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萩尾望都への〈依存と自立〉 : 小谷真理、 ヤマザキマリ、 中条省平、 夢枕獏 『別冊NHK100分de名著 時をつむぐ旅人 萩尾望都』

書評:小谷真理、ヤマザキマリ、中条省平、夢枕獏『別冊NHK100分de名著 時をつむぐ旅人 萩尾望都』(NHK出版)

4人の論者が、程度の差こそあれ「異口同音」に語っているのは、「自立」の問題である。

萩尾望都という作家が、「親の愛」を求めながらも、最後は「ひとり行く」覚悟を選んだ人だという事実を、代表作の中からそれぞれに読み取りつつ「だから読者も、萩尾が身を切り血を滴らせながら描いた作品から、その切実な生に関わる重い問いを、それぞれに引く受けてほしい」と、4人(のうち、少なくとも3人)はそう語っているのだ。

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(1)『 醜さのなかに美を見出すのは、とてもエネルギーの要ることで、だからみんな短絡的でわかりやすく美しいとされるもののほうに行く。けれどもそれがほんとうに美しいのか、もしかするとそうではないのではないか、と見抜くためには、これも相当な想像力を稼働させなければいけない。結局人々は怠惰だから、その想像力を稼働させるのが面倒で、周囲の大多数が「きれいだ」と評価するものを、単純にきれいだと思いたい。
 『半神』もそうですが、女の子は内部のクオリティがどんなに優れていても、かたちが悪かったら、評価されない。頭がいいことより、可愛いほうが世間にとっては優先順位が上。そこには太刀打ちできない。頭が少々おバカでも、きれいなほうがいいという、女性に対する一般的な世間の見方が表れています。』(P70〜71、ヤマザキマリ

(2)『萩尾作品には、人間はいかに生きるべきかという根本的な問いかけがあります。つまりはそうした倫理的な側面をもっているんですね。たとえば『ポーの一族』という作品のもつ普遍的なメッセージは、主人公のエドガーが体現した「人は最終的に孤独を引き受けて、ひとりで生きるほかない」という、ゆるぎない倫理性です。それに対して『バルバラ異界』の場合は、孤独を引き受けて生きようとする人間と、みんながつながり合って、ひとつになって生きようというもうひとつの欲望とが対比されています。』(P98、中条省平

(3)『自分がいまいる現実の世界と似ているけれど、ちょっとだけ可能性が異なる世界。少しでも人間が解放されるとか、少しでも正しい行動ができるようになるとか、少しでも美しいものに近づけるとか。そんなパラレルワールドを作り出すことが、マンガにせよ小説にせよ映画にせよ、その究極の目的なのではないでしょうか。
 したがって、たんなるSFの意匠としてではなく、むしろ人間の想像力の普遍的なあり方自体がパラレルワールドを夢想するものだと考えれば、萩尾望都の描く『ポーの一族』の世界も、『バルバラ異界』の世界も、それ自体がわれわれの現実に対するパラレルワールドです。そのパラレルワールドによって、むしろ現実が相対化される。
 それはキリヤや青羽が作った架空のバルバラのように、精神の逃避場所にすぎないかもしれません。でも彼らの場合がそうであったように、そこにも危険は襲ってきます。そうなると現実からの逃避場所であったものが、今度は冒険の場になっていく。ただぬくぬくとそこに安住しているだけでは物語ははじまらず、そこで終わってしまうわけですから、パラレルワールドとは冒険の場でもある。そのことがとても重要だと思います。
 その世界でわれわれが少しだけ解放されたり、慰められたり、「現実の自分はちっぽけでどうしようもない人間だけれども、エドガーやキリヤみたいに、孤独を引き受けていく生きていこう」と思う勇気を、少し与えてもらうだけでもいい。』(P113〜114 、前同)

(4)『 萩尾さんの描いてきた作品には、自分はここにはいられない存在なのだというモチーフが繰り返し登場します。特に、家族の中での異分子であるという意識を常に纏っているように感じます。先にすこしふれた『ポーチで少女が小犬と』という初期の作品では、幼い少女がいつも空や窓や花のつぼみのことを眺めたり考えたりして楽しんでいるのですが、それを異端視する家族によって抹殺されてしまいます。
 萩尾さんも特殊な才能をもって生まれてきてしまった人なので、エドガーとシンクロするような気がします。マンガを描くことで、ほかの人々が暮らす社会から別の社会へと旅に出たのだという覚悟が、「ひとりではさびしすぎる」というシーンに現れていると思います。
 そのときから萩尾さんはひとりで旅をしていて、そして今も旅の途上なのではないでしょうか。』(P135、夢枕獏

