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C・リンドホルム 『カリスマ』 : 〈カリスマ〉とは 何か?

書評:C・リンドホルム『カリスマ』(ちくま学芸文庫)

「カリスマ」という謎めいた「力」の存在は、それ自体が魅惑的である。

人々を強力に魅了し、惹きつける力を「カリスマ」と呼ぶわけだが、「カリスマを持つ人」を個別具体的に見ていくと、その多様性において、「カリスマ」というものが、きわめて輪郭の曖昧な、合理的には捉えがたい「魔力」のように見えてくる。
と言うのも、「カリスマ」というものは、必ずしも「容姿の(美的)優越性」「知的有能性」「優れたコミュニケーション能力」といった、分かりやすい「美質」には還元できないものを、多く抱えているからだ。

例えば「一見して冴えない小男で、話しぶりも特に闊達雄弁というわけでもなければ、特別に知的なものも感じさせない、むしろ朴訥なものである」ような人が、時に、その周囲に多数の人々を引き寄せ、彼らからの絶対的な信頼を勝ち得てしまうといった事例がある。

「なぜ、こんな、特にどうってことのなさそうな人が、こんなに多くの人を惹きつけるのだろう?」

私たちは、しばしばそんな疑問に捉われるわけだが、ともあれ、わかりやすいものか否かを超えて「多くの人を惹きつける属性」のことを、私たちは「カリスマ」と呼び、むしろ、その総体的な捉えがたさ、理解困難性のゆえに、特別な魅力を感じる。一一それが、「カリスマという謎」の魅力なのであろう。

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本書は、そんな「捉えがたい力」としての「カリスマ」について、まず先行研究を歴史的かつ包括的に検討し、その上で、印象的な「実例」の分析を行うことで、多面的かつ総体的に迫ろうとした、先駆的著作である。

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本書は、4部構成となっており、第I部(第1章)は「序説」で、最後の第IV部(第12章)は「結論」だから、本書の本体は、第II部(第2章〜第7章)の「理論編」と、第III部(第8章〜第11章)の「実例編」ということになろう。
先に紹介したとおりで、「カリスマ」研究を、歴史的かつ包括的にとらえようとしたのが第II部で、印象的な「実例」の分析が第III部となっている。

まずは、「第II部」の目次を紹介しよう。
これで、本書が、どのようにして、どのような範囲で「カリスマ」を学的に検討したかが、大筋で理解できよう。

第2章「あるがままの人間」一一情念の社会理論
    理性に対する情念の勝利一一デイヴィッド・ヒューム
     情念と目的論一一功利主義者たち
    超人の哲学一一ミルとニーチェ
     金髪の野獣と合理的計算家

第3章 非合理的なものの社会学
    一一マックス・ウェーバーとエミール・デュルケム
    マックス・ウェーバーと発作性のカリスマ
     エミール・デュルケムと集合的カリスマ
     非合理的魅力のモデル

第4章 催眠と群集心理学一一メスマー、ル・ボン、タルド
    自己意識するカリスマ
    群集心理学
   「自己統御の夢」
    群衆心理学における退行と愛情
    大衆社会一一群衆の時代

第5章 エディプスとナルシス
    一一フロイトの群衆心理学
     フロイトの人間性モデル
     フロイトの群集心理学一一自己卑下としての愛情
     ナルシシズム的魅力一一合一化と愛情

第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か
     精神の病とカリスマ的指導者
     退行せる信奉者
     社会学的視点一一カリスマの合理性

第7章 カリスマの総合理論
    「思想改造」
    トランスとカリスマ的な関わりの生理学的理論
    現代と「他者志向性」
    「ナルシシズムの文化」
    現代からの闘争
    要約

見てのとおり、「カリスマ」は、「社会的要請によって生み出されるもの(多数者が求めたもの)」という側面と、「個人の内面的属性から表れる非常の魅力(他者に与えるもの)」という両面を持ち、それぞれの観点からの先行研究が参照され、それが著者によって総合される。

私たちはしばしば「カリスマ」というものを、このどちらかの見方に偏ったかたちで考えがちだが、著者の幅広い目配りは、そうした偏りを是正してくれるものとして、たいへんありがたい。

