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清涼院流水 『どろどろの聖書』 : 〈カトリック洗礼〉の力、 清涼院流水の「今」

書評:清涼院流水『どろどろの聖書』(朝日新書)

キリスト教関連の新刊書はこまめにチェックしているのだが、そこに「清涼院流水」の名を見つけて、思わず「おお」と小さく声を上げてしまった。

「清涼院流水」と言えば、あの『コズミック』の、あの「JDCシリーズ」の、あの「流水大説」の、あの「脱格系」の始祖たる、あの「清涼院流水」ではないか!(ここで「脱格系」に反応できた人は、かなりのミステリマニアだ)

だが、まずは本書『どろどろの聖書』について論評しておこう。
本書のカバーに、

『「世界一の経典」は、どろどろの愛憎劇だった。/世界を理解するための教養としての/聖書、超入門

とあるとおり、キリスト教の聖典「聖書」の入門書である。

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「聖書」は、まともに頭から読んでいこうとすると、途轍もなく退屈な書物なので、たいがいの人が途中挫折することでも有名。
もちろん、洗礼を受けたクリスチャンであっても「聖書」を通読していない人、したくても挫折する人が多いのだ。だから、クリスチャン以外で「聖書」を通読した人というのは、「宗教研究者」以外では、かなり珍奇な部類の人間であり、そこに私や、本書の著者・清涼院流水も含まれる。

私の場合は「宗教批判者」としてキリスト教研究のために「聖書」を読んだのだが、清涼院の方は、依頼された「キリシタン大名の時代小説」を書くために、「聖書」に取り組んだのがきっかけだそうである。つまり、キリスト教徒になる以前に「聖書」に取り組み、そこからキリスト教に興味を持って、最終的には昨年(2020年)カトリックの洗礼を受けたのだそうだ。

本書は、そんな「名だたる挫折本」である「聖書」に興味を持ってもらおうと書かれた入門書であり、簡単に言えば「聖書の面白エピソード集」で、さほど際立った特徴のある本ではない。

著者は、「聖書」は「取り澄ました倫理的信仰書」や「教義書」のようなものではなく、ある意味では、現代の常識をはるかに超える「どろどろとした愛憎劇」の描かれた「物語集」としての一面を持つものであると語っており、そうしたエピソードを読みやすくリライトしたものが、本書だと言えるだろう。

言い換えればこれは、すでに「聖書」を通読している人には、当たり前のことしか書かれていない、かなり退屈な本だとも言える。と言うのも、「聖書」が「どろどろの愛憎劇」であるのは無論、特に「聖書」の大半を占める「旧約聖書」の方は「独善的な鬼神を守護神とした、イスラエル民族の毀誉褒貶の物語」とでも呼ぶのが至当だというのは、ユダヤ、キリスト、イスラム教徒以外で「聖書」を読んだ人には、「常識」に類する話でしかないからだ。つまり、「聖書」には「独善的」で「エグい」話が多いのである。

だが、意外なことに、Amazonのカスタマーレビューでは、本書の評判はかなり良くて、私としては「本気なのか?」という感じしかしない。これまで「聖書」を通読できなかったクリスチャンには、それなりに面白いのかもしれないが、実際のところ、何も新しいところのない本なのだから、どうにも「身内の提灯レビュー」なのではないかと、疑わざるを得なかった。

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ともあれ、少なくともキリスト教を知ろうと思えば、その本体たる「聖書」の通読は必須で、その難関を乗り越えるコツは「面白くないことを前提として、頭に入ってこようがこまいが、とにかく毎日数十ページずつ読む進める」ことだ。そうすれば、1ヶ月もあれば読了できる。
そして、その後「聖書学」の本(聖書の内容を分析解説した本)を読めば、「ああ、あの話か」と見当がつくし、「あの話には、そういう含意があったのか」と、だんだんと「聖書」が面白くなってくるからである。

つまり、「聖書」を「小説」のように楽しみながら読もうと考えるのではなく、「聖書」は「(古典的)本格ミステリ」における「問題編」だとでも思えばいい。名探偵による「謎解き」のある最終盤の「解答編」に至るまでは、長々と退屈な物語が展開するが、それを我慢して読んでおけば、最後の「謎解き」で「ああ、そういうことだったのか!」という感動の「ご褒美」が得られる、というわけだ。
したがって、「聖書」に限らず「古典を読むコツ」は、「とにかく読み進めろ」ということに尽きるのである。

