し、毎日顔を合わせるわけでもないのだから「まあいいか」と流して、ジェフリーが合鍵を渡して立ち去った後、彼女を心配する女友達のライリーに、スマホで「とても素敵なカントリーハウスだ」と報告したりするのであった。

荷物を片付けて一段落したハーパーは、歩いて10分ほどの町の方へ、林を通っての散策に出かける。
その自然の風景はとても素晴らしく、「予告編映像」に表れる「美しい風景」は、このあたりから採られている。

散策の途中で、ハーパーは廃線跡のトンネルに出会い、そこでトンネルの奥に向かって、木霊遊びをしていたところ、はるか向こうのトンネルの出口あたりで、男の黒い影が起き上がり、こちらに向けて走ってくるのが見えた。

気味悪くなったハーパーは、そこから走って帰ろうとするのだが、途中で道に迷ってしまい、焦りに焦り、やがて見知らぬ廃屋の裏手に出た。
その廃屋の表側に回ると、そこは見通しの良い野原で、どうやら自分の現在地にも見当もついた。これで帰れそうだとホッと一息ついて歩き始めたところ、自分がそれまで立っていた廃屋の横手に、実在するのか幻なのか定かではないものの、全裸の男がぬぼーっと立っているのを目にして、ハーパーは、慌ててカントリーハウスへの帰途を急ぐのであった。

そんなわけ、素晴らしい自然に囲まれたカントリーハウスではあるが、幸先のよくない半日を過ごしたハーパーは、気分転換に、友人のライリーに電話をかける。
だが、管理人のジェフリーが言っていたとおり、あまり電波状態が良くなくて、しばしば電話が切れてしまい繋がらない。それだけではなく、瞬間的に、男の顔や音声のようなものが混じり込んで、気味が悪い。

ともあれ、なんとかライリーに電話が繋がった。
ハーパーは、ライリーの求めに応じて、カントリーハウスの中を撮影しながら紹介していたところ、館の庭に生えた「りんごの木」のところに、先ほど見た全裸の男が立っており、りんごの実を採って食べていた。
ハーパーは慌てて、ライリーへの電話を切り、警察に「すぐ来てくれ」と110番通報する。
幸い、すぐにパトカーが到着して、裸の男は取り押さえられ、警察署に連行された。

それにしても、最低な一日だったと、その翌日、パーパーはジェフリーから教えられていた、評判がいいという「村のパブ」へと出かけていく。カントリーハウスに一人でいるのが、不安で気鬱だったからだろう。

ところが、このパブにいた、ジェフリーを含めた5人ほどの男たちが、みんな同じような顔をしているのだ。
つまり、髪型や服装や雰囲気はそれぞれに違うものの、ジェフリーと同じような顔つきなのである。そして、その中には、昨日、裸の男を捕まえてくれた男性警官もいる。

しかし、ハーパー自身は、「男たちの顔が同じ」ことについて、あまり気にしていない様子だ。画面から感じられるのは、彼女が、せいぜい「違和感」を感じている程度の感じであって、「男たちが、同じ顔をしている」という認識はないようである。
まあ、その認識があれば、そのことだけで怖くなって、村から逃げ出していたことだろう。

ハーパーは、男性警官にお礼を言うと、警官は「いや、たいしたことありませんよ」といった調子で、ハーパーからの礼を受けた後、ついでのように「ところで、あの男は、夕方には釈放しました」と報告する。
すると、ハーパーの表情が一変して「どうしてあんな犯罪者を釈放したりするんですか。どうして、刑務所にぶち込んで、出てこれないようにしないんですか」という趣旨の怒りの言葉をぶつけると、警官は少しカチンと来た様子で、しかしハーパーをなだめるように「いや、あの男は、これといって犯罪を犯しているわけではありませんからね。前から時々見かける、頭のおかしい浮浪者で、特に害はありません。だから、いちおう叱りおきにして、服をやって帰らせました。いつまでもぶち込んでおく理由はありませんよ」と、そういう趣旨の説明をする。
だが、ハーパーは、男性警官の鈍感さが信じられないと激怒して、そのパブを出てしまう。

