ネットと文章と皮肉
noteというのは眠い時のNetflixのホーム画面程度には見るものがないが、ふと疑問を感じた。私が今まで徘徊してきたネットの世界で、印象に残る文章があっただろうか。
うろ覚えだが、皮肉は好きだ。人間の知能を垣間見ている気になるから。
まだ読み終えてないが、こんな本がライブラリーにあった。皮肉について考えれば考えるほど、『皮肉ってなんだ……?』と悩んでいたからだろう。
さて、日常生活内で皮肉を意識的に言っているかどうか。『世界は敵だ』などと喧伝する中学生には、全ての褒め言葉が皮肉に聞こえるのだろうか。
……なるほど? 皮肉には断定的な要素があるのだろうか。
……すごくイヤな奴だな。
本には『現実への言及や期待』というワードが並んでいる。私の例を変形させ、同じ状況で男が『どうした? カーテンが閉めっぱなしじゃないか』などと言った場合、途端に詩的というか遠回しな悪口……になるのでニュアンスが違うな。
あ、ちなみに日常を『だろう運転(期待)』で運行するのはオススメしない。当たり前だけど人間への期待は不満とセット商品だからね。
家族の1人に、よくわからない冗談を言う人が居る。
私がお寿司を食べようとして服の袖に醤油がつき、『ひょええ』などと言っていたら『ℍ𝕒𝕡𝕡𝕪 𝔹𝕚𝕣𝕥𝕙𝕕𝕒𝕪‼️』と言われたのだ。外国の文化には詳しくないが、誕生日とは汚れるもの……という定番でもあるのだろうか。当然その日は私の誕生日でもなんでもない。
それとも『生誕→汚れ=原罪』というキリスト教的世界観なのか。
タイの女性が教えてくれたのだが、こんな諺がある。
『私はあなたより先にシャワーを浴びた』
私はこれを知った時、随分現代的な諺だなと思った。あとあんま関係なかったわ。ちなみにタイ人は異様にシャワーが好きで、冬だろうと朝から浴びている。きっと象さんと慣れ親しんでいるからだろう。
私は皮肉よりも、即興で似た例を作る方が得意だと思う。この感覚は詩や創作にも応用されてるだろうし。
精神の治療にも、『患者を治療者が模倣する』という手法があるらしい。私も以前ケンカ中に人にやられた事があるが、虚像の私と会話をするのは新鮮で楽しかった。
皮肉はまぁ、相手を傷つける目的が多いだろうから、あまり積極的には使いたくないかな。でも、理屈を知って有効な場面で使うのは面白そうだ。
う〜ん……
そうだなぁ……
……こんな、感じっすかね……?