 ○ ○ ○

さて、ここからはしばらく、本書『どろどろの聖書』から離れて、著者である清涼院流水について書きたい。
「私の清涼院流水」とでもいった話である。

私が、清涼院流水を知ったのは、そのデビュー作にして、第2回メフィスト賞受賞作『コズミック』(講談社ノベルス・1996年)の刊行によってである。

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当時、すでに、綾辻行人、有栖川有栖、北村薫、山口雅也といった「新本格ミステリ」第1期の作家が出そろっており、それに続いた、京極夏彦、森博嗣もデビューして、「新本格ミステリ」ブームの上り調子が最高潮に達しようとしていた時期である。
清涼院流水の『コズミック』は第2回メフィスト賞受賞作だが、第1回の受賞者が森博嗣(受賞作『すべてがFになる』)であり、その前にデビューしていた京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥の夏』は「メフィスト賞ゼロ回作」などと言われることもあるのだが、これは、持ち込み原稿『姑獲鳥の夏』で京極夏彦という稀有な才能を発掘できたことから、選考委員によるコンペによらない「メフィスト賞」が発案されたからである。

さて、古いミステリファンなら周知の事実なのだが、清涼院流水は、「京都大学ミステリ研究会」出身であり、綾辻行人、法月綸太郎、我孫子武丸、麻耶雄嵩に次いで「講談社ノベルズ」からデビューした、「京ミス第五の男」でもあった。

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だが、それにもかかわらず清涼院流水は、先輩作家たちや後輩作家が「京ミス出身作家」として語られることが多いのに比べると、「京ミス出身作家」の印象が(特に今では)薄い。なぜかと言えば、清涼院流水はデビュー当時すでに「京都大学ミステリ研究会」の「鬼っ子」だったからである。

私も、清涼院の作品は、デビュー作『コズミック』と第2作『ジョーカー』くらいしか読んでいないし、「京都大学ミステリ研究会」員でもないから、その詳しい内情はわからないが、『コズミック』1作読むだけでも、清涼院流水が、綾辻行人や法月綸太郎のような「オーソドックスな本格ミステリマニア」ではないことくらいは、はっきりとわかる。

『コズミック』が、「講談社ノベルス」から刊行されたから、清涼院流水が「京都ミステリ研究会」出身作家だから、当然この作品は「本格ミステリ」だ、と思って読んだ読者の多くは(多分、今も昔も)、そのオチに「なんだよこれ!」と激怒したはずである。なぜなら、「派手な不可能犯罪の謎」で物語を長々とひっぱったあげく、最後に明かされる「真相」は、およそ「本格ミステリ」とは呼び難い「非・論理的」で「ふざけた」なものだったからだ。

つまり、清涼院流水は、「本格ミステリ」の「見かけ(形式)」こそ採用してはいたが、その本質は「大ボラエンタメのキャラクター小説」作家であって、「京ミス」の先輩方からすれば「あいつのは、本格ミステリではない(あんなものを本格ミステリと思われては困る)」というようなものを書く「京都大学ミステリ研究会」出身の異色作家だったのだ。

清涼院は「京都ミステリ研究会」所属の学生時代から、すでに「異彩」を放って「悪目立ち」した「京ミスの鬼っ子」だったのであろう。そんな彼が、あろうことか綾辻行人、法月綸太郎、我孫子武丸、麻耶雄嵩に続く「京ミス第五の男」としてデビューしてしまったのだから、先輩作家たちとの関係も、おのずと微妙なものにならざるを得なかったのである。

『コズミック』の評判は、とにかく悪かった。
「第2回メフィスト賞受賞作」にして「京ミス第五の男」でもあったし、その期待がこの上なく大きかったからこそ、売れもしたのだが、とにかく叩かれた。少なくとも、私と同世代以上のミステリマニアは『コズミック』を「ゴミ」扱いにしていたし、それをしない者は「本格ミステリ」あるいは「ミステリ」がわかっていない奴だと見做されそうな「空気」さえ漂っていた。

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(2020年刊、施川 ユウキ『バーナード嬢曰く。』第5巻より)

私もまた、基本的には、そうした『コズミック』評に同意していたけれども、ただ、この「袋叩き」的な雰囲気には、むしろ批判的に反発した。いかにも「マニア」らしい、「村」の感性が大嫌いだったからだ。

だから、当時の私は、『コズミック』を「ミステリ」としても「小説」としてもまったく認めない立場を表明しつつも、清涼院流水批判には与せず、むしろそれに疑義を呈し、「清涼院流水批判」を批判するものを書いていた。

