乙川アヤト

社会不適合者。小説、哲学、心理学、脚本術、乙一氏に傾倒。『継続すること』がテーマ。好き…

乙川アヤト

社会不適合者。小説、哲学、心理学、脚本術、乙一氏に傾倒。『継続すること』がテーマ。好きな映画は「ファイト・クラブ」。お気に入り作家は乙一、カズオ・イシグロ、村上春樹。まずはこちらの目次をどうぞ▶https://note.com/otukawa_/n/ncecf2de58b19

マガジン

  • 日常、エッセイ。

    思ったことや、考えたことを、気ままに書いています。

  • 書くことについてのあれこれ。

    なにかを創るということはとても難しいし、苦悩も多い。なので、せめて自分だけはそれを肯定してあげなくてはいけないな、と思います。

  • 短編小説。

    無料のほう。心を込めて書きました。

  • 読んでほしい作品。

    頑張って書きました。

最近の記事

  • 固定された記事

【乙川アヤトの目次】を作成しました。

この記事は…… 2023年、11月現在。 僕のnoteでの活動が、二年目に突入しました。 「一年分? そんなにたくさん、読めっかよ」 「乙川アヤトってひと、得体が知れないのよね」 「それ(記事)ってあなたの感想ですよね?」 「宇宙ってひろい」 「ホラーってこわい」 というご意見もあるかと思いましたので、そういう方に向けて、自分なりにとあるnoterさんをパク……参考にして、僕自身の目次を作ることにしました。 随時更新予定。 ・自分について ・彼女について ・考え

    • そういえば、こんなものをいただきました。しかしこんなに書いている実感は全然なく、むしろ昨日noteアカウント作成した、くらいの気持ちでやらせてもらっていました。みなさまの御愛顧に万歳なのでした。

      • この世は『期間限定』

        祖母と夕焼け 我が家の夕食は、たいてい18時ごろにはじまる。 17時には炊飯器のスイッチが入れられ、電子レンジはひっきりなしに唸り、冷蔵庫は不眠症患者のまぶたみたいに何度も開け閉めされる。 祖母と僕、週末は祖父がデイサービスから帰ってくるので、支度はもっと早い時間になることもある。 食べ終わって、片付けが終わっても、まだ外は明るい。 暮れていく夕陽をみるのは、祖母の毎日の習慣であり、楽しみのひとつだった。 「真っっ赤で、きれいやわあ」 彼女は、心の底から感動した、

        • 僕に名前をくれよ。

          僕はファンじゃない。 CDも買わなければ、ライブにも行かない。 好きなアーティストはたくさんいるけど、SpotifyとかYoutubeとかを何度も何度も聴き返すくらい。 自分の『お気に入りプレイリスト』を管理していると時間を忘れる。 で、その楽曲群を、部屋の片付けのBGMにしたりすることもある。 だからそれじゃファンとは呼べない気がする。 ファンとはもっと、作品を大切にする人がふさわしい。そう思った。 楽曲を聴くときは、高品質ヘッドフォン以外ありえないし、アルバ

        • 固定された記事

        【乙川アヤトの目次】を作成しました。

        • そういえば、こんなものをいただきました。しかしこんなに書いている実感は全然なく、むしろ昨日noteアカウント作成した、くらいの気持ちでやらせてもらっていました。みなさまの御愛顧に万歳なのでした。

        • この世は『期間限定』

        • 僕に名前をくれよ。

        マガジン

        • 日常、エッセイ。
          111本
        • 書くことについてのあれこれ。
          22本
        • 短編小説。
          18本
        • 読んでほしい作品。
          3本

        記事

          大の里、幕内優勝おめでとうございます。この歴史的瞬間に立ちあえて、とても嬉しい。分野は違えど、勇気をいただけました。分野は違えど、モチベが上がりました。分野は違えど、今日はいつもよりたくさん食べました。夕食はトマト鍋をしました。美味しかったです。明日は残り汁でパスタをします。

          大の里、幕内優勝おめでとうございます。この歴史的瞬間に立ちあえて、とても嬉しい。分野は違えど、勇気をいただけました。分野は違えど、モチベが上がりました。分野は違えど、今日はいつもよりたくさん食べました。夕食はトマト鍋をしました。美味しかったです。明日は残り汁でパスタをします。

          石川県在住、28歳、男。大相撲にハマる。

          二階の自室から見える電線に留まったスズメとおしゃべりをしていると、祖母の叫び声が聞こえてきたので「なんだ、時間か」と思って窓を閉めた。 「それいけい! やっつけろい!」 祖母のその叫びは、家中に響きわたっていた。 家中に響き渡って、あまねく柱が軋み、窓という窓が震えていた。 僕は茶の間にはいっていって、腰を下ろした。 そのあいだ、すでにそこにいた祖母は、僕に一瞥もくれなかった。 祖母の視線を釘付けにしていたもの。 それは、男たちの激しい肉のぶつかりあいだった。

          石川県在住、28歳、男。大相撲にハマる。

          いま上げようとしている記事で、書きたいものが増え、内容が膨らんでしまい、空気より軽くなり、大空に舞い上がり、星になってしまったので、捜索対象にすると同時に、創作大賞のエッセイ部門に、せっかくなら打ち上げてみようと思い立り、長い旅に出ることにしたので、次の更新はすこし先になります

          いま上げようとしている記事で、書きたいものが増え、内容が膨らんでしまい、空気より軽くなり、大空に舞い上がり、星になってしまったので、捜索対象にすると同時に、創作大賞のエッセイ部門に、せっかくなら打ち上げてみようと思い立り、長い旅に出ることにしたので、次の更新はすこし先になります

          祖母日記『米』

          最近、孫と一緒に朝ドラを観る日課ができた。 NHKでやっている虎になんとかとかいうドラマで、米がどうとかいう歌手が主題歌をしているらしい。 今朝は孫がその歌の歌詞を覚えたとかで、それがかかると大声で歌いはじめて、非常にやかましかった。 孫はその米がなにがしとかいう者のファンだという。 この人は『ぼかろ』がどうたら、『れもん』がうんたらという話を聞かされたが、なにがなんだかさっぱりわからないので、無視。 そういえばドラマの中の『よねさん』という登場人物が、すごくいいキ

          祖母日記『米』

          いくつになっても、孫は孫。

          93歳になる祖父のことについて書く。 僕が石川の田舎で暮らし始めて二ヶ月。その期間のほとんど、祖父は『デイサービス』という謎の施設に収容されていた。 祖父いわく「わしゃ、働きにいっとるんじゃ」。 ずっと座っているとのことだったので、たぶん手編みのセーターなんかを大量に生産したり、焼きサバ弁当のサバの骨を取り除いたりしているのだろうと想像した。 しかしそれは目や耳や足の具合が良くない祖父にとって、かなり大変な作業になる。 彼は彼なりに日々頑張って、『デイサービス』と向

          いくつになっても、孫は孫。

          田舎でハマったこと。

          以前、田舎には娯楽がないのでは。という旨の記事を上げた。 ↓ その記事を見返すと『アヤトの動く城』や『メカ熊』とかいう、ワケのわからない単語が頻発していた。 しかし僕にはまったく覚えがなかった。 いったいどんな思考回路をすれば、こんなおかしな単語が出てくるのか疑問でしかたなかった。 きっといつも見守ってくれる読者の方々や、一緒に過ごしていたMUちゃんの優しさに甘えていたのだろうと思った。 今後は、先日の『おにやんま君』の記事のように、役に立つ発信をしていこうと志を

          田舎でハマったこと。

          カメムシ対策に『おにやんま君』を連れてきたら。

          三日前、僕の住む田舎は雲一つない晴天だった。 地面からは様々な草花がアスファルトを押しのけて、我先にとさんざめいていた。 ツクシやチューリップ、ヒメオドリコソウといった植物が、空を目指して一心に茎を伸ばしていたし、そのあいだをアシナガバチやモンシロチョウなんかが新社会人みたいにせわしなく飛び交っていた。 僕はそれらに囲まれながら、一冊の本を開いていた。 最近、お気に入りのレイ・ブラッドベリ。書名は『猫のパジャマ』。 ページの照り返しがやけに眩しかった。 やわらかな

          カメムシ対策に『おにやんま君』を連れてきたら。

          『知的さ』とは。

          昨日、はじめてコメントを交わしたNoterさんに『文章の知的さに殺られてしまいまして』というお言葉をいただいた。 とても嬉しかった。 しかし『そんなの普通だし?』というような顔をして、ポケットに手をつっこみ、町内を最低でも5周は練り歩いた。 心も体も羽毛のごとく舞い上がり、電柱のてっぺんで歌っていたイソヒヨドリと目があうほどの跳躍を見せた。 状況が状況ならば、なんらかの賞を授与されてもおかしくない。そんな跳躍だった。 『自他共に認める、知的な文才』 これで、僕もそ

          『知的さ』とは。

          来訪者、カメムシ。

          家の中に他人がいる。 田舎では、そんなことがよくあった。 一人暮らしの長い僕のような人間は、その状況に楽しさや、居心地の悪さや、心地よさや、所在なさなんかをいっぺんに抱いて、なんだか複雑な気分だった。 僕の祖母は、町内でも指折りの顔の広さなのだという。 ちょくちょく近所に夕飯の余りを持って行ったり、知り合いを家に招いたりしていた。 家の前で井戸端会議が始まることなど、しょっちゅうだった。 気づいたら、知らないおっちゃん二人とコタツで談笑、なんてこともあった。 し

          来訪者、カメムシ。

          昔の手紙。

          昔の手紙。

          家族と暮らして、思ったことは。

          人と一緒に暮らすというのは難しい。 それは、血の繋がった家族といえども例外ではなかった。 僕は今、祖父母の暮らす田舎と、両親と弟妹が暮らす金沢とを行き来して生活していた。 一人暮らしとは何もかもが異なる環境。 その二重生活では、その都度いろいろ変化に適応していかなければいけなかった。 わかりやすいところで言えば、眠る時間。 都会にいたころは、働いていた書店の営業時間の関係もあって、特別なことがなければ深夜2時ごろに布団にはいって、午前9時に起きていた。 しかし、

          家族と暮らして、思ったことは。

          おばあちゃんたちが視ているものは。

          僕はいま石川県の田舎に帰って、祖父母の家で生活している。 祖父が93歳で、祖母が87歳だった。 祖父の方は聴覚が仕事をサボったり、認知機能が白昼夢をみはじめたりすることがあるが、歳のことを考えれば二人ともまだまだ元気だった。 彼はしばしば『デイサービス』という謎の機関に連れ去られることがあった。 夕飯時に解放されるときもあれば、半月も帰ってこないときもあった。 おまんじゅうを食べるので忙しいのだと思う。たぶん。 そういうとき僕と祖母は家の片付けをしたり、適当に出か

          おばあちゃんたちが視ているものは。