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1945年3月10日、3時間の空襲が10万人の命を奪った「東京大空襲」ー覚えておかねばならない、戦争の実態と国の責任
「外交は機能しているのか」との91年前の問い掛けが、今にも通じる情けなさ
戦時下は地下壕改造して住め!でよくても、敗戦後は何とか住宅供給をと考え出された簡易住宅―長野県などから支援
機銃弾だけで1機あたり4000万円!太平洋戦争末期の本土防衛空戦にいくらかかったのか
戦時下、空襲に備えて各家庭に求められた灯火管制。アイデア商品もたくさんあらわれました。(防空)
火薬を作る原料不足で家庭の「綿」にも「動員下令」!何かに取り組んでいれば「戦争やってる感」で不安が紛れたか
「逃げるな、火を消せ」と、盧溝橋事件から間もない1937年8月、長野県全域の初の防空演習が行われていました。
長野市初の防空演習は1932(昭和7)年。本番はその11年後に。
貴重な1942年の防空演習記録ーニューラルネットワークの色付け写真でどうぞ
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静岡県も、アジア太平洋戦争中に静岡大空襲等を経験しました。