次に、「第III部」の「実例編」である。
ここで扱われるのは、「ヒトラーとナチ党」「チャールズ・マンソンとそのファミリー」「ジム・ジョーンズと人民人民寺院」という、衝撃的な悲劇を生んだ、あまりにも有名な3つの事例であり、この3人の「カリスマ」たちの軌跡を追った後、「カリスマ」の原型的形態としての「シャーマン」が検討に付される、という構成になっている。

第8章「取り憑かれた従者」一一アドルフ・ヒトラーとナチ党
    ドイツにおけるカリスマ的環境
    ナチ以前のカリスマ集団
    ヒトラーの権力への登場
    熱狂のテクニック
    ヒトラーの性格
    制度化されたカオス一一非合理的なものの支配
    「新人類」の形成

第9章「愛こそわが裁き」
   一一チャールズ・マンソンとそのファミリー
    アメリカにおけるカルト的環境
    「生まれながらのアウト・ロー」一一チャールズ・マンソン
    ファミリーの形成一一教化とイデオロギー
    脱プログラム化された人間一一カリスマとしてのマンソン
    下降する循環

第10章「あなたが知る唯一の神」一一ジム・ジョーンズと人民寺院
    「いつでも独り」一一ジム・ジョーンズ
    「ジム・ラヴズ・ユー」一一人民寺院の生活
    「霊的エネルギー」一一ジム・ジョーンズのカリスマ的魅力
    革命的自殺

第11章「聖なるものの技術者」一一シャーマンと社会
    シャーマンと現代のカリスマ
    !クング族
    病理と構造

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私個人は、「カリスマ」という漠然としたものについて、その見方・考え方を幅広く紹介してくれた「第II部」が面白かった。
その点、「第III部」は、あまりにも有名な事件を扱っているため、新味には欠けたのだが、しかし、この3つの有名な事件の、基本的な情報を確認することができて、勉強にはなったと言えるし、「読み物」としてなら、こちらの「実例編」の方が「面白い」のかもしれない。

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(上:チャールズ・マンソン、下:ジム・ジョーンズ

ともあれ、このように、「カリスマ」を広範な検討に付した研究を読んだ後では、安易に「カリスマとは何か」などと要約的に語ることはできない。

しかしながら、私たちが、書籍やテレビ、新聞、ネットニュース、あるいは映画などの中で接する「カリスマ」だけではなく、職場で、あるいはご近所において接する機会のある「プチ・カリスマ」を考える場合にこそ、本書は力を発揮するのかもしれない。

つまり「あいつは、仕事も大してできないし、特にこれといった魅力も能力もないのに、どうして、あんなにもうまく、立ち回っていけるのだろう」とか「どうして、あの冴えないおばさんが、みんなから信頼される人気者なのだろう」といった疑問を抱いた時、私たちは普通、「カリスマ」などという大仰なことは考慮しないけれども、しかし、そこで働いているものこそが、リアルな「カリスマ」かもしれないのだ。

例えば「この人は、この非凡性・優越性としての魅力において、人々を惹きつけているのだ」「この人は、現在の社会の無意識的な要請に応える、その属性において、人々を惹きつけているのだ」という具合である。

そして、前者の場合は、その「カリスマ」が類型化されて対象化されているので比較的わかりやすいと言えるだろうが、後者の場合は、私たち自身が「現在の社会の無意識的な要請」の中にいるからこそ、その「時事的カリスマ」が、見えやすいかもしれないし、逆に見えにくくなるかもしれない。

また、「カリスマ」は、「同時代の社会全体」に働くものもあれば、「一時期」「一部地域」「一部属性の持ち主」などにだけ働くものもある。当然、この「一部」に属さない者には、その「カリスマ」が見えにくくなるのだが、その「カリスマ」そのものが見えなくても、その「カリスマに魅せられている人たち」の「属性」を分析することで、その「カリスマ」を浮かび上がらせることができるかもしれない。

ともあれ、「カリスマ」を「神秘的な、人を魅了する力」などと漠然と捉えるに止めることなく、多面的な検討を付すためのヒントを数多く与えてくれるという点において、本書は、一種の知的「悪魔祓いの書」と言えるのかもしれない。

(2022年4月14日)

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