歳をとると、自己満と自己中が 加速度的に進行するのが人間だ。 自分自身が大好きすぎて、何かと自慢、何かと批判、何かと皮肉、を書く。 そして出来上がるのが、共感性モンスターという名の拗らせ一般市民。 もしかしたら、僕もそうなる運命なのか? そしたら、嫌いになるな自分。
優しくありたいと思う。 悪口や皮肉を常日頃、SNSや現実でいう人なんかにはなりたくはない。 しかし、そういう人ほど、ぽっかりと大きな悲しみを持っている。だけれども、 人を傷つけるために悲しみを偽造するより優しさを振りまけて悲しみを消去していくのがいい。 これからが大事になるかも?
「noteで山門文治さんの名前を出すことで売名行為をすることをいい感じに皮肉りたいのですが、いいアイデアありませんか?」ってClaudeに訊いたら「山門文治の肩の蛙、大海を知らず」やって
そりゃあまぁ?愚痴や悪口、皮肉を常日頃から現実やSNSで垂れ回したりする人とは関わりたくはない。 それがやめられないほど、自分の不満や不安がタラタラダラダラなのは、僕も身に染みて感じる。じゃあどうするか? それを考えていくのが必要。 損な人生より少しだけ良い人生がいいはずだよね?