その帰りに、町の教会が目についたので、ハーパーは教会に入って、信者席に着くと、思わず声を上げて泣き出してしまう。夫に死なれただけでもショックなのに、その傷を癒しに来た、この田舎でまで、どうして自分はこんな目に遭うのだ、という感じだったのだろう。
そんなパーパーの声に気づいたのだろう、教会の奥に牧師らしき男がちらりと姿を見せるが、ハーパーが泣いているようなので、そっとしておこうとでも思ったのであろう、声をかけることもなく、そのまま奥へ引っ込んでしまう。

ひとしきり泣いた後、教会を出て帰ろうとしたパーパーは、教会の横手の出入り口の階段のところに、お面をかぶった少年が座っているのに気づく。
少年がかぶっているは「マリリン・モンロー風の金髪セクシー女性」の、安っぽいプラスティック製のお面だ。

その少年が、ハーパーに気づいて、仮面をかぶったまま「僕とかくれんぼをしないか?」と声をかけてくる。
ハーパーは、これから帰るところだし、今はそんな気分ではないと断ると、少年は仮面を脱いで怒り出し、ハーパーを侮辱するようなことを言い始める。当然、少年の顔は、他の男たちとそっくりで、おのずと、ひねこびた奇妙な顔だ。

そこへ牧師が現れ、少年を追い払い、ハーパーに「知恵遅れの子」なので許してほしいという趣旨のことを言う。ハーパーが牧師にお礼を言うと、牧師は「先ほど、あなたは教会に入ってましたね?」と尋ねるので、ハーパーは、勝手に入ったことを咎められたと思い謝罪するのだが、牧師は「いや、それは構わないのです。教会は誰にでも開かれた場所ですから」と言い、「ただ、何か悩んでおられる様子だったので、声をかけなかったのですが、もし良かった話を聞かせてくれませんか」と親切そうにいうので、ハーパーは教会横のベンチに並んで座り、夫とのトラブルとその死について語り始める。

だが、その牧師の反応は、ハーパーが期待したようなものではなかった。
ハーパーとしては、当然「それは、あなたが悪いわけではない」と慰めてくれることを期待していたのであろうが、牧師は「あなたはなぜ、夫と話し合おうとしなかったのですか? なぜ彼に、説明の機会を与えてあげなかったのか。話し合っていれば、ご主人は死ななくて済んだのではないですか?」と、まるでハーパーを責めるようなことを、当たり前のような顔をして言うのだ。
それでハーパーは、「なんて牧師だ」と腹を立て、牧師を残してカントリーハウスへ帰ってしまうのであった。
当然、この牧師の顔も、「同じ顔」である。

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そんなわけで、男たちの「同じ顔」には気づいていないようだが、とにかく「ロクでもない男ばかり」だと腹を立て、絶望したハーパーは、カントリーハウスに籠ることに決める。

親友のライリーには「もう引き上げてきた方がいいのではないか?」とすすめられるが、ハーパーは、そんなわけにはいかない、このカントリーハウス自体は素晴らしいのだから、2週間、目一杯楽しんでから帰ると、そう宣言する。
だが、その夜には、さらにおかしなことが起こり、ハーパーは異様な世界に巻き込まれる。

夜になって、カントリーハウスの中でくつろいでいると、突然、灯りが消えた。停電である。そこで、ブレーカーか何かを確認しようとしていると、すぐに復旧してひと安心。
ところが、ふと庭を見ると、例の全裸男が立っている。
慌てて、家の戸締りをすると、また停電になって灯りが落ちる。