そんな、当時の「空気」を象徴するエピソードとして、私が、その後も何度となく紹介したのは、当時、人気の絶頂にあった山口雅也が、たしか「鮎川哲也賞の受賞パーティー」の席で、刊行後間もなかった『コズミック』を、わざわざ「晒しもの」にしたことだった。

若干、前後関係の記憶は曖昧だが、私はその時すでに、関ミス連大会で直接、清涼院流水の講演も聞いていたはずで、その時の印象が、かなり悪かった。要は「なんだ、この自信過剰野郎は」という感じだったのだが、それでも山口雅也の「陰口」は、いやらしいと思った。なぜなら、こういうことをする手合いにかぎって、物書きであっても、活字で真正面から否定評価を語ったりはしないからだ。

ともあれ、そのパーティーの席で、乞われた山口雅也が「挨拶」のために登壇し、どういう流れで『コズミック』の話を持ち出したのかの記憶はない。ただ、山口は「最近、清涼院流水という作家のデビュー作『コズミック』というのが刊行されたんですが、これがトンデモない作品なので、ぜひ皆さんにも一読をオススメしたい」という趣旨のことを、明らかに嘲笑的な笑みを浮かべながら語ったのである。

当然、こうした「公然たる陰口」は活字にはならず、記録には残りにくいものだから、それを直接目にした私は、いわば義憤にかられ「私が書いておかないと、無かったことにされる」と思い、言わば「新本格ミステリ裏面史」のエピソードとして書き残してきたのだ。
(※  なお、本稿初稿と同様に、私はこのエピソードについて、度々「江戸川乱歩賞」のパーティーでのことと、記憶違いの思い込みにより、誤って記してきたと思いますので、この機会にお詫びいたします。)

ともあれ、山口雅也がこのような「おとな気ない」ことをしたのは、山口が人気絶頂にあったということも無論あろうが、もう一つは清涼院流水の先輩たちも、陰では清涼院をこき下ろし、そうした話を山口とも交わしていたからであろうというのは、容易に想像推認できることだ。山口と同様に人気絶頂だった「京都大学ミステリ研究会」出身の「新本格ミステリ」作家たちが、清涼院流水を擁護していたなら、さすがに山口も、あのように公然と笑いものにすることはできなかったはずだからである。つまり、山口としては、その段階ですでに、『コズミック』は安心して「晒しものにし、笑いものにして良い作品」だったのである。

このように、私にとっての「清涼院流水」とは、当時すでに「作家」としての価値ではなく、その「特異な否定的存在性」が、何を意味するのかを考えるための存在、となっていた。

だから、たぶんこれは、それから10年以上も後の話だと記憶するが、私は、ある「清涼院流水の先輩にあたる、京ミス出身作家」に次のような質問をしたことがある。

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「こないだ、清涼院流水への太田克史(当時『ファウスト』誌編集者)のインタビューを読んだんですが、そこで清涼院さんがいつものように、いずれ書かれる流水大説がどうとかこうとか、例によって誇大妄想みたいなことを言ってて、また太田の方も、それをすごいすごいと太鼓持ちのように持ち上げていたんです。それにしても、あれは本気で言っているんですかね。もしかしたら、宣伝のために、わざと大仰なことを言ってるんじゃないかと疑ってしまいました。清涼院さんって、本当に日頃から、あんな人なんですか?」

これに対する、先輩作家氏の回答は、実に素っ気なく「そうですよ」といったようなものであった。

つまり、清涼院流水という「人」の「トンデモ」ぶりは、自覚的な自己演出としての「演技」などではなく、「天然」であることが確認できたのである。
そして、清涼院が「京ミスの先輩たちから、どのように見られていたか」も、間接的にではあれ、おおよそ裏付けられたのだった。

 ○ ○ ○

さて、そんなわけで、私の中で「清涼院流水」という「人」は「天然のトンデモ」である、と評価が定まっていた。だから、今回、清涼院が「カトリックの洗礼」を受けてクリスチャンとなり、本書『どろどろの聖書』を刊行したことについても、その主たる興味は「デビュー後20年以上が経過し、カトリックの洗礼を受けた清涼院流水」が、はたして「人として、変わったのか、昔のままなのか?」というところにあった。そして、本書を読んでみて明らかになったその答えは、一一「変わっていない」ということであった。

