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スタンリー・キューブリック監督 『シャイニング』 : 作劇を誤った「大作ホラー」

映画評:スタンリー・キューブリック監督『シャイニング』1980年、アメリカ・イギリス合作映画)

「モダンホラーの帝王」スティーヴン・キングの原作小説を、『2001年宇宙の旅』などで知られるスタンリー・キューブリックが、1980年に映像化して、今では「ホラー映画の古典的傑作」と呼ばれている作品である。

ちなみに、原作者であるキングは、本作を気に入らなかったそうだが、私は原作小説を読んでいないので、その点での比較はできないことを、あらかじめ断っておく。

『主演のジャック・ニコルソンがみせる狂気に満ちた怪演は見どころ。高い評価を受けた作品だが、内容が原作とかけ離れたためキングがキューブリック監督を批判したことでも知られる。』

「映画.com」・「解説」より)

有名作品なので、詳しいストーリー紹介は必要ないだろうが、映画版のあらすじを紹介しておこう。

(建設中の外観セット)

コロラド州ロッキー山系の山中に建つ、歴史あるホテル「オーバールック・ホテル」。このホテルは、冬の間は閉鎖されるのだが、その管理人として新たに雇われた一家が、冬を前にしてやってくる。小説家志望の中年男ジャック・トランスと、その妻ウェンディ、幼い長男デニーの3人だ。

(ホテルに向かうトランス一家)

事前の管理人契約の際、ホテルの支配人は「いちおう話しておくが」と前置きして、ジャックに、昔このホテルで、管理人家族だけが居残りする冬の間に、管理人の男が妻と幼い双子の娘を惨殺し、自らも自殺するという惨劇があった、という事実を明かす。麓の町からも遠く孤立した、この広く豪壮なホテルに家族だけで寂しく生活していると、極度の「孤独」に苛まれて、精神を病むる者もいるのだが、「君は大丈夫か?」と言うのである。
主人公の、小説家志望の男ジャック・トランスは、はなからホテルの管理は妻に任せ、自分は小説書きに専念するつもりで、この仕事を引き受けたので、「むしろその方が好都合なくらいだし、私は平気だ」と応諾していた。

(かつて惨殺事件のあったホテル)

もともと「不思議な予知能力」を持つ、彼の息子ダニーは、ホテルに着いて早々、不気味な幻覚を見ることになるのだが、ホテルに来て1ヶ月も過ぎ、本格的な冬に突入した頃がら、ジャックの様子がおかしくなりはじめ、家族を惨殺したかつての管理人の幻を見たりするようになる。

(指を別人格のように動かしながら会話するデニー)

そして、まるでその亡霊にとり憑かれたかのようにジャックは発狂し、やがて猛吹雪のために電話線が切れ、町との交通も途絶同然の山中のホテルの中で、ジャックは斧を手に、妻と息子を殺そうと追いまわし始めるのである。

 ○ ○ ○

さて、この映画で有名なシーンはというと、

(1)ダニーが三輪車で迷路のようなホテルの廊下を、ぐるぐると走り回るシーン。

(2)ダニーが、かつて惨殺された、管理人の双子の娘と遭遇する、二度のシーン。

(デニーと双子の亡霊との最初の遭遇。二度目はトップ画像の廊下)

(3)ダニーが幻視する、ホテルの廊下に「血の洪水」が流れ出してくるシーン。

(デニーが幻視する「血の洪水」。後にはウェンディも視る)

(4)ジャックが幻視する、古風な礼服姿の男女であふれたホテルの広いラウンドでの、バーテンとのやりとりシーン。

(閉鎖されて誰もいないはずのラウンジで、バーテンを相手に酒を飲むジャック)

(5)管理人一家惨殺事件に関連すると思しき「237号室」を訪れたジャックが見る、美女の幽霊。

(曰く付きの「237号室」。封印されているはずの部屋のドアに、なぜか鍵が差されている)
(ジャックが237号室に入っておくと、奥のバスルームに、いないはずの女客がいる)

(6)ジャックから逃げようと、部屋の洗面所に逃げ込み、中から錠をかけたウェンディとダニーに対し、ジャックが洗面所のドアに斧を振るい、開いた穴から「殺人鬼」そのものといった不気味な形相をのぞかせるシーン。

(自殺した管理人の亡霊に唆されて、妻と息子を「しつけ」よう(殺そう)とするジャック。)

といったところだろうか。

これらが素晴らしいというのは、たぶん嫌というほど繰り返し語られてきたことだろうから、重ねて本稿で繰り返すことはしない。
カメラマン出身であり、絵作りにこだわるキューブリックの作品なのだし、1968年の作品、つまり本作の12年前の作品である『2001年宇宙の旅』で、あれほど完璧な映像美を見せたキューブリックであれば、よほどの問題がないかぎり「絵作りが完璧である」というのは、もはや自明の前提に等しいからである。
したがって、そのあたりのこと関しては、山ほどある「コピペレビュー」にお任せし、また、本質的に作品の完成度とは関係のない「細部の謎解き考察」といったお遊びも、他所にお任せする。