外の様子を窺っていると、また灯りが点いて、庭もライトに照らしだされるのだが、庭のリンゴの木のところに立っているのは、裸の男ではなく、例の男性警察官であった。
ハーパーは、庭に裸の男がいたことを警官に訴えようと玄関を出て、警官に声をかけるが反応がない。次の瞬間、また電灯が消え、庭が真っ暗になった後、すぐにライトが点いた時には、リンゴの木のところからは、警官の姿は忽然と消えていた。まるで、最初からいなかったかのように。
そして次の瞬間、リンゴの木に実っていたリンゴが、なぜか一斉に、ザッと音を立てて落ちてしまう。

ハーパーは慌てて、屋内に戻り、ドアに施錠をするが、また庭に裸の男が現れ、また電灯が消えると、男は屋内への侵入を試みるかのごとく、窓やドアを叩く。
そこでハーパーは、自衛のため柳刃包丁を持ち出して、屋内から様子を窺っていると、玄関ドアをドンドンと叩く音がする。それで、様子を窺いに行くと、ドアを叩く音はしなくなって、外に気配も感じられない。
そこで、郵便受けの小窓をそっと開けて、外の様子を窺うと、裸の男がすごい勢いで突進してくる姿が見え、ハーパーが慌ててドアから身を退くと、ドアが外からドンドンと叩かれ、そのあと男は、郵便受けの小窓を外から押し上げて、中を覗き込み、そして、そこから左腕を突っ込んできた。

ここで、それまで怯えていたはずのハーパーは、顔をこわばらせながらも、柳葉包丁をその男の腕に、上から突きたて、刺し貫いてしまう。
すると、男の腕は、そのまま、ジリジリと外へと引き抜かれていき、その結果、男の左腕は、二の腕から、真っ二つに切り裂かれることになってしまう。まるで、死んだ夫の左腕のように。

ここからは、まさに狂気の世界だ。

ハーパーが、玄関から離れてキッチンに潜んでいると、ガシャンと音を立てて窓ガラスを割れ、やがて何者かが屋内に入ってきた。様子を窺っていると、それはかの少年であり、先に窓ガラスを割って入ってきたのはカラスのようで、テーブルの上でにはカラスの死骸が横たわっている。
少年は、そのカラスを掴み上げると、ハーパーを責めるように迫ってくる。

少年から逃れ、寝室に逃げ込むと、今度は例の牧師が現れるが、その左腕も二つに裂けている。
ハーパーは、牧師の男を刺してそこから逃れ、玄関から出て、自家用車に乗り、全速力で表の道に走り出したが、真正面から歩いてきていたジェフリーの存在に気づくのが遅れる。ジェフリーは、普段の様子で挨拶をするように、にこやかに片手をあげていたのだが、それを跳ね飛ばしてしまう。

ちょっと変わってはいるが、基本的には「良い人」であるジェフリーを跳ねてしまったと、ハーパーは慌てて車と止めて降りるが、そこにはジェフリーの姿はなく、どうなっているのかと当惑していると、いつの間にかジェフリーが車に乗り込んでおり、今度は彼女を跳ねようと、車で追いかけ回してくる。それを何とか躱し、車が門柱に正面衝突して動かなくなったところで、ハーパーは屋内に戻ろうとするが、今度は裸の男が、体中から植物の芽のようなものを生やした状態で迫ってきて、手にしていたタンポポの綿毛をハーパーに吹きかける。すると、パーパーは、恍惚とした状態になり、タンポポの綿毛をひとつ吸い込んでしまい、そのままふらふらと、玄関から屋内に戻る。

すると、さらに裸の男が、玄関から入ってくるのだが、ここからが「エグい描写」になる。

男の腹は、なぜか妊娠したように大きく膨れている。
男は玄関から入ってくると、ハーパーの目の前で、仰向けに四肢で踏ん張るかたちで座り込むと、股間の「女陰」から、胎児をひり出し始める。だが、それは「赤子」ではなく「大人の男」だ。

