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カサブタとコーヒー☕️

【精神活動に関するイロイロ および雑感】

精神治療の本に『今、ここの私が、過去の出来事を、ちょっとずつ、物語として、認知してゆく』という方法論が書かれていた。

なるほどねぇ、私がカサブタを少し剥がしてお湯で戻す感覚と一致してるな。
当たり前だが、カサブタを一気に剥がしたらショック死するだろう。

『物語として』ってのは、つまり創作だ。
私は秘密をどうしても隠せないタイプで、すぐ漏らしちゃう。でもダイレクトにではなく、第三者への遠回りな開示という形式。
つまり創作なんだなぁ。

昔疑問だったんだ。
ゲームとかの登場人物が、やたら(都合のいい)書き置きとか日記を残していて、手がかりとなる……みたいなヤツ。

『そんな事するぅ❓』と、当時は首をかしげていたが――するね❗️ 今となっては❗️

【自己の不在】という感覚は、健康にも影響を及ぼすと思う。【自己】が無いがゆえに、健康である『必然性』が失われるからだ。
あまり目を向けたくない『自己』も居るだろうが、少しずつ友達になれたらいいね。

根掘り葉掘りしてくる人との相性は最悪だろうな。
『過去』ってのは熟成料理だ。期を待たず口にしたら腹を下す。加えて強烈なハーブも多数使用している。

人間はプラシーボの薬が効いてしまう生き物だ。それが全てをあらわしている。

そんなさ、肩肘張って『解決に向かおう❗️』とかされたらダルいじゃん❓
お茶を飲みながらポツリ、ポツリ……これでいいんだ。

いいじゃないか、謎のまま死んでしまっても。言葉の真意など、生きてようが死んでようが口ナシだ。
あるのは解釈だけだ。

『解釈を諦めない』のが肝心だ。私の心には存分に光が当たっているか?
いーや、世界中のLEDを持ってこい。今スグに。

カサブタを剥がし、コーヒーを飲む。これ以上落ち着く時間があるだろうか?
こんな上等なお菓子、どこにも売ってない。

自然の中に居るだけで満たされる人間を目指せよ。

『ふぅ書いた書いた』の5分後には、またやり始めている。能動受動問わず活字中毒者なのだ。

だからこそ、『つぶやきで軽〜く済ます人』の心理に到達できない。常に言い足りない感覚があるのに、とても。

もし『言い切った』と思っても、また5分後には……

『得なきゃ、吸収しなきゃ』と焦りながらする読書は楽しいかい❓
どこぞのドイツの哲学よろしく、くだらないと感じたら捨てりゃいいのさ。狭量だろうか? よし、金の為にくだらねぇ本を書いた作者を殴りにいこう。

が、『金の為に』が『契機』となり、思わぬ才能を開花させる可能性もあるか。

でもな、本当に『見せたい』って気持ちがあるヤツは、自分が損してでも世に出すんだよ。

創作ってのは心の区切りだ。
しなければ漠然とした重々とした暗幕に未来すら規定されてしまう。

純粋な認識などあり得ない。
だから過去を捻じ曲げて、前を向くんだ。
いや、捻じ曲げる前から捻れている。



【おまけ さっき描いたオバサン】



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