以上の3人によって語られているのは「萩尾望都がそうであるように、『ここではない、どこかへ』(P2)と赴くのは、悪くないことだ。だがそれは、多数派たりうるユートピアとしての「安住の地」を目指すことではなく、むしろ孤独な終わりなき旅路であることを覚悟しなければならない」ということである。

(5)『 では、女性に貼りつけられた被害者を責める価値観から、どうやって逃れたらいいのでしょうか。それが、トーマがユーリに示してくれた、許す神の世界なのだと思います。SFでいうならば、その世界の後ろに隠されていた、もうひとつの世界です。そしてユーリはトーマとともに生きることを決めて、罰する神に縛られた世界から、許す神が迎えてくれる世界へと移行していくのです。』(P40、小谷真理

(6)『 厳格な宗教的抑圧からの解放を象徴するルネッサンスのイメージは、まさにサイフリートらの奔放な性愛の解放と重なるものです。これがある種女性への暴力的な抑圧を含む男性らの性愛を示していた一方、それを象徴する書物の中に、密かに挟まれたトーマの詩は、ルネッサンスの可能性が、女性のそれにも、密かに開いていたことを示しているようでした。イタリアのあかるい陽光のもとで色彩豊かに描かれたルネッサンス絵画のイメージを伴って、抑圧されてきた女性たちの解放、「死んでいるも同然」の魂の復活への期待が、この本にこめられているように思います。』(P43、前同)

見てのとおり、小谷の議論も、他の3人と同様に『ここではない、どこかへ』赴いていいんだよ、ここがすべてではないんだ、ということを語っていると言えよう。
しかしながら、そこが「必ずしも楽園ではない」ということまでは、語っていない。そこへと旅立つためには、むしろ「孤独」を引き受ける勇気が必要なのだ、ということまでは、語ってはいないのである。一一なぜだろうか?

それは、小谷真理の視点が「女性の解放」に限定されているからで、男女をひっくるめた「人間」全体を問題とはしていない、「限定的な助言」に止まっているからである。
小谷のここでの「助言」は、「ひたすら抑圧する性」だと見なされているかのような男性には、あまり届かないものとなってしまっているのである。

たしかに、女性は今もなお男性から抑圧されているだろう。その不当な抑圧を受け入れる必要などさらさらなく、さっさとここから出て行けばいいのである。
一一だが、出て行くと言っても、それはスタスタと歩いていくようなわけにはいかず、自分の力でその行き先を開拓していかなければならない場合の方が、むしろ多いのではないか。
「かまわないよ、出ていっちゃいなさい」という「助言」も必要なものだが、実際のところ、出てゆく先の目星もないままに飛び出したら、野垂れ死ぬかもしれないというのが、特別な才能を持たない人間の、男女を問わない現実なのではないのか。

だからこそ、他の3人は「孤独は自由への代償」だと言い、「多数派に安住することは、無自覚に少数派を抑圧すること」にもなるから、自ら自由を求めて「究極の少数派たる、ひとり」になる覚悟が必要だ、とも語っているのではないだろうか。

例えば、「少女マンガなどの興味のない(あるいは萩尾望都に興味のない)世間」に向かって「萩尾望都讃美」を語る行為は、「ひとり」であることを引き受ける態度だろう。
いくら声を枯らしても、誰も振り向いてくれないどころか「そんなもの」と鼻で嗤われて、それでも「萩尾望都讃美」を語る行為は、真の意味で『ここではない、どこかへ』と旅立つ行為だと言えるだろう。

一方「萩尾望都ファンに向かって、萩尾望都讃美を語る」場合の、彼女あるいは彼の行いは、どうだろうか?
彼女あるいは彼は『ここではない、どこかへ』赴いているのだろうか。それとも『みんながつながり合って、ひとつになって生きようというもうひとつの欲望』に身を任せた「バルバラ的一体化」を目指すものなのだろうか?

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答は明白だろう。

「萩尾望都語りの萩尾望都知らず」という言葉は存在しないかもしれないが、そういう人なら「大勢」いるはずである。
「萩尾先生、バンザイ!」と言っていれば「仲間」であり体制翼賛した「群の一員」と遇するが、「彼も人間だ=彼女も人間だ」と言えば、途端に「敵視」し「排除」しようとするような人たちは、「萩尾望都語りの萩尾望都知らず」なのではないだろうか。

萩尾望都の作品を読むということは、萩尾望都という「偶像にしがみつく」ことではない。その権威に依存することではない。
「孤独を引き受けよ」という言葉は、そのまま萩尾望都から「自立」を意味するのではないだろうか。
「ベタ誉め」競争をすることだけが「ファンの証明」ではない、のではないだろうか。
「いま」こそ必要なものは、そうした意味での「批評」なのではないだろうか。

『彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。 』
   (「ヨハネによる福音書」01章 23節)

初出:2021年5月30日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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