おみゅりこ。
純粋に抽出された作品の置き場 キッズスペース完備 無料ウォーターサーバー設置済
日々思うこととしか表現できない。私淑するのはショウペンハウエル
コーヒーの粕で作った絨毯で満たされている
【作業環境】 あいぱっどぷろ11いんち あっぷるぺんしお Adobe Fresco
人間を模倣、データ化。
この半月に――私――の【半分夢】を継ぎ足し 架空なる星団に赤い糸結びつけ 朝朗を巡り待つ 踵を返すその――少女――は教室から漏れ出る吟声に怯え 突っぱねた小石が暗渠に転がる を知る由もなく【家庭】を目指し固く瞼を閉じ 野良犬でさえも生命維持の為啜る――水溜り――に映る【満月】を天心と悟り顎を傾け 最後に雑踏の群衆が――亡き母――の ような不確かな【■■■】が心裏にねばっこく 歌声が 促した その臓物の 容器としての 【筒】 蠕動 底気味が知らせ 回転 流れ星が つぎ
その部屋は体液で満ちていた 『これは一生分のモノを先に出しているのだと今は解釈しています』 主は歪んだ欲望が満たされないまま世を去った ミリヤは【 せい 】に傷を負ったまま 癒す術なく墓前を後にした 十「14歳の誕生日 おめでとうございます」 ボクはあの日 身体の異常に気がついた 館の外には野生動物がいるばかりで 誰にも相談できなかった もし友達ができたら 擦り切れるほど抱きしめたかった そんな衝動を抱えていた 引きずるように 暗い廊下を歩いた 叉勉強はぜんぶ諦
『ケーキくだしゃい‼️』「売り切れとるけん、もう入口横のクッキー(なんか変な紅茶味)しか残ってないよです」 『じゃあソレくだしゃこ‼️』客ADJGPTN「あっ、丁度食べたかった、クッキー」 『気もそぞろなまま立ち尽くしてたら蛍の光が流れ始めちゃった』(誰か車に乗る時落とさんかなぁ……) 自転車客「帰ろうや笑 おいしいコーヒーを淹れて笑」 『そんなぁ』信号機の赤がやたらに永く感じた。多分寂寞とかの空気が扇風機に乗って流れてきた。 『ただいまぁ……(ガチャ』note職
明らかな社交辞令や商売口上を真に受け喜ぶ人がいる一方、私のように中指を立てる者もいる。 だが勿論、完璧に社交辞令を見分ける技術が自身にあるとは思わない。 たとえば営業マンAが上司に『あのような場面では○○と言うのが本当で、優しさだ』と言われ、優しさを与える為に優しさから後日実行したとする。客を喜ばせるのも、会社の利益やイメージ向上に貢献するのも優しさに端を発していたら。 ふーむ……ともかく、私自身が正直になるのがイチバンの近道だと思う。つまり普段の思考・言動・文章に対し
日本ってハイコンテクストの典型じゃないですか。 で、この国の人は『主張が苦手』とよく言われますよね。 反対に海外の大陸のわちゃわちゃから必然、言語による説明が過剰になって論理的な説明が上手になるのは当然かなって(最近日本語ヘタなんよ……) じゃあ日本人は非・言語的な主張が上手なんかな❓ いくら文化の西洋化が進もうと、島国である以上暗黙の了解を前提としたコミュニケーションが自然と板についてしまう。 でも自覚をして潰していかないと、相手への尊重を欠いた押し付けなお喋りに変貌
人が『○○の場合、こうすべき』とルールを追加してくる。もちろん今後意識する所存ではあるが、単純に数が膨大すぎて現実的でない気がする。 私も当然、『それだけの事を逐一意識しながら日常を送り続けるのは不可能では』と意見する。 加えて、相手側にも問う。 そのルール、自身も破っていないだろうかと。べつに水掛け論や不問化を狙っての事ではない。どれだけ意識した上でこちらに指摘してるのか確認したいのだ。 更に加えて、私は問いつつ『誰もルールなんて厳密に守っていない』という事実を知って
そういう種類の詩を好んで書く人には予め中指を立てつつ謝罪するが、どうしても許せないから許してほしい。 誇張はきっと無自覚にされてるのだろう。そして【詩】という形式も助長の種になっている筈だ。創作だから、詩だから、ある意味でのフィクションだからと、どんどんつけ上がる。 【誇張】とは何か 言うまでもなく【ウソ】である ウソの世界は麻薬だ。なんでも許される理想郷。抜け出す覚悟を持たなければ下らぬ陶酔に入り浸る。 ……それとも、世界を誇張された夢で塗りたくるのがあるべき態度な
たとえば『造花』をモチーフにして詩を書くとしよう。 もうこの時点でダメなんですよね🔔『えぇ……』 なぜなら当てはめようと脳が画策してるから。自分と造花の類似点はどこだろうと、脳がチェックリストの新規作成を行う。そんなギチギチで窮屈でフォーマルな考えで書いた詩はダメだ。 自分には『花の要素がある』という思い上がりがまず甚だしいし、この思考を進めると【こじつけ】すら発生しかねない。こじつけとはすなわち嘘である。盲目的な虚言の羅列が始まったら実感の伴わない詩になるぞ。 造花