そして、そうして這い出してきた男も、やはり腹が膨れており、今度はその背中にある「女陰」と思しき部分から、セミが脱皮するようなかたちで、再び「大人の男」を出産(?)する。
さらにそうして出てきた男は、今度は口から「大人の男」を産み出そうとする。男の口から、二本の足が出てきたのだ。

そこで、その場から逃れたハーパーは、包丁を持ったまま、居間のソファーに脱力したように座り込む。
すると、遅れてそこへ、出産による体液で体をぬらぬらと光らせたままの裸の男が、折れた右足を引くずりながら、よろよろと入ってくる。だが、今回は、村の「同じ顔の男」ではなく、死んだはずの黒人の夫で、彼は、パーパーと並んでソファーに座ると、生前と変わりなく、人の良さそうな顔で「何で俺が死んだんだ? 俺の腕が、何でこうなったんだ?」といったようなことを、ハーパーを責めるように問うてくる。

翌朝、ハーパーの親友であるライリーが、自家用車でカントリーハウスに駆けつけてみると、庭の入り口の門柱に、ハーパーの車がぶつかって止まっている。庭に入ると、ハーパーが血に汚れた姿で、庭の石段(長椅子?)に座っており、ライリーの方を向くと「こんなことになっちゃったわ」とでもいうような薄い笑みを浮かべる。
ライリーが驚きながら館の方を見ると、玄関口には、死体でもひきづったような、血の跡がついており、何か惨事が起こったのは、間違いのない様子だった。

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長々と「ストーリー紹介」につき合わせたが、私の「解釈」を示すためには必要な段取りであったので、ご容赦願いたい。
また、以上は、私の記憶だけに基づいて再現したものなので、細部の記憶違いや、特に前後関係の間違いがあるだろうこともご容赦願いたいと思う。だが、作品解読に支障のない程度の「再現」にはなっているはずだ。

要は、このように「わけのわからない、気味の悪い話」であり、ここで描かれたことを「合理的」に説明することは、およそ不可能ということになる。
つまり、この物語は「何かを暗示している」と考えるべきで、要はそれが何かを「解釈」するための考察が必要となる作品なのである。

で、この作品を、当たり前に解釈したら、それは「男性嫌悪」映画だと言えるだろう。
「男ってのは、どいつもこいつも、無神経で暴力的で自分勝手で度し難い存在だ」という「怒り」が込められていると、一応はそのように解釈できる。
それは、本作に寄せられた、ホラー作家の平山夢彦の、次のようなコメントと、ほぼ同じ趣旨の解釈だと言えるだろう。

『男と女一一互いに求め合いながら永遠に対立し続ける巨大な疑問符。これに驚愕の答を叩き付けたのが本作だ!ある女性が辿る〈男とは?〉の地獄旅。
〈男はみんな同じ!〉観賞後、必ずあなたもそう絶叫する。』

しかし、私は、この平山のコメントは、本音の「半分」しか語っていないと思う。
このコメントでは、明らかに「男女はお互いに、分かり合えない」みたいなことだが、この映画では、明らかに「女性視点で、男たちは度し難い」と批判的に描いているからだ。

では、なぜ、多くのコメンテーターたちは、この映画を「フェミニズム映画」だと評さなかったのか?

それは、この映画における女性主人公ハーパーの「男性批判」が、あまりにも「一方的」であり「女の気持ちがわからない、男が悪い」というものであったからだ。

つまり、この映画を「フェミニズム映画」だと評した場合、「フェミニズム」を、否定的に評価することにしかならないのだ。要は、「フェミって、こういう自分勝手で、一方的だよね」という「アンチ・フェミニズム」の「フェミニズム」像を、この映画は描いている、という評価にしかならない。

つまり、この映画をそんな「アンチ・フェミニズム映画」であると評すると、何かと「うるさいこと」があるかもしれないから、「フェミニズム」という点には触れないで、「分かり合えない、男女の問題」という、嘘ではないけれど、本音を隠した評価を、少なくとも「この映画の趣旨が理解できたコメンテーター」は、無難に語ったのではないだろうか。

