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共同マガジン|レオンファミリーの誕生日は2024年5月19日。 参加者は200名以上。 目的は愛を届けること。この一点。 トップの表示の文言やタイトル画面は変更しないでほしい。 変更された場合、予告なくマガジンから追放することがあるから注意。 詳しくはこちらから。 https://note.com/leon0812/n/ne50160a3b856?magazine_key=mfb3685bde725
タダノツカサ
「限られた文字が紡ぎ出す、無限なる物語」 シロクマ文芸部応募作品を含めた、これまで発表している20字小説をまとめています。
父と歩いてきた日々を、忘れないための生きた証。
人生に不安は付き物だ。 天気のように晴れていたのかと思いきや、急な土砂降りに遭遇したり。 群れを成していたはずの鳥が一羽だけ、その場所から取り残されたり。 考えたらまるでキリがない。 そこに正解など存在しないのだ。 色が数え切れないぐらいあるからこそ、 人の考え方、価値観なども多種多様に存在する。 己の人生も、自分のため、あるいは人のため。 それぞれ目的があっていいじゃないか。 肯定があれば否定もある。 けれど、そこで一定のバランスを保つのは難しい。 難
「乗り遅れるな!次代の風は我と共にある」
誰かと比べるために生きていたら いつしか息が詰まってしまうから 自分らしさを誰かで測っていたら 秘めたる思いを曝け出せないから 誰かの敷いた軌道に乗り続けたら 踏み出すのを躊躇ってしまうから ずっと耳を塞いでばかりでいたら 温かな声々が聞こえなくなるから 大人になってずっと怠けていたら 本気の出し方を忘れてしまうから 口より先に己の言葉を発しないと 思いは届かなくなってしまうから ひとつの義務感に追われていたら 余裕ある行動が出来なくなるから 立ち
浜田省吾の通算15枚目のアルバム「SAVE OUR SHIP」の最後に収録されている「日はまた昇る」という曲に出会ったのは、私が小学6年生の時であった。そして今日を迎えるまで、何度もこの曲に支えられてきた事実がある。 初めて聞いた時に頭の中で思い描いたのは、終盤の歌詞にあるように、荒野に独り佇む自分の姿だった。そこに、その場所に人の姿は文字で表す通り、知り合いや友人はおろか家族も誰一人いない。ましてや建物の姿ですら、一軒も見当たらない。 まさに見渡す限り、壮大にして虚空な
過去を背負わなければ、未来には進めない。
先日、マウスのカーソルが動かなくなってしまった。 今回問題があったのは、複数所持しているPCのうち、いわゆるサブとして使用している小型デスクトップタイプのものである。そのスペックはかなり低いものだが、インターネットを単数で閲覧する程度なら問題なく使用は可能だ。 ただあからさまに、複数のアプリケーションを同時に開くなどの負荷をかけてしまうと、画面が硬直状態に陥ってしまう。これまでにも、無茶な使い方をおこなったおかげで突如ブルースクリーンを発するなどと、強制終了せざるを得ない
今更ながら、昨年の今頃は何をしていたか、一旦振り返ってみようと思いついた。 会社の一方的にして理不尽な都合によって実家に戻っていた私は、この頃からすでに毎晩此処でひたすら執筆活動に明け暮れていた。自分の脳裏に焼き付いている過去の出来事をはじめ、自分の好きなあるいは衝撃を受けた音楽など。 そして、自分の置かれている状況下について、胸の内を鋭利の物で裂いて抉り出すように事細かく文章に纏めていた。そこから毎日繰り返していくうちに、現在に至るまで文章を生み出すのみならず、自身の考
昨日に左右されようと、朝は平等に訪れる。
この頃、ソファに引き寄せられる力がエゲツないことになっている。 現在、私の自宅に置いてあるソファは、北海道に本社を置く某インテリア用品店製の、布張りのカウチソファである。今の住居へと、引っ越すタイミングに合わせて購入した物だ。 ただ買うに至るまで、試しに座ってみたり寝心地を確かめることは、一切していない。というよりも、ネットで外観などの画像を閲覧すること以外、そもそも実店舗で試すことができない物なのだ。 なぜかというのも、そのソファは「ネット限定の販売商品」と称されてい
唐突に、レミオロメンの「翼」の歌い出しが思い浮かんだ。 こうして、とりとめのない出だしが思いついた今日まで、どれくらい「旅の終わり」とやらが来ると思い込んでいたことだろうか。少なくとも、学生時代の時まで遡っても指折りで数え切れないほど、悟っていたことかもしれない。 自分はそもそも普通の人とは違う存在だ。 自分は他人に異なる考え方を持っている。 自分は他人とは逆の行動をしてきている。 自分はいずれ誰かに淘汰される身である。 自分はこの世界に居てはならない存在だ。
先日、ようやく内定先が決まった。 およそ3か月に渡っておこなってきた求職活動に、一つの終止符を打つことができた。これより来月から自分にとって、元の日常にして新しい日常を迎えられる。 振り返ればこうした間は、ある種で一つの旅のようなものだったと思う。時にはありのままの自分を表現し、時には感情そのものを押し殺したりと、自分の内に潜んだもう一人の自分と闘っているような感覚であった。 ほぼ毎日のように、自己の履歴書や職務経歴書に目を通しながら添削しつつ、何の効果も期待もない面接
その名を聞いてときめくのは 私だけでいい。
期待した分だけに 痛手の重さは計り知れず。
「今だけは楽しむよ。次は訪れないからね」
歩幅を合わせられるのは 此処しかないから。
思いをしたためても 熱まで伝わらないから。