久しぶりに人と真剣に衝突した。 私は……今どういう感情なんだ。 メカニズム……のようなモノを意識している。 それと同時に欠落を感じる。 人はいつも、いつも私にいじわるなクイズを出してくる。そういう人生のようだ。どう転んでも私が責められる理屈なき世界。その繰り返しの中で培われる諦観と脱力感。 対話中、恐ろしいほどにあっさりと様々を言ってのける自分がある。決してウソはついていないし、真剣であるのは間違いないが、冷たい立て板の後ろから話してるかのような。 真剣な筈なのに
文体や言動や仕草により、当然ある程度は自分を演出できる。意識的に――も可能だし、無意識も大いに作用する。 受け手の様々なアレコレにより好きに解釈されてしまうのも避け難いが。 しかしまぁ、私がいくら『軽薄』だと判断しても、本人たちからすれば ・ユーモア ・取っ付きやすさ ・柔和さ ・敵意のなさ などの演出か、単なる素なのか。 ありがとうございます😁✨↑たったこれだけの文字列でも、どうして軽薄に思えるのか。爽やかにカラッと言ってるつもりなのだろうが。 想像してみよう。
【あとがき】 つまんねぇかつてあった、文章を書くときのドキドキ、火照った脳、明け方まで続いた集中力……どこにいった? 最近は大半のエッセイを無感情か、怒りに任せて書いてるだけ。 のっぺりとした空、色味が減った風景。秋の気配が夏を連れ去ってしまった。 ただ空虚に抗うように、認めたくないかのように文字を重ねる。くすぶる高揚感の僅かな火を消さないように、必死に守っている。 世界とは私にとって、味気なさすぎる。 だからベッドから下りる理由を、たくさん探さなきゃいけない。
たとえばエッセイの中に『秋の夜長に〜』という表現が登場したとする。 むっかつくわぁ〜🔔『なんでだよ……』 いやさぁ、お前ほんとに『秋の夜長感』を肌で感じた上で秋の夜長について語ってんのか? って疑問なんよね。他人が生み出した表現をなんとなくスライドして持ってきただけなんじゃね〜のって。 なんかもう、ダメだ。最近の私はダメだ。全部にむかついてしまう。 他人の表現、常套句や慣用句が全部補助輪に見えるんだ。そんなの表現じゃないもん‼️ バイアスか? 私はありもしない敵意を
よく『自分サイコパスかもしれん』『サイコパスと言われた』と報告する人が居る。その真意は不明だが、普通の範疇からズレた自分像を歓迎しているように見える。確かに『○○では❓』という仮説から思考をスタートさせるのは楽しいけどね。 私も昨日家族から『ぽい』と言われたが、全く嬉しくない。 なぜなら私はあくまで真剣だし、相対する人が以前発言した様々を踏まえつつ慎重に会話してるから。 しかし慎重に行けば『間違えない』というのはウソだ。慎重に踏まえつつ相手を思いやった気になっていても、平
日々noteを眺めているが こいつ、やべぇ……って思ったクリエイターは『たったの一人』でし。 どういうタイプかというと、思い出したかのように難解な詩のような文字列を大量投稿したり、謎の音声ファイルをどかどか投稿したりする人。到底私には真似できない代物ばかりだった。 よく交流させて頂いてるフォロワーはさておき、それ以外に目を向けた場合。まぁ社会的に見れば普通の人が多い印象。なんらかの枠組みの中から発信してるタイプですね。ある程度独自性のあるステレオタイプとでも表現しようか。
おい。 赤とんぼおったぞ。すごいだろ。 今日はじめてジョリーパスタに行ってきた。なんかジョイフルと似ててよく分かんないから遠慮してたのだ。 タッチパネルに番号を打ち込み注文するスタイルだったので、目をつむりながら入力し『これにするけん笑』と冗談をかました。 その瞬間、店内は和やかな笑みで満たされ、生への実感が湧いた。 『おいしいわ笑』 おいしいと思いつつ完食し、壊れたドリンクバーのコーヒーのマシンの光ってる部分がココアと熱湯ぐらいしかなかったので仕方なくココアを選
家族と話をしていた。 『会いたい』を『逢いたい』と書くヤツはムリ……と。 私たち家族は、不自然な人間に違和感を抱いている。多分、不自然な人に嫌な事をされた過去があるからだろう。 だからといって、『逢いたい』と書くだけでバカにしていいのかと疑問だろう。 …… ごめん、ムリほ〜ん……情操教育のカリキュラム、見直してくださいね。 わ、わかるよ……な、なんかさ、『逢』の方が……それっ、それっぽいもんな笑笑う やっぱ並べて比べてんですかね❓ ふにゅ〜? 『会』と『逢』があ