今回、この原稿を書くために、昔の同人誌を、本の山からの中から掘り起こしていたところ、幸いにも目的のそれを発見することができた。『別冊シャレード37号 清涼院流水特集』(神影会・山下博、1998年8月15日刊行)である。

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私は、この同人誌に2本の原稿を寄せている。
(1)「二枚のカード」と、(2)「宿命的絶対性に抗する道」の、2本だ。

(1)は、もともとは「別冊シャレード」の『京極夏彦特集』用に書いたもので、京極夏彦と清涼院流水という、その「業界的評価が好対照な二人」の「共通点と違い」、そして「その意味」を論じたものだ。
一方(2)の方は、(1)の議論を受けて「私たちは、不出来な子供を継子扱いにして排除するだけではなく、その出生の意味を考えるべきだ」とするものであった。

面白いことには、この『別冊シャレード37号 清涼院流水特集』には、清涼院流水を肯定的かつ好意的に評価する文章も寄せられていた。たぶん、そうした論文の著者は、私よりも年下で、無理なく清涼院の個性を受け入れることのできた「新世代」だったのであろう。

実際、清涼院流水は「年長のミステリマニア」の大半からは毛嫌いされたけれど、若い世代からは支持された。

清涼院流水のデビュー作『コズミック』に始まる一連の「JDC(Japan Detectives Club/日本探偵倶楽部)」シリーズ(超能力を持つ探偵たちが、事件の謎に挑む、という作品。要は『文豪ストレイドッグス』の祖型)は、多くの才能ある新人作家たちに影響を与えたのだが、そうした作家として、西尾維新、舞城王太郎、佐藤友哉といった人たちが陸続とデビューし、その才能はミステリ界に止まらず、純文学の世界にまで進出したのである。

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だから、清涼院流水へのオマージュを惜しまないこうした若手作家たちが世間の注目を広く集め、人気作家になった頃には、少なくとも「ミステリ作家業界」内では、公然と清涼院流水を否定するような発言は見られなくなっていた。「もう、彼は関係ない世界の人だ」という感じになっていたのである。

そして当時「新本格ミステリ界の理論的支柱」をつとめていた笠井潔も、当初は清涼院流水を(竹本健治の悪影響によって生まれた)「出来損ない」扱いにしていたものの、徐々に「西尾維新、舞城王太郎、佐藤友哉らの先駆者」として、その意義を認めるスタンスへとシフトしていった。その時に使われた言葉が、最初に紹介した(今はまったくの死語となった)「脱格系」という言葉である。
(なお、清涼院流水は、後の作品『ぶらんでぃっしゅ?』で「笠丼さん」を登場させて、笠井を揶揄している)。

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ともあれ、毀誉褒貶の激しかった清涼院流水だったが、彼を支持した西尾維新、舞城王太郎、佐藤友哉らの若手有力派作家たちが、徐々に「ミステリ界」から去っていくと、清涼院流水も「ミステリ作家」というよりは、「ノンジャンルのオンリーワン作家」という感じになっていった。つまり、「ジャンル分類」のしにくい、まさに「流水小説」とでも呼ぶしかない、個性的な小説を書く作家として、独自の位置を占めるようになったのだ。

しかし、肩書きとしての「ジャンル」を持たない作家は、たいがいは損をする。単純に「商品として売りにくい」からだ。
一見のお客さんにも、どういう商品なのかを説明するのに「ジャンル」ほど分かりやすいものはないのだが、こうした「ノンジャンルのオンリーワン作家」というのは、その特徴を説明するのが極めて困難であるため、どうしても「売りにくい」。その結果として、新規の読者を開拓できず、愛読者数がジリ貧になってしまうのである。

そして、一時は(前記の編集者・太田克史などから)「カリスマ作家」的な位置さえ与えられていた清涼院流水も、やがて小説を発表しなくなり、いずれ書かれる「(小説を超えた)大説」実現の可能性も、完全に潰えたと見えた。

ところが、そんな「消えた作家」に等しかった清涼院流水が、なんと長編時代小説を刊行した。
『純忠 日本で最初にキリシタン大名になった男』(WAVE出版・2018年1月刊)である。

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私としては「あの清涼院流水でさえ、商品として無難な時代小説に、作家的延命を賭けたか」という印象しかなかった。
その時だったと思うが、清涼院流水の名前を見なくなって以降のことを知ろうとWikipediaを確認したところ、『小説仕立てのビジネス書』を書いたり、『2009年に創設したTOEIC学習サークル「社会人英語部」の勉強会は、2013年8月の一般公開以降、全国から多くのTOEIC学習者を集める人気イベントとなった。』りしていたことがわかった。

