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中央公論新社編 『少女たちの戦争』 : 戦後を生きた 〈凛とした女〉たち

書評:中央公論新社編『少女たちの戦争』(中央公論新社)

強く強くオススメしたい、真に「精華集」と呼ぶに値する1冊だ。

『【太平洋戦争開戦80年企画】
「サヨナラ」も言えぬまま別れた若き兵士との一瞬の邂逅、防空壕で友と感想を語り合った吉屋信子の少女小説、東京大空襲の翌日に食べたヤケッパチの〈最後の昼餐〉……戦時にも疎開や空襲以外の日々の営みがあり、青春があった。
太平洋戦争開戦時20歳未満、妻でも母でもなく〈少女〉だった27人の女性たちが見つめた、戦時下の日常。すぐれた書き手による随筆を精選したオリジナル・アンソロジー。 』

とのことで、企画としてはそんなに目新しいものだとは思えない。しかし、書き手が素晴らしい。

瀬戸内寂聴 、石井好子 、近藤富枝 、佐藤愛子 、橋田壽賀子 、杉本苑子 、武田百合子 、河野多惠子 、茨木のり子 、石牟礼道子 、森崎和江 、馬場あき子 、田辺聖子 、津村節子 、須賀敦子 、竹西寛子 、新川和江 、向田邦子 、青木 玉 、林 京子 、澤地久枝 、大庭みな子 、有吉佐和子 、黒柳徹子 、吉田知子 、中村メイコ 、佐野洋子

私は女性作家の本をあまり読まないのだが、それはたぶん女性作家の作品には、私好みの「強靭さ」「過剰さ」といったものが、あまり期待できないと感じていたからだろう。私の好みというのは、わかりやすく「マッチョ」だったのである。

しかし、長年、文学に親しんできた者として、このアンソロジーに収録された書き手たちの名前はいろんなところで目にしているし、皆それぞれに一本筋の通った人だという印象があって、女性だからと甘く見たら、きっと痛い目に遭わされるだろうと、そんな認識を持って、一定の距離を保ってきたように思う。

昨年(2021年)暮れ、書店の平台でたまたま本書を見かけ、こうの史代のカバーイラストに惹かれて手に取り、カバー背面に刷られた27人の執筆者名を見て、これは、これまで読んだことのなかった女性作家たちの文章に触れるのに最適な本だと直感して、迷わず購入した。そして、その結果は、期待以上のものであった。

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まず何より、すべての文章が素晴らしい。
普通、アンソロジーというものは、10作収録されていたら、そのうちの2、3作に惹かれれば、まずまず買った値打ちがあったという感じなのだが、本書に収められた27本のエッセイは、本当に、すべて素晴らしいのだ。

一流の人たちの仕事の中から「戦争という稀有の体験」を綴った文章を採ったのだから、どれも素晴らしくて当然だと言われるかもしれないが、アンソロジーを愛好する読者なら、実際のところ、そう理屈どおりにはいかないことの少なくないのを、知っているはずだ。
なぜ、傑作ぞろいであるはずのアンソロジーでありながら、しばしば楽しめた作品が集中のいくつかだけ、などということになりがちなのか。その理由として、読み手自身の「幅の狭さ」ということもあるのではないだろうか。

このアンソロジーだって、若い頃に読んでいたら、きっとここまで感心しなかっただろうし、その凄みを感じ得なかっただろう。
しかし、いつまでも子供のような私でも、それなりに齢を重ねて、世の中のあれやこれやを見聞きし、悲喜こもごもを体験してきたからこそ、それぞれの文章の行間に秘められた「語られざる思い」を、ある程度は読み取れるようになったのではないだろうか。

私はこれまで、男性的な「重厚」な作品の中から、効率的に「濃い中身」を求めてきたけれど、やっと女性作家的な「抑えた筆致の中に秘められた思い」や、その「強さ」というものを、少しは読み取れるようになったのではないか。また、そう感じられてことが、とても嬉しかった。

本書巻末には、編者による次のような、紹介文が添えられている。

『   この本について

『少女たちの戦争』は、一九四一(昭和十六)年十二月八日の太平洋戦争開戦時に、満二十歳未満だった女性によるエッセイを著者の生年順に収録したものです。全二十七名のうち最年長は、一九二二(大正十一)年五月生まれの瀬戸内寂聴さんで当時十九歳、最年少は三八(昭和十三)年六月生まれの佐野洋子さんで三歳です。一九三一年九月に満州事変があり、三七年七月には日中戦争が始まり、四五(昭和二十)年八月十五日まで、十五年間戦争が続きました。彼女たちが物心ついたときにはすでに日本は政治家にありました。
 非常時が日常となった日々のなかで、幼少期・青春期を送った彼女たちは何を思い、どう過ごしたのか。ここに収められた文書は必ずしも戦争をテーマにしたものばかりではありません。むしろ従来の戦争の記憶からはこぼれ落ちてしまいそうな、戦時下の何気ない日常が垣間見えるものを選んでいます。
 少女たちには、少女たちの戦争があり、日常がありました。〈男たちの戦争〉から最も遠く、弱く小さき者の声に耳を傾けていただきたいと思います。

 中央公論新社編集部 』(P221)

このように、編者の意図としては『戦時下の何気ない日常が垣間見えるもの』『少女たちの戦争』『弱く小さき者の声』を伝えたい、ということだったのがわかる。

しかし私は、そんなふうには読まなかった。
私は、本書のそれぞれに、「戦争体験」そのものよりも、「戦争体験を抱きしめて、戦後の日本を生きぬいてきた女たちの、凛とした美しさ」を読み取って感動した。
そこには確かに「男たちの戦争」とはまた違った、戦後における、女たちの「戦争の記憶との戦い」があり、その戦いを生きぬいてきた人間の、静かな強さが、その文体に表れていたのである。

今の私には「持てるものの全てをふりしぼり、なりふり構わずに、時代と戦わなければ負ける」という気持ちがあって、彼女たちのような美しく抑制された文章を書くことはできない。「今は、そんな時ではない」という気持ちが抑えられないのだ。
だが、あと20年くらいやりたい放題をやった後でなら、このように美しく抑制された文章を書けるようになりたいとは思う。それは無論、技術的な問題ではなく、自分のすべき最低限のことはやりきったという余裕の上に立った、静かな文章でありたいのだ。

ともあれ、本書を多くの人に読んでほしい。これを読まないのは、読書人生の損失だ。

本当なら、本書を、中学高校の「国語」の副読本にでもしてほしいところだが、しかし、その年代では、まだこれらの文章を味わうことは難しいだろう。しかしまた、これだけの文章なのだから、その時はわからなくても、心の何処かに生き続けて、その人の人生に少なからぬ影響を与えるのではないかと、そんな気がしないでもない。

ともあれ、ここには間違いなく、誇るべき「日本の、強く優しく美しい心」がある。

(2022年1月21日)

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