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この映画が、「女がわからない、バカな男たち」を描いた映画ではなく、「『女がわからない、バカな男たち』という一方的な決めつけの激しい、フェミニズムかぶれの女」を描いた映画だと理解すれば、この映画は、決して「難解」ではない。

パーパーの夫は何度も「話し合おう」「何がいけなかったのか教えてくれ」と懇願していたにも関わらず、ハーパーは「それがすでにダメなのだ」と、説明や対話を拒絶して、一方的に自分の価値観を押しつけるだけだった。

カントリーハウスの管理人であるジェフリーに対するハーパーの見方も、「田舎のおじさん」に対する「都会の繊細な知識人」としての、上から目線が露骨だ。

裸の男をすぐに開放した男性警官の言い草は、たしかに配慮に欠けたものだけれど、ハーパーの「自分の気持ち」中心の物言いにうんざりさせられて「あんたの気持ちはそうかもしれないけど、あいにく法律ではそうなっていないし、被疑者にも人権はあるんだよ」と言いたい気持ちは、よく伝わってくる。要は「何を、大げさに被害者ぶって、勝手なことを言っているんだ、このヒス女は」という感じである。

仮面の少年については、よくわからない。だが、「遊ぼう」というのは、「一緒に行動することで、わかりあおう」という誘いを象徴しているのかもしれない。

「男性の立場」を一方的に擁護した牧師は、文字どおり「男の立場(視点)もあるのだ」ということを示すためのキャラクターだったのかもしれない。

親友のライリーは、明らかに「レズビアニズム」を暗示しており、そもそもハーパーが本当に、夫である黒人男性を愛して結婚したのかという疑いを持たせる要素かもしれない。つまり、「黒人」だったから、「結婚してあげた」という感じがあったのではないか、ということだ。

「男の腕が二つに割かれる」のは、たぶん「男根嫌悪」の象徴だろう。

「男が男を産む」というのは、「男も、女から産まれてくる」という事実の、「嫌悪的否認」を象徴しているのかもしれない。
だからこそ、あの悪夢のような「男の出産」シーンは、(たぶん)「CG」による小ぎれいな特撮ではなく、今時はかえって珍しい「SFX」による手作りの、生々しい特撮だったのではないだろうか? まるで『遊星からの物体X』『ウルフェン』を連想させるような。

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そんなわけで、この映画は、「予告編映像」が想像させるような「小ぎれいな映画」ではない。
むしろ、それは、後半の「エログロ」を際立たせるための、前振りだったのかもしれない。

前半の「美しい自然と田舎の風景」は、ハーパーの求める「女性的な美」の象徴であり、後半の「グロテスクな性的妄想」は、ハーパーが感じてる「男性性」の寓喩であろう。

だから、この映画を観た男性は、男性の(バケモノ的な)描かれ方に「苦笑」するかもしれないが、腹を立てることはないだろう。腹を立てるのではなく、むしろ「こういう女っているよなあ」と、その点を、かえって面白がるかもしれない。

一方、勘の良い女性なら、この映画が、監督の「フェミニズム嫌悪」を「裏返し」て、「女は怖いよ(女には勝てないよ)」という「皮肉」を描いた作品であることを感じて、その「搦め手の嫌がらせ(批判)」に、嫌な気分になるのではないだろうか。

私個人としては「批判するのなら、真正面から堂々と(ガツンと)」と思う反面、この種の「毒のある皮肉」も嫌いではない。
だが、基本的には、エログロは苦手なので、そこは「ちょっとなあ」という感じではあった。

面白かったかどうかと問われれば「まずまず」といったところだが、その「皮肉な批評性」は評価でき、その点では、それまで観た「A24」映画の中では、最も分かりやすく、楽しめた映画だとは言えるだろう。

かなり「悪趣味」な映画ではあるけれど、一見の価値はある作品であった。


(2022年12月20日)

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