では、私が本作の何について語りたいのか、なのだが、まずは、本作が「世に言うほどの、無条件な傑作なのか?」ということ。それから、その点にかかわる「俳優たちの演技とその演出(監督の演技指導)」について、である。

本作が「世に言うほどの、無条件な傑作なのか?」という点だが、私は本作を、そこまで無条件に誉めようとは思わない。少なくとも『2001年宇宙の旅』に比べれば「かなり落ちる」と評価するからだ。

もちろん、もともとが「低予算のB級作品」が多い「ホラー映画」の多くと比べれば、本作が「際立って美しいホラー映画」だというのは論を待たない。
だが、そうした「低予算のB級作品」と、映像の天才キューブリックの、しかも大予算をかけた大作とを、同列に比較すること自体、キューブリックに失礼なのではないだろうか。

つまり、『2001年宇宙の旅』を、ジャンルを限定しない「映画のオールタイムベスト5」に入れる私としては、本作『シャイニング』程度の出来では、とうてい満足できなかったということである。

では、「どこが物足りなかったのか?」

まず、何よりも物足りなかったのは、主人公ジャックの「発狂」までの段取りが不十分だった、という点である。

(ホテルの庭には巨大迷路があり、その模型がロビーに置かれている。)
(原稿書きに焦って寝ようとしないジャックと、それを心配しながらも、父を恐れるデニー)
(ジャックの様子がおかしくなっていく)

たしかに、舞台となるホテルで、かつて「管理人による一家惨殺事件があった」という伏線が張られており、また、ジャックの息子ダニーには予知能力的なものがあって、今回の「ホテルへの引越し」に、あらかじめ不吉なものを感じていたという描写もなされている。
つまり、ジャックが、かつて惨劇のあったホテルの「何ものか」の影響で発狂し、家族惨殺の再演を企てるであろうというのは、早い段階で予示されており、それ自体は「よくあるパターン」なので、特に問題はない。
問題なのは、このような「前振り」がなされているとはいえ、あまりにもあっさりとジャックが狂っていくという、その曲(捻り)の無さである。もっと、ジャックに葛藤があっても良かったのではないだろうか。

(やがてジャックは)

もちろん映画には、おおよそ2時間弱、どんなに長くても3時間という縛りがあるため、「徐々に狂っていく」過程を「丹念に描きこむ」というわけにはいかないということもあるだろうし、なにしろ「ホラー映画」というのは、基本「エンタメ」と思われているから、「丹念で説得力のあり心理描写よりも、早く派手な怪異現象を見せてくれ」というホラー映画ファンの要望も、無視し得ないところではあろう。
だが、B級作品ならいざ知らず、キューブリック作品なのであれば、段取りもそこそこに、血が飛ぶ首が飛ぶといったような「下品かつ派手」な作品を撮るわけにはいかないし、もとよりそんなものなど撮るつもりもないだろう。怪異現象や狂気を描いたシーンでは、キューブリックは、観客に心底怖がってほしいのであって、ゲラゲラ笑ってほしいわけではないはずなのだ。

また、「低予算のB級ホラー作品」と言っても、ただそれだけでバカにしたものではなく、そうしたものの中にも、そうした「縛り」の中で、優れた作品に仕上がっているものもある。それはどんな「B級作品」かというと、予算を食う派手な部分は極力減らして、それ以外のところ、つまり「前振りや伏線」の部分、あるいは人物描写などを、丹念に行っている作品だ。
つまり、なかなか怪異現象のクライマックスには届かないかわりに、それ以前の「段取り」がしっかりしているので、最後のクライマックスが短いものであっても、作品総体としては「低予算なのに、なかなかよく出来ていた」という評価になるのである。

言い換えればこれは、ホラー映画だって「基本的なドラマツルギー(作劇法)は、何も違わらない」ということである。ただ、金のかかったド派手なシーンだけを並べれば良いというものではないのだ。
たしかにそうしたものは、見ているときは面白いけれども、見終わった後には何も残らないから、「面白かったけど」という評価になりがちで、再鑑賞して「やっぱり傑作だ」と感心させられるようなこともないのである。

キューブリック作品でいうと、『2001年宇宙の旅』は、ひさしぶりに再鑑賞した際は「思っていた以上にすごい作品だ」と唸らされたのだが、本作『シャイニング』の場合、最初にテレビで視た際の印象が薄いのは、テレビ用編集版だったからではなかったかと疑い、それで今回確認することにしたのだが、結果、なにも印象は変わらなかった。

たしかに本作も「絵的」には素晴らしい。しかし「ドラマ作りとしては、いささか拙速」の感が否めなかった。もっと面白く出来たはずだという不満が残ってしまうのである。
そして、その主たる原因は「ホラー映画の基本」である「クレシェンド(徐々に強く)」演出が、出来ていなかったからではないか。
つまり、「わりにあっさりと発狂する」し「わりにあっさり、最初から怪異が登場する」から、その点で後半の盛り上がりは、もっぱら「ジャック・ニコルソンの怖い顔(の迫力)」ということになってしまっているのだ。

(狂ったジャックを食糧倉庫に閉じ込め、ナイフを片手に雪上車へと急ぐウェンディ)

だが、「ジャック」役のジャック・ニコルソンの顔が「怖い」というのは、初めからわかっていることであり、誰にも予想の範囲に過ぎない。
だから、意外だといえば、管理人の仕事の面接に来る「まともな時のジャック」の方が「おお、こんな芝居しますか」みたいな感じで楽しいのだが、狂い始めたら「ああ、いつものジャックね」という印象しかないし、その彼による「追いかけまわし」も、ホラー映画としては定番で、特に怖いというほどのものではなかった。怖いのは、あくまでも「ジャック・ニコルソンの顔」なのである。一一したがって本作は、「怪異」を扱ったホラーとしては、決して成功作とはいえないのだ。
では、「サイコ・ホラー」として怖いのかといえば、これもさほどではない。なぜなら、「発狂までの過程の描写」がほとんどなく、ジャック・ニコルソンの顔は「もともと(狂う前から)怖い」からである。

(雪に覆われた迷路の中を、斧を片手に痛めた片足を引き摺りながら、デニーを追うジャック)

要するに本作は、「ホラー映画」としての「作劇」を誤ったのだ。

しかし、以上の責めは、主演のジャック・ニコルソンにあるのではなく、彼に演技の方向性を示し、演出をしたキューブリック監督にあると言えるだろう。
本来であれば、もっと主人公ジャックが狂気に陥っていく過程を丹念に描いて、当初はニコルソンにも「抑えた演技」をさせるべきだったのだが、たかだか「アル中ぎみの小説家志望の中年男」にしては、主人公のジャックは「表情が豊かすぎた」のではないだろうか。

仕事が捗らないといって妻にあたるような男ならごまんといるけれども、そういうつまらない男たちの表情があれだけ豊かなものだとは、とうてい思えない。
むしろ「平凡でつまらない男」が狂っていく中で、異様に「表情が豊かになる」方が、「何かに憑かれている」という感じがして怖いだろう。
ところが本作では、けっこう早い段階から、ニコルソンに、いつもの派手めの「表情の演技」をさせたのは、ホラー作品に有効な「クレシェンド」の作劇法に反しており、その点で失敗だったと、私は評価するのである。

(ジャックは凍死した状態で発見される。一一それにしても、この表情はいささか滑稽ではないだろうか? 私の感性がおかしいのか、監督の故意の演出なのか、演出ミスなのか?)

ちなみに、つけ加えて書いておけば、ジャックの妻ウェンディ役のシェリー・デュヴァルの演技は、とても良かった。面長ギョロ目の、ちょっと神経質で気が弱そうな印象の面立ちが、怖くて強そうなジャック・ニコルソンとは好対照であり、最初のうちは、発狂したジャックに怯えて逃げ回るだけだが、最後は息子を守るために、ビビりながらも奮闘する女性を好演している。この作品が、「ホラー映画として」それなりに見られるものになったのは、彼女の負うところが大きいと、私は高く評価している。
また、脇役ではあるものの、ホテルに残した管理人一家の安否を気にして、すでに惨劇の始まっていたホテルに様子を見にやってきたために、あっさりと殺されてしまう、黒人料理長ハロランを演じたスキャットマン・クローザースも、登場人物の中で唯一ホッとさせてくれる好人物を演じて、印象に残った。

私はかつて『2001年宇宙の旅』を見てキューブリックに惹かれ、『シャイニング』と『フルメタル・ジャケット』を観て、この2作が期待はずれだったため、いったんはキューブリックから離れてしまった人間である。

だが、先日『2001年宇宙の旅』をひさしぶりに鑑賞して惚れなおし、今回は、世評の高い『シャイニング』を再確認するつもりで見たのだが、結果としては、私の評価が変わることはなかった。だから、『フルメタル・ジャケット』を再鑑賞することは、もうないと思う。

しかしながら、まだ『時計じかけのオレンジ』『博士の異常な愛情』といった、名高い作品もあるので、そちらはおいおい見てみようと思っているし、もしかすると、作劇の部分にキューブリックの弱点があるのかもしれないので、そのあたりにも注目したいと考えている。

ともあれ、本作『シャイニング』については、「絵作り」の素晴らしさはいつも通りとはいえ、「ホラー映画」としては、さらには単に「映画」としても、弱点の露わな作品だというのが、私の評価である。

(最後に、ホテルのロビーに飾られている昔の写真がクローズアップされ、その中になぜかジャックらしき男性に写っている(中央手前)。この解釈は、いろいろなされようが、要は、ジャックはホテルの亡霊たちの世界に取り込まれたということを示している)


(2024年3月28日)

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