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これを知って私は「ああ、そっちに行っていたのか。そりゃあ、売れない小説を書き続けるよりは、もともと京大に行くほどの人だから、そっちの方がうまく行ったのかもしれないな」と思ったものである。

ところが、前記の時代小説『純忠』刊行の直後、清涼院流水は、同じくキリスト教関係の時代小説『ルイス・フロイス戦国記 ジャパゥン』(幻冬舎・2018年1月刊)を刊行する。

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私はこれを見て「清涼院流水は、クリスチャンだったのか? だから、歳をとって、信仰に回帰して、このような小説を書くようになったのだろうか?」と、漠然と考えるようになっていた(ちなみに、この2冊は「歴史大説」とされている)。

一一そして、その2年後に刊行されたのが、本書『どろどろの聖書』だったのである。

 ○ ○ ○

清涼院流水の「キリスト教関連の時代小説」を読む気にはならなかったが、本書『どろどろの聖書』はすぐに手に取った。
もともと「入門書」を謳った薄い新書だから、キリスト教書としての中身はまったく期待しておらず、もっぱら「あの清涼院流水」が「どんなクリスチャンなのか」を知りたかったのだが、私は本書で初めて、清涼院が昨年(2020年)に「カトリックの洗礼」を受けたばかりだという事実と、それに至る(キリシタン大名を扱った小説の執筆依頼を受け、その必要性から聖書に取り組み、聖書に魅入られた結果、カトリックの洗礼を受けたという)経緯を知ることになった。

そして、本書を一読した結果、清涼院は「本質的には、何も変わっていない」という結論に至った。
要は、清涼院の「興味の対象への関わり方」は、いかにも「表層的」であって、それを通して自己の「実存」と向き合う体のものではなかったし、その点で、かつての「本格ミステリ」への態度と「キリスト教信仰」に対する態度に、何の変わりもなかったのである、

清涼院は本書の中で「私は、もともとは神主の家に生まれたので、神道の神に対する信仰的な感情は持っていた。だから、キリスト教を信仰するようになるとは思ってもおらず、『純忠』の仕事も、当初は仕事の一つだったのだが、必要に迫られて聖書を読むなかで、聖書に魅入られていった。そして、聖書への興味から入ったために、当初はプロテスタント寄りだったのだが、取材のためにヨーロッパの教会を見て回る中で、徐々にカトリックの信仰に惹かれてゆき、昨年、カトリックの洗礼を受けることになった」という趣旨のことを述べている。

本書にも紹介されているとおり、キリスト教においては「聖書」は特別な位置を占めている。これは、当たり前のようで、当たり前に知られていることではない。
と言うのも、プロテスタントが基本的には「聖書のみ」であり「聖書に書かれた、イエス・キリストの教えと生き方に従う」ものであるのに対し、カトリックは「聖書と聖伝」の2つを掲げているからだ。そして、この「聖伝」とは「(カトリック)教会の伝統(伝承・慣習・教会神学など)」のことである。

かつて「ボルジア家」などの権力と結びついた「教会」が、どうしようもなく堕落腐敗した結果として生まれてきた「プロテスタント(抵抗者)」が、「(カトリック)教会」の問題点だと見たのが、この「聖伝」という「後付けの自己正当化論」だった。だから、プロテスタントは「原典に帰れ」ということで「聖書のみ」を唱えた。

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(「95か条の論題」をヴィンテンベルクの城教会の門扉に貼るマルティン・ルター)

一方、プロテスタントである、ルターやカルヴァンなどを「破門」した後の「カトリック教会」は、「綱紀粛正」のための「反宗教改革」運動を推し進めはしたが、決して「聖伝」を否定することはしなかった。否定するわけにはいかなかったのだ。
と言うのも「(カトリック)教会こそが、唯一正統に神の教えを伝える存在であり、この教会なくしてキリスト教信仰はない。教会に帰属せずして、救いはない。教会の洗礼を受けない者は、それが世俗的にはいかなる善人であったとしても、最後の審判で地獄に行くしかないのだ」等と教えて、その「絶対権威」を「正統なる神の代理人である、ローマ教皇(法王)」に置いていたからである。

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(伝統主義者で神学者としても名高かった、前法王ベネディクト16世

つまり「キリスト教信仰」において「カトリックとプロテスタントの違い」を考える際のポイントは、その「権威に対するスタンス」の違いだということになるだろう(カトリックの信仰は「神-教会-信徒(の帰属主義)」であるが、プロテスタントは「神-信徒(の個人主義)」という関係になる)。言い換えれば、カトリックとプロテスタントの「どちらの洗礼を受けるべきか?」と考えた場合に、この論点は、絶対に外せないものなのである。

無論、多くの「クリスチャン候補者」たちは、ここまで考えて、どちらかを選んだわけではない。
なにしろ、洗礼を受ける(受洗する)前に「聖書」を通読した者など、少数例外でしかない「レベル」の話だからだ。つまり「たまたまカトリック系の(あるいは、プロテスタント系の)学校へ行った」とか「たまたま読んだ本が、カトリック系の(あるいは、プロテスタント系の)本だった」とか「悩んだ時に、たまたま近くにあったのが、カトリック系の(あるいは、プロテスタント系の)教会だった」といったことに過ぎないからである。
そして、多くの信者たちは、「洗礼」を受けた後に、「自派の正当性を補強する、一面的な知識のみ」を増やして「自己正当化」をするのだ。

だが、清涼院流水の場合は、そうではない。
彼は、もともとは「神道」に強いシンパシーを持っていた人であり、「聖書」を読んだのも「仕事上の必要性から」であり、「聖書」に魅せられたのも、「知的な興味」からに過ぎない。だから彼は、本書の中で「カトリックとプロテスタントを含め、いろんな版の聖書を、英語と日本語で、何度も精読した」と自慢げに書いている。
もちろん清涼院は、信徒でさえ、まともに「聖書の通読」をしていないことくらいは知っているし、ましてや「いろんな版の聖書を、英語と日本語で、何度も精読した」ような者は、神父や牧師を含めても、日本に50人といないことを知っていて、そう書いたのである。

つまり、清涼院流水にとっての「聖書」とは、もともとその「知性を保証するための権威(的なブランド書物)」であって、「人生の指針」や「哲学」を求めたものではなかったのである。

だから、彼も当初は「聖書学」を領導した「プロテスタント」に惹かれたのだが、結局は「荘厳華麗な教会(建物)と儀式と、世界的な組織」を持つ「カトリック」の「権威」に惹かれたのであろう。
「清貧」的傾向の強いプロテスタントより、「見た目」が立派で「権威保証」のあるカトリックの方が、何事においても「大仰な派手好み」で自己顕示欲の強い彼の「個性」に合致していたからだ。

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なぜ、本書において著者の清涼院流水は、聖書の中の「どろどろのエピソード」に注目したのか。なぜ『聖書、超入門』などと殊更に「超」がつくのかと言えば、それが「ハッタリ」めいた「大仰な派手好み」である清涼院流水という人も「本質的な個性」であり、「カトリックの洗礼」ごときでは変わりようもない「原罪」だったからである。

この先、清涼院流水が、どのように変わっていくのか、いかないのか。私はそれに興味があるから、5年おきくらいには、その著作を読んでもいいと思っている。
しかし、清涼院流水という人が持つ「本質的な非論理性と派手好み」が、容易に変わるようなものでないのは明らかだ。
であるなら、せめて期待できるのは、そうした、好ましいとは言い難い「個性」が、うまく「善用」へと向くよう「神の導き」のあらんこと、だということになろう。

そうした意味で、清涼院流水は「今後の成長を試されている」とも言えるし、カトリック信仰の方も「清涼院流水を変えられるかどうか、その実力を試されている」とも言えるだろう。
果たして、最後に勝ち残るのは「カトリックの信仰の力」なのか、はたまた「清涼院流水の個性」なのか。

これは、なかなかの見ものであり、好勝負が期待できるのではないだろうか。

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【補記】

前記のとおり、『別冊シャレード37号 清涼院流水特集』を発掘することができたので、近いうちに、同誌掲載の2本の論文、二枚のカード宿命的絶対性に抗する道を、近々noteに転載したいと思う。
20数年ぶりに読み返してみたが、我ながら、良くも悪くも「変わってないな」という感じで、その意味では、清涼院流水と同じく「三つ子の魂百まで」ということなのであろう。

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(2021年11月20日)

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【お詫びと訂正】(2021年11月21日)

当記事本文中にも書きましたとおり、当記事の初稿において、山口雅也が『コズミック』を晒しものにした場所を「江戸川乱歩賞の授賞式パーティー」と記しましたが、正しくは「鮎川哲也賞の贈呈式パーティー」の席のことでした。
お詫びして訂